生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングとLA設計(17) 第14話 今日の大企業の設計力の弱点

2014年02月20日 10時10分41秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第14話 今日の大企業の設計力の弱点

 Design on Liberal Arts Engineeringは、あまりにも専門分野化してしまった昨今の「様々な分野の設計」の不完全さを指摘して、本来の設計のあるべき姿を追求するための試行です。前稿(第13話)のガウディーの建築設計については、本来の建築設計学を十分に踏襲した上で、専門以外のあらゆる要素を加味して設計した結果がサグラダファミリアであり、単に芸術性に重点を置いた設計や、人気や名声の為の奇を照らす設計との違いを述べたつもりです。そのことが世紀をまたがっても、なお事業の継続と感嘆の声が続いている所以だと思います。

先日、大学同期の懇親会があった。大学紛争が最も盛んだった1960年代後半の機械工学を学んだ連中の集まりだが、今は大半が大企業のサラリーマン人生を終えたばかりだ。中には、現役の代表取締君も居るのだが、すべて高度成長時代の技術を背負い、経験した者たちだ。私は、その同期会のホームページに毎月の寄稿をしているのだが、大方の反応は、「お前の文章は、難しくて分からないが、時々なるほどそうだと思うこともある。」といったものだった。これは想定範囲内のことなのだが、私としては日常業務の中で、普通にしゃべっていたことを中心に文章に書き残しているつもりなので、聊かがっかりでもある。
 今回の話し相手は、三菱重工・日立・東芝と云った大企業の経験者だったのだが、異口同音の発言は、設計技術者の能力の低下に対する悩み(と云うよりは、一種のあきらめと愚痴)だった。つまり、私が2000年代に入って痛切に感じていたことと同じことが、どこの大企業でも起こっていると云うことなのだろう。 
 その原因の多くは、高専卒の技術者が姿を消して、大学院で専門知識のみを学んだ秀才が寄り集まって出来た大集団によって、必然的に出来てしまった結果と見るべきであろう。私は、この大企業の設計力の弱点を二つの言葉で云い続けてきた。第1は、「マニュアル第3世代問題」であり、第2は「Design Review Syndrome」である。今回は、この二つについて概説を試みることにした。

設計力の衰退(1)― マニュアル第3世代問題

ジェットエンジンの設計を40年間にわたって眺め続けていると、その歴史的な流れから色々なことが見えてくる。そのひとつが、設計マニュアルのあり方についてであった。このことは、すでに何回か述べたが、改めて経緯を含めて少し詳しく記してみようと思う。



              
ことのきっかけは、1980年代の後半に始まった、GE社との新型ジェットエンジンの開発プロジェクトであった。この頃になると、日本の設計チームの設計能力は、約20年間に亘ってFJR710,RJ500,V2500などの実機の経験を通じてRolls-Royce, Pratt & Whitneyなどから得た知識と、毎年大量に入社してきた最新の解析と計算技術を身に付けたマスターやドクターの力で、相当なものになっていた。一方で、欧米の軍需産業を開発の柱としてきた企業は、冷戦の急激な収束の余波が大きく、大量の人員整理が始まろうとしていた。また、当然のことながら大卒の新入社員は皆無であった。
GEとの共同開発機種は、世界中の主要エアラインから次世代の主力機種として注目をされていた新型のBoeing777への搭載を単独に狙ったもので、世界で最も大きな出力を、格段に大きなバイパス比(エンジンの外側のファンと燃焼器を通過するコアーの空気流量の比率で、大きいほど熱効率は高くなる)を目指す野心的なものであった。当時、私は開発半ばのV2500エンジンのChief Designerと、このエンジンのChief Engineerを兼務する立場にあり、それぞれの主力工場のある英国のDarby市と、米国のConnecticutとOhio州を行き来する生活が常であった。つまり、Rolls-Royceを含めた3社の設計思想と実力の違いを明確に知る立場が続いていた。民間航空機用エンジンの新規開発競争は、かつてスポーティーゲームと呼ばれたほど過酷なもので、競争に敗れれば一気に会社の浮沈にかかわるものである。その為に開発プロジェクトのエンジニアは常にその会社の第1級のメンバーでチーム編成がされていた。



Boeing777とGE90の外観

GE90エンジンの設計は、途中軽量化設計で行き詰ってしまった。当時のGE社では全ての設計はマニュアルに従って行われていたので、野心的な新設計のスペックを満足することは出来ないことは、当初から明らかであった。しかし、マニュアルは先輩諸氏が纏めた金科玉条のものであり、彼らが勝手にそれらを外れた設計をすることは許されなかった。結局、超軽量の新材料の早急な開発に力が注がれることになるのだが、それでは間に合わないのでどのようにマニュアルを外れた設計にするかが、大きな問題となって検討が行われた。一方で、日本チームは破壊力学や構造解析の新知識が豊富な若手のメンバーに拠り、GE社の設計審査をクリアーする設計を次々に示すことができた。当時の我々のチームは、まさに独自の新マニュアルの作成の真っ最中であった。

GE90の各社分担部位

このような状態を見て、私はマニュアル第1、第2、第3世代という概念を思いついた。設計マニュアルの作成には、複数の成功事例が必要であり、当時の日本チームは漸くその域に達しつつあった。つまり、第1世代である。一方で、世界ナンバーワンの地位を長年保ってきたGE社のマニュアルは、2世代前のエンジニアが作ったものが主流であった。つまり、現役の設計技術者は、マニュアルを作成した世代からの直接指導を受けることは、困難な第3世代であった。

ジェットエンジンの実用化は、第2次世界大戦中に開発が始まり、まだ70数年の歴史しかない。その中で大きな設計思想の変更は5回あり、現在は第Ⅵ世代のエンジンが開発中である。一度開発された機種は少なくとも30年間は改良が加えられて、使い続けられる。つまり、新機種の開発には常に世代を越えた設計思想が適用されることになる。その中にあって、設計マニュアルの中味は如何なるものであるべきか、といった設問は他の多くの設計マニュアルとは異なる性質のものになるのかも知れない。

この場合の設計マニュアルの