メタエンジニアの眼(123)
TITLE: 「2025年までに世界を変える」
書籍名;「2025年までに世界を変える」 [2006]
著者;徐 ジェフリー・サックス 発行所;早川書房
発行日;2006.4.20
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
著者は、現代の開発経済学の第1人者といわれ、国連ミレニアム・プロジェクトとコロンビア大学地球研究所のリーダーを務める。日本語では、2006年から2112年までに3冊の「地球全体を幸福にする経済学」の視点で著書が発行されている。これはその第1冊目。
概要は、カバーの裏側に記されている。
『「2025年までに貧困問題を解決する --この明確な目標は夢物語ではない!
現在、全人類のうち10億人が飢餓・疫病・地埋的な孤立のために「貧困の買」から抜け出せず、1日1ドル未満で生活することを強いられている。そのうち、生きる闘いに破れ、死に追いやられる人は毎日二万人もいる。しかし、人的資源の確保とインフラの整備さえ行なわれれば、自然と促される経済活動によって貧困を過去のものとすることができるのだ。そして、そのために必要な援助額は先進各国のGNPのたかだか1パーセントに満たない。私たちは、人類史上初めて「貧困問題を解決でき「可能性を手にした世代」なのである。』(カバー裏)
イントロダクションでは、20世紀初頭の大恐慌時代を振り返っている。
『八十五年前のイギリスに生きた偉大な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、大恐慌の悲惨な状況についてじっくり考えた。周囲の深い絶望を目にした彼は一九三〇年に論文「わが孫たちの経済的可能性」を書いた。圧迫と苦悩の時代に、彼は孫たちの世代、二十世紀の終わりになれば、イギリスを初めとする工業国では貧困が根絶されているだろうと予見した。ケインズが強調したのは科学とテクノロジーの劇的な進歩であり、テクノロジーの発展によってさまざまな分野での経済成長が促され、ひいてはこの成長が旧来の「経済問題」を解決するに至って、人はついに誰でも食べることに困らず、また生きるのに必要なものを得られるようになるというのだった。ケインズは正しかった。現在、極度の貧困は豊かな先進国から姿を消し、中程度の発展を果たした国の多くでも見られなくなった。』(pp.39)
地球上の様々な地域における問題事例を述べる中で、特にバングラデシュに注目をしている。最下層を脱した経緯が良くわかるというわけである。
『バングラデシュは一九七ー年に東パキスタンからの独立闘争をへて建国された。その年、深刻な飢餓と混乱に見舞われ、ヘンリー・キッシンジャー時代の国務省の役人の一人がそれを「国際社会の完全な無能
力者」と呼んで有名になった。今日の。バングラデシュは無能力者とはほど遠い。一人あたりの所得は、独立以来ほぼ二倍になり、平均余命は四十四歳から六十二歳に延びた。乳児死亡率(新生児千人につき誕生から一歳未満に死亡する乳児の数)は一九七〇年の百四十五人から二〇〇二年には四十八人に減った。どれほど希望のない環境に見えても、正しい戦略をとれば、そしてそれと並行して正しい資本投入ができれば、前進することが可能だと教えてくれるのがバングラデッシュである。』(pp.48)
さらに続けて、
『バングラデシュを訪問したあるとき、私は英字新聞の朝刊を手にし、アパレル業界で働く若い女性たちへの長文のインタビュー記事を読んだ。その内容は感動的で興味深く、意表をつくものだった。
一人一人が勤務の辛さや労働条件の厳しさ、ハラスメントについて語っていた。だが、その記事で最も強く印象に残り、また予想外だったのは、彼女たちがこの仕事をそれまで考えられなかった大きなチャンスだと思っていて、これによって生活がよりよく変わったとくりかえし述べていることである。』(pp.49)
また、インドにおけるイギリスの支配についての事例では、次のように記している。
『天才的な政治的手腕と冷徹な非情さをもったイギリスは、分断したのちに征服するという戦略によってインドでの優位をかちえた。世界の反対側にある人ロわずか五百万の国から来た小さな貿易会社が、一億一千万人かそれ以上の人口をもつ亜大陸に将来のための足場を築こうと考えるだけでも相当なものである―いわんや帝国を築くなどとんでもない。一六〇八年の不古な第一歩から、一八五八年に最終的に亜大陸を征服するまで、イギリスの東インド会社は―イギリスの王権を後ろ盾にして― ー歩一歩、策略と武力によって権力を握っていった。』(pp.257)
インド経済の再編成については、
『軍事力による征服は、経済的な征服と組みあわさっていた。十八世紀の初めから末まで、イギリスはインドの繊維や衣料を輸入する側から、インドにとって重要な輸出国へと立場を変えた。十九世紀半ばまでにイギリスはインドの布地の製造業者になっていた。インドの何百万という手織り職人に代わって、イギリスの機械織機が工場に設置された。市場力がテクノロジーの進歩によって形作られる図として、この情景の図はよく教科書に載っている。ただし、きわめて重要な時期である十八世紀にイギリスがずっとインド繊維製品の対イギリス輸出に貿易制限を課していた―その間にイギリスは効率の悪い製造業の遅れをとりかえして優位にたつことができた―という事実は教科書には書かれていない。要するに、イギリスは繊維貿易でのインドの優位をくつがえすために、攻撃的な産業政策をとったのである。』(pp.259)
