ジェットエンジンンの設計技師(6)
作成日;H26.5.12 KTR45121
修正日;2020.1.2
第5話 エアラインのオペレーションから逆算する設計パラメータ
・設計の最初は「トレードオフ」の数字を決めること
相反するパラメータの間で合理的なトレードオフを行い、全体最適設計を実現するということは、基本設計技術者にとって重要な能力の一つである。しかし、どうも日本のエンジニアたちは、「トレードオフ」即ち、相反することの間での論理的な結論を導き出し、どちらか一方を採る、といったことを好まないようである。
しかし、私がジェットエンジンの国際共同開発に参加し、その基本設計作業に取り組んで最初に出会ったのは、エアラインのオペレーションコストから逆算して得られる様々な設計パラメータの「トレードオフ」ということであった。トレードオフの関係にあるものごとを整理し、それを定量化し、確定するということからスタートするというやり方、つまり論理的な戦略を決めるところからスタートをするというやり方は、日本の設計の教科書には書かれていなかった。
ジェットエンジンの話に入る前に、この「トレードオフ」ということについて、少し考えてみたい。それに恰好な本があった。2010年出版の藤井清孝著「グローバル・イノベーション 日本を変える3つの革命」(朝日新聞出版)である。
藤井清孝氏は、1957年生まれ、灘高等学校卒業、1981年東京大学法学部卒業。1981年、米コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1986年ハーバード大学経営大学院(MBA)卒業。1986年ファースト・ボストン投資銀行ニューヨーク本社のM&Aグループに勤務。その後、電子回路設計の米ケイデンス・デザイン・システムズ社の日本法人社長、2000年ERP(Enterprise Resource Planning)ソフトウエアの独SAPジャパン社長、2006年ルイ・ヴィトン・ジャパンカンパニーCEO、LVJグループ代表取締役社長。そして2008年、現在の電気自動車の充電ネットワークを提供するベタープレイス社の代表取締役に就任という経歴の持ち主である。
読み始めると、この書が現代のグローバル&デジタルの世界における日本人の弱みと強みを様々な観点から的確に指摘していることに驚かされる。その第5章に出てくる言葉が、「トレードオフの概念が苦手な日本人」である。一部を引用する。
『対立軸を持った選択肢とは、相手の意見との接点を見いだせないくらい、相容れない根本的な違い、トレードオフを内包した選択肢だ。 例えば政治の分野では、三十年前であれば、「自由主義」対「社会主義」であろう。現在では、「大きな政府」対「小さな政府」、「競争」対「格差是正」、「グローバル化」対「日本独自路線」のようなイメージである。(中略)
日本はこのトレードオフになる骨太な論点を整理せず、整合性のとれた、総合的な政策のパッケージを提示する力が決定的に弱い。その結果、本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮をあおるのだ。(中略)
日本人はトレードオフになる論点を深く理解し、その結果複数の選択肢を生み出す思考パターンは苦手だ。これは「正解指向」の教育に根ざしていると考える。』
厳しい、耳が痛い指摘である。何かを追求すると、何かが犠牲になってしまう。
「あちらを立てれば、こちらが立たず」ということで、当たり前のことなのだけど、ついつい忘れてしまう。
2012年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており、読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに前述の藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が多くの場合に当てはまってしまうということだった。
しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。 ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者にとっての運用コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されつくされたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない。
かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発と設計両部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。
TSFC = Thrust Specific Fuel Consumption
W = Weight
MMC = Maintenance Material Cost
MLC = Maintenance Labor Cost
EFH = Engine Flight Hours
MMH = Maintenance Man Hours
この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについては検討し、判断を下した。
先の表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。
圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。