また、日本についても言及をしている。
『実際に、日本は帝国の餌食にならずに産業時代のテクノロジーの恩恵を受けることができた。 国家の主権を保ちながら、日本は植民地よりもずっと速く産業化を進めることさえできたのだ。むしろマディソンが書いているように「イギリス政府が技術教育をなおざりにし、イギリス系の企業やその経営者がインド人従業員に訓練の機会を与えず、経営実務も経験させなかったため、インド産業の効率性は損なわれた」のだった。 全般的にイギリス支配下でのインド経済はかなりひどいものだった。マディソンのデータによれば、 インドは一六〇〇年から一八七〇年まで一人あたりの所得がまったく増えなかった。一八七〇年から独立した一九四七年までは一年に〇・二パーセントしか伸びず、それに対してイギリスはーパーセンの成長率だった。』(pp.262)
貧困をなくすには、何を置いても先ずは「投資」が必要というわけである。
『貧困の民から逃れるプロセスはどうか? まず、貧しい人びとは一人あたりの資本がとても低い ベルからスタートする。やがて世代が移るにつれて、一人あたりの資本の割合がますます減るため、いつのまにか貧困の罵に陥っている。資本が蓄積される速さよりも、人口増加の進み方のほうが速いときに、一人あたりの資本は減少する。資本の蓄積は、二つのカ ―プラスとマイナスがある― によって決まる。プラスの力は、世帯が所得の一部を貯蓄にまわすこと、または所得の一部を税金として支払い、政府による投資の財源にすることである。貯金は、ビジネスへ貸与したり(普通は銀行などの金融仲介業者を経由することが多い)、じかに家族の商売や市場の株式へ投資したりする。資本はときには量が減り、あるいは価値が損なわれる。時間の経過によって、消耗したり、分割されたりするからだ。また、熟練した労働者が、たとえばエイズで死んだりすることもある。貯蓄の量が減少する量よりも多ければ、正味資本の額は順当に増えてゆく。貯蓄が減少に追いつかないと、資本のストックはどんどん減ってゆく。たとえ正味資本の蓄積が増えていても、一人あたりの所得の成長に関しては、正味資本の増え方が人口増加に追いつくかどうかによって決まる。』(pp.349)
全世界的な視野に立って、最適な投資戦略を実現すれば、少ない資本で目標が達成できるという説だった。
TITLE: 「2025年までに世界を変える」
書籍名;「2025年までに世界を変える」 [2006]
著者;徐 ジェフリー・サックス 発行所;早川書房
発行日;2006.4.20
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
著者は、現代の開発経済学の第1人者といわれ、国連ミレニアム・プロジェクトとコロンビア大学地球研究所のリーダーを務める。日本語では、2006年から2112年までに3冊の「地球全体を幸福にする経済学」の視点で著書が発行されている。これはその第1冊目。
概要は、カバーの裏側に記されている。
『「2025年までに貧困問題を解決する --この明確な目標は夢物語ではない!
現在、全人類のうち10億人が飢餓・疫病・地埋的な孤立のために「貧困の買」から抜け出せず、1日1ドル未満で生活することを強いられている。そのうち、生きる闘いに破れ、死に追いやられる人は毎日二万人もいる。しかし、人的資源の確保とインフラの整備さえ行なわれれば、自然と促される経済活動によって貧困を過去のものとすることができるのだ。そして、そのために必要な援助額は先進各国のGNPのたかだか1パーセントに満たない。私たちは、人類史上初めて「貧困問題を解決でき「可能性を手にした世代」なのである。』(カバー裏)
イントロダクションでは、20世紀初頭の大恐慌時代を振り返っている。
『八十五年前のイギリスに生きた偉大な経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、大恐慌の悲惨な状況についてじっくり考えた。周囲の深い絶望を目にした彼は一九三〇年に論文「わが孫たちの経済的可能性」を書いた。圧迫と苦悩の時代に、彼は孫たちの世代、二十世紀の終わりになれば、イギリスを初めとする工業国では貧困が根絶されているだろうと予見した。ケインズが強調したのは科学とテクノロジーの劇的な進歩であり、テクノロジーの発展によってさまざまな分野での経済成長が促され、ひいてはこの成長が旧来の「経済問題」を解決するに至って、人はついに誰でも食べることに困らず、また生きるのに必要なものを得られるようになるというのだった。ケインズは正しかった。現在、極度の貧困は豊かな先進国から姿を消し、中程度の発展を果たした国の多くでも見られなくなった。』(pp.39)
地球上の様々な地域における問題事例を述べる中で、特にバングラデシュに注目をしている。最下層を脱した経緯が良くわかるというわけである。
『バングラデシュは一九七ー年に東パキスタンからの独立闘争をへて建国された。その年、深刻な飢餓と混乱に見舞われ、ヘンリー・キッシンジャー時代の国務省の役人の一人がそれを「国際社会の完全な無能
力者」と呼んで有名になった。今日の。バングラデシュは無能力者とはほど遠い。一人あたりの所得は、独立以来ほぼ二倍になり、平均余命は四十四歳から六十二歳に延びた。乳児死亡率(新生児千人につき誕生から一歳未満に死亡する乳児の数)は一九七〇年の百四十五人から二〇〇二年には四十八人に減った。どれほど希望のない環境に見えても、正しい戦略をとれば、そしてそれと並行して正しい資本投入ができれば、前進することが可能だと教えてくれるのがバングラデッシュである。』(pp.48)
さらに続けて、
『バングラデシュを訪問したあるとき、私は英字新聞の朝刊を手にし、アパレル業界で働く若い女性たちへの長文のインタビュー記事を読んだ。その内容は感動的で興味深く、意表をつくものだった。
一人一人が勤務の辛さや労働条件の厳しさ、ハラスメントについて語っていた。だが、その記事で最も強く印象に残り、また予想外だったのは、彼女たちがこの仕事をそれまで考えられなかった大きなチャンスだと思っていて、これによって生活がよりよく変わったとくりかえし述べていることである。』(pp.49)
また、インドにおけるイギリスの支配についての事例では、次のように記している。
『天才的な政治的手腕と冷徹な非情さをもったイギリスは、分断したのちに征服するという戦略によってインドでの優位をかちえた。世界の反対側にある人ロわずか五百万の国から来た小さな貿易会社が、一億一千万人かそれ以上の人口をもつ亜大陸に将来のための足場を築こうと考えるだけでも相当なものである―いわんや帝国を築くなどとんでもない。一六〇八年の不古な第一歩から、一八五八年に最終的に亜大陸を征服するまで、イギリスの東インド会社は―イギリスの王権を後ろ盾にして― ー歩一歩、策略と武力によって権力を握っていった。』(pp.257)
インド経済の再編成については、
『軍事力による征服は、経済的な征服と組みあわさっていた。十八世紀の初めから末まで、イギリスはインドの繊維や衣料を輸入する側から、インドにとって重要な輸出国へと立場を変えた。十九世紀半ばまでにイギリスはインドの布地の製造業者になっていた。インドの何百万という手織り職人に代わって、イギリスの機械織機が工場に設置された。市場力がテクノロジーの進歩によって形作られる図として、この情景の図はよく教科書に載っている。ただし、きわめて重要な時期である十八世紀にイギリスがずっとインド繊維製品の対イギリス輸出に貿易制限を課していた―その間にイギリスは効率の悪い製造業の遅れをとりかえして優位にたつことができた―という事実は教科書には書かれていない。要するに、イギリスは繊維貿易でのインドの優位をくつがえすために、攻撃的な産業政策をとったのである。』(pp.259)
また、日本についても言及をしている。
『実際に、日本は帝国の餌食にならずに産業時代のテクノロジーの恩恵を受けることができた。 国家の主権を保ちながら、日本は植民地よりもずっと速く産業化を進めることさえできたのだ。むしろマディソンが書いているように「イギリス政府が技術教育をなおざりにし、イギリス系の企業やその経営者がインド人従業員に訓練の機会を与えず、経営実務も経験させなかったため、インド産業の効率性は損なわれた」のだった。 全般的にイギリス支配下でのインド経済はかなりひどいものだった。マディソンのデータによれば、 インドは一六〇〇年から一八七〇年まで一人あたりの所得がまったく増えなかった。一八七〇年から独立した一九四七年までは一年に〇・二パーセントしか伸びず、それに対してイギリスはーパーセンの成長率だった。』(pp.262)
貧困をなくすには、何を置いても先ずは「投資」が必要というわけである。
『貧困の民から逃れるプロセスはどうか? まず、貧しい人びとは一人あたりの資本がとても低い ベルからスタートする。やがて世代が移るにつれて、一人あたりの資本の割合がますます減るため、いつのまにか貧困の罵に陥っている。資本が蓄積される速さよりも、人口増加の進み方のほうが速いときに、一人あたりの資本は減少する。資本の蓄積は、二つのカ ―プラスとマイナスがある― によって決まる。プラスの力は、世帯が所得の一部を貯蓄にまわすこと、または所得の一部を税金として支払い、政府による投資の財源にすることである。貯金は、ビジネスへ貸与したり(普通は銀行などの金融仲介業者を経由することが多い)、じかに家族の商売や市場の株式へ投資したりする。資本はときには量が減り、あるいは価値が損なわれる。時間の経過によって、消耗したり、分割されたりするからだ。また、熟練した労働者が、たとえばエイズで死んだりすることもある。貯蓄の量が減少する量よりも多ければ、正味資本の額は順当に増えてゆく。貯蓄が減少に追いつかないと、資本のストックはどんどん減ってゆく。たとえ正味資本の蓄積が増えていても、一人あたりの所得の成長に関しては、正味資本の増え方が人口増加に追いつくかどうかによって決まる。』(pp.349)
全世界的な視野に立って、最適な投資戦略を実現すれば、少ない資本で目標が達成できるという説だった。