・エンジン燃料消費率の影響
実際のエアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)の構成の一例を示すと、下図のとおりであり、これを見れば、エアラインが機種選定において最も重視している直接運航費において、いかにエンジン関係経費が大きな比重を占めているかが分かるだろう。エンジン設計技術者としては、設計の目安としてエンジン関係経費がどれほどの大きさになるかを認識しておくことが不可欠である。
上図のエンジン燃料の構成比が15%というのは、原油価格が廉価だった当時のもので、実際に設計を開始した時は、原油価格が上昇し、約25%になっていた。実際に使用された表も、この状況に基づいた数字が入っているものであって、それに基づいて「設計のトレードオフ」の作業は行われた。
ここでは実際に使用された数字を出して説明することはできないので、以下、相対値を使って、この重要なエンジン燃料消費率について説明する。
エアラインの直接運航費(DOC)に占めるエンジン燃料の比率が約25%であるとすると、燃料消費率を4%引き下げることが出来れば、直接運航費(DOC)は1%下がる、良くなるということになる。同様にして直接運航費(DOC)を1%引き下げるのに求められる、燃料消費率以外のエンジン設計担当者が用いる主要パラメータの変化を求めたところ、以下のようになった。
エンジン燃料消費率 約 4%
エンジン重量 約17%
エンジン価格 約 7%
エンジン整備コスト 約18%
エンジン重量を約17%減少させることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。エンジン価格を約7%下げることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。エンジン整備コストを約18%下げることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。つまりエアラインの支出は1%減少し、それ以上にエアラインの利益率は改善されることにつながる、という次第であった。
もっとも影響が大きい、つまり%値が小さいのはエンジンの設計パラメータの燃料消費率であったので、それをさらにエンジンの5要素に分解し、それぞれの効率を1%上げた時の燃料消費率の下がりぐあいを見たところ、以下のようになった。
ファン 0.6%
低圧圧縮機 0.2%
高圧圧縮機 0.7%
高圧タービン 0.8%
低圧タービン 1.0%
ファンの効率が1%上がると、燃料消費率は0.6%下がる。低圧圧縮機の効率を1%上げると、燃料消費率は0.2%下がる。高圧圧縮機の効率を1%上げると、燃料消費率は0.7%下がる。高圧タービンの効率を1%上げると、燃料消費率は0.8%下がる。そして低圧タービンの効率を1%上げると、燃料消費率も1%下がる。それぞれの要素の効率向上が世界中で地道に研究が続けられているが、低圧タービンの効率向上が燃料消費率の改善に最も影響が大きいことが分かった。
いずれにしてもエンジンではエアラインの直接運航費(DOC)が小さくて済むこと、これが基本であった。私が体験したプロジェクトでは、開発初期段階では、競合機種との比較において高度技術が適用されノイズや排ガスなどの環境指標が優れていることが強調されたのだが、受注はふるわず、その結果、開発設計の途中で、営業サイドから直接運航費(DOC)の低減を計るようにとの設計変更を強く求められることとなった。
すなわちエンジン燃料消費率の引き下げだけではない。エンジン重量の低減、エンジン整備コストの低減である。とくにエンジン整備コストは競合機種と比較して明らかに高すぎるとの指摘があり、重要部品の寿命の改善や整備性の改善に努力が払われることとなった。
またエンジン燃料消費率の引き下げには、低圧タービンの性能向上が最も有効であることが分かったので、その性能向上に最大の努力が払われた。
低圧タービンは過去の開発経験から、新規設計の場合には必ず最後まで緊急の設計変更が要求されるものである。エンジン・コアの空気流量、低圧圧縮機と高圧圧縮機の仕事配分比率の変更など、全ての要素の設計変更のとばっちりを必ず受け、最後のつじつま合わせをする要素だからである。
一般的には、高圧圧縮機の開発力がエンジン開発プロジェクトの雌雄を決すると考えられているようだが、高圧圧縮機は一旦決定をされれば、変更されることは稀であり、しかも、他のプロジェクト(単独要素研究として多様な条件下での試験)などで十分に性能が確認されたものが適用されるのが常である。極端な場合に他機種のスケール変更や外部調達によっての対応もあり得るので、エンジン開発プロジェクトで、高圧圧縮機の開発力が致命的な影響を及ぼすとは考えにくい。それよりは、むしろ低圧タービンの設計・開発力と、その設計変更のすばやい適用力こそがエンジン開発における最重要課題と私は考える。
・エンジン燃料価格の影響
過去のオイルショックの経験などから、石油価格が高騰しても一過性のものになるだろうとの認識が広まったことなどもあって、新型エンジンの開発意欲は下火になっているように見える。しかし、燃料価格が上昇すれば、いくら機種の違いによって影響は異なるとか、燃料油価格変動調整金(フューエル・サーチャージ)などで対応すれば済むといっても、現実は、すでにそれだけでは済まされない状況になっているように思う。
次のB747の直接運航費(DOC)の表を見れば分かるだろう。これまで使用してきた直接運航費(DOC)とは定義は異なっているのだが、それでも、ともかく2004年から2008年には燃料費の占める比率が全体の40%から70%へと急上昇しており、いつまでも、このままでは済まされないという状況は分かるだろう。
B747の直接運航費の推移
・基本設計段階のコストエンジニアリング
エンジンの基本設計の第一の命題は、そのエンジンが搭載される航空機が競合機種の運航時の性能にいかに勝つようにするかである。航空機によって、複数の種類のエンジンが採用されるケースと、1種類のエンジンしか搭載されないケースとがあるが、いずれにしても機体の選定に際して、搭載されるエンジンの優劣が大きく影響することに変わりはない。
そこで基本設計段階でのコストエンジニアリングが重要な鍵を握ることになる。そのためにまず行わなければならないことは、これまで説明してきた「設計のトレードオフ」の数字を具体的に決めることである。ここでは搭載される航空機のLife Cycle Costが最小になるようにすることが重要となる。このためには、膨大な過去の経験と世界中のエアラインの計画値と実績値などが必要になる。これを間違えると商談に勝つことが難しくなる。
そして次には「デリバティブ」(derivative)への対応の仕方を示すことである。この「デリバティブ」とは、先物・スワップ・オプションなどの「金融派生商品」のことではない。「改修エンジン」のことである。エアラインは導入した航空機と半世紀にあまり付き合うことになるものである。その間、燃料を多く搭載する長距離型、乗客数を増やす長胴型など様々な機体の変更が行われる。そして、その度にエンジンに対しても改修要求が出てくる。それにどう対応するか。それがエンジンの「デリバティブ」への対応力となる。出来る限り「小改修」で対応できるようにしなければならない。
さらに売価から決まってくる「目標原価」(Should Cost)をどのように配分するである。「目標原価」(Should Cost)とは、目標価格を設けて設計を進める「DTC」(デザイン・ツー・コスト:Design to Cost)の考え方から生まれた「原価」(コスト)である。マーケッテイングから要求される売価から製造原価を逆算し、さらにそれを設計単位別に振り分け、各設計担当者は、この「原価」(コスト)以下で製造できるように設計を行わなければならない。
これは共同開発において、各社が最も神経を使うところであり、担当範囲が決まりつつある中でのネゴの力関係で決まってしまう。従って、交渉のための種々のデータの信頼性が重要であり、それによって交渉の場で相手を説得できるものでなければならない。
随分と専門的な話になってしまったが、エンジンの設計においては、感覚や定性的な判断ではなく、定量的な「トレードオフ」が出来なければならないということ、そのことの重要性を分かっていただければ幸いです。
作成日;H26.5.12 KTR45121
修正日;2020.1.2
第5話 エアラインのオペレーションから逆算する設計パラメータ
・設計の最初は「トレードオフ」の数字を決めること
相反するパラメータの間で合理的なトレードオフを行い、全体最適設計を実現するということは、基本設計技術者にとって重要な能力の一つである。しかし、どうも日本のエンジニアたちは、「トレードオフ」即ち、相反することの間での論理的な結論を導き出し、どちらか一方を採る、といったことを好まないようである。
しかし、私がジェットエンジンの国際共同開発に参加し、その基本設計作業に取り組んで最初に出会ったのは、エアラインのオペレーションコストから逆算して得られる様々な設計パラメータの「トレードオフ」ということであった。トレードオフの関係にあるものごとを整理し、それを定量化し、確定するということからスタートするというやり方、つまり論理的な戦略を決めるところからスタートをするというやり方は、日本の設計の教科書には書かれていなかった。
ジェットエンジンの話に入る前に、この「トレードオフ」ということについて、少し考えてみたい。それに恰好な本があった。2010年出版の藤井清孝著「グローバル・イノベーション 日本を変える3つの革命」(朝日新聞出版)である。
藤井清孝氏は、1957年生まれ、灘高等学校卒業、1981年東京大学法学部卒業。1981年、米コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1986年ハーバード大学経営大学院(MBA)卒業。1986年ファースト・ボストン投資銀行ニューヨーク本社のM&Aグループに勤務。その後、電子回路設計の米ケイデンス・デザイン・システムズ社の日本法人社長、2000年ERP(Enterprise Resource Planning)ソフトウエアの独SAPジャパン社長、2006年ルイ・ヴィトン・ジャパンカンパニーCEO、LVJグループ代表取締役社長。そして2008年、現在の電気自動車の充電ネットワークを提供するベタープレイス社の代表取締役に就任という経歴の持ち主である。
読み始めると、この書が現代のグローバル&デジタルの世界における日本人の弱みと強みを様々な観点から的確に指摘していることに驚かされる。その第5章に出てくる言葉が、「トレードオフの概念が苦手な日本人」である。一部を引用する。
『対立軸を持った選択肢とは、相手の意見との接点を見いだせないくらい、相容れない根本的な違い、トレードオフを内包した選択肢だ。 例えば政治の分野では、三十年前であれば、「自由主義」対「社会主義」であろう。現在では、「大きな政府」対「小さな政府」、「競争」対「格差是正」、「グローバル化」対「日本独自路線」のようなイメージである。(中略)
日本はこのトレードオフになる骨太な論点を整理せず、整合性のとれた、総合的な政策のパッケージを提示する力が決定的に弱い。その結果、本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮をあおるのだ。(中略)
日本人はトレードオフになる論点を深く理解し、その結果複数の選択肢を生み出す思考パターンは苦手だ。これは「正解指向」の教育に根ざしていると考える。』
厳しい、耳が痛い指摘である。何かを追求すると、何かが犠牲になってしまう。
「あちらを立てれば、こちらが立たず」ということで、当たり前のことなのだけど、ついつい忘れてしまう。
2012年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており、読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに前述の藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が多くの場合に当てはまってしまうということだった。
しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。 ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者にとっての運用コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されつくされたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない。
かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発と設計両部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。
TSFC = Thrust Specific Fuel Consumption
W = Weight
MMC = Maintenance Material Cost
MLC = Maintenance Labor Cost
EFH = Engine Flight Hours
MMH = Maintenance Man Hours
この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについては検討し、判断を下した。
先の表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。
圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。
・エンジン燃料消費率の影響
実際のエアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)の構成の一例を示すと、下図のとおりであり、これを見れば、エアラインが機種選定において最も重視している直接運航費において、いかにエンジン関係経費が大きな比重を占めているかが分かるだろう。エンジン設計技術者としては、設計の目安としてエンジン関係経費がどれほどの大きさになるかを認識しておくことが不可欠である。
上図のエンジン燃料の構成比が15%というのは、原油価格が廉価だった当時のもので、実際に設計を開始した時は、原油価格が上昇し、約25%になっていた。実際に使用された表も、この状況に基づいた数字が入っているものであって、それに基づいて「設計のトレードオフ」の作業は行われた。
ここでは実際に使用された数字を出して説明することはできないので、以下、相対値を使って、この重要なエンジン燃料消費率について説明する。
エアラインの直接運航費(DOC)に占めるエンジン燃料の比率が約25%であるとすると、燃料消費率を4%引き下げることが出来れば、直接運航費(DOC)は1%下がる、良くなるということになる。同様にして直接運航費(DOC)を1%引き下げるのに求められる、燃料消費率以外のエンジン設計担当者が用いる主要パラメータの変化を求めたところ、以下のようになった。
エンジン燃料消費率 約 4%
エンジン重量 約17%
エンジン価格 約 7%
エンジン整備コスト 約18%
エンジン重量を約17%減少させることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。エンジン価格を約7%下げることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。エンジン整備コストを約18%下げることができれば、直接運航費(DOC)は1%下がる。つまりエアラインの支出は1%減少し、それ以上にエアラインの利益率は改善されることにつながる、という次第であった。
もっとも影響が大きい、つまり%値が小さいのはエンジンの設計パラメータの燃料消費率であったので、それをさらにエンジンの5要素に分解し、それぞれの効率を1%上げた時の燃料消費率の下がりぐあいを見たところ、以下のようになった。
ファン 0.6%
低圧圧縮機 0.2%
高圧圧縮機 0.7%
高圧タービン 0.8%
低圧タービン 1.0%
ファンの効率が1%上がると、燃料消費率は0.6%下がる。低圧圧縮機の効率を1%上げると、燃料消費率は0.2%下がる。高圧圧縮機の効率を1%上げると、燃料消費率は0.7%下がる。高圧タービンの効率を1%上げると、燃料消費率は0.8%下がる。そして低圧タービンの効率を1%上げると、燃料消費率も1%下がる。それぞれの要素の効率向上が世界中で地道に研究が続けられているが、低圧タービンの効率向上が燃料消費率の改善に最も影響が大きいことが分かった。
いずれにしてもエンジンではエアラインの直接運航費(DOC)が小さくて済むこと、これが基本であった。私が体験したプロジェクトでは、開発初期段階では、競合機種との比較において高度技術が適用されノイズや排ガスなどの環境指標が優れていることが強調されたのだが、受注はふるわず、その結果、開発設計の途中で、営業サイドから直接運航費(DOC)の低減を計るようにとの設計変更を強く求められることとなった。
すなわちエンジン燃料消費率の引き下げだけではない。エンジン重量の低減、エンジン整備コストの低減である。とくにエンジン整備コストは競合機種と比較して明らかに高すぎるとの指摘があり、重要部品の寿命の改善や整備性の改善に努力が払われることとなった。
またエンジン燃料消費率の引き下げには、低圧タービンの性能向上が最も有効であることが分かったので、その性能向上に最大の努力が払われた。
低圧タービンは過去の開発経験から、新規設計の場合には必ず最後まで緊急の設計変更が要求されるものである。エンジン・コアの空気流量、低圧圧縮機と高圧圧縮機の仕事配分比率の変更など、全ての要素の設計変更のとばっちりを必ず受け、最後のつじつま合わせをする要素だからである。
一般的には、高圧圧縮機の開発力がエンジン開発プロジェクトの雌雄を決すると考えられているようだが、高圧圧縮機は一旦決定をされれば、変更されることは稀であり、しかも、他のプロジェクト(単独要素研究として多様な条件下での試験)などで十分に性能が確認されたものが適用されるのが常である。極端な場合に他機種のスケール変更や外部調達によっての対応もあり得るので、エンジン開発プロジェクトで、高圧圧縮機の開発力が致命的な影響を及ぼすとは考えにくい。それよりは、むしろ低圧タービンの設計・開発力と、その設計変更のすばやい適用力こそがエンジン開発における最重要課題と私は考える。
・エンジン燃料価格の影響
過去のオイルショックの経験などから、石油価格が高騰しても一過性のものになるだろうとの認識が広まったことなどもあって、新型エンジンの開発意欲は下火になっているように見える。しかし、燃料価格が上昇すれば、いくら機種の違いによって影響は異なるとか、燃料油価格変動調整金(フューエル・サーチャージ)などで対応すれば済むといっても、現実は、すでにそれだけでは済まされない状況になっているように思う。
次のB747の直接運航費(DOC)の表を見れば分かるだろう。これまで使用してきた直接運航費(DOC)とは定義は異なっているのだが、それでも、ともかく2004年から2008年には燃料費の占める比率が全体の40%から70%へと急上昇しており、いつまでも、このままでは済まされないという状況は分かるだろう。
B747の直接運航費の推移
・基本設計段階のコストエンジニアリング
エンジンの基本設計の第一の命題は、そのエンジンが搭載される航空機が競合機種の運航時の性能にいかに勝つようにするかである。航空機によって、複数の種類のエンジンが採用されるケースと、1種類のエンジンしか搭載されないケースとがあるが、いずれにしても機体の選定に際して、搭載されるエンジンの優劣が大きく影響することに変わりはない。
そこで基本設計段階でのコストエンジニアリングが重要な鍵を握ることになる。そのためにまず行わなければならないことは、これまで説明してきた「設計のトレードオフ」の数字を具体的に決めることである。ここでは搭載される航空機のLife Cycle Costが最小になるようにすることが重要となる。このためには、膨大な過去の経験と世界中のエアラインの計画値と実績値などが必要になる。これを間違えると商談に勝つことが難しくなる。
そして次には「デリバティブ」(derivative)への対応の仕方を示すことである。この「デリバティブ」とは、先物・スワップ・オプションなどの「金融派生商品」のことではない。「改修エンジン」のことである。エアラインは導入した航空機と半世紀にあまり付き合うことになるものである。その間、燃料を多く搭載する長距離型、乗客数を増やす長胴型など様々な機体の変更が行われる。そして、その度にエンジンに対しても改修要求が出てくる。それにどう対応するか。それがエンジンの「デリバティブ」への対応力となる。出来る限り「小改修」で対応できるようにしなければならない。
さらに売価から決まってくる「目標原価」(Should Cost)をどのように配分するである。「目標原価」(Should Cost)とは、目標価格を設けて設計を進める「DTC」(デザイン・ツー・コスト:Design to Cost)の考え方から生まれた「原価」(コスト)である。マーケッテイングから要求される売価から製造原価を逆算し、さらにそれを設計単位別に振り分け、各設計担当者は、この「原価」(コスト)以下で製造できるように設計を行わなければならない。
これは共同開発において、各社が最も神経を使うところであり、担当範囲が決まりつつある中でのネゴの力関係で決まってしまう。従って、交渉のための種々のデータの信頼性が重要であり、それによって交渉の場で相手を説得できるものでなければならない。
随分と専門的な話になってしまったが、エンジンの設計においては、感覚や定性的な判断ではなく、定量的な「トレードオフ」が出来なければならないということ、そのことの重要性を分かっていただければ幸いです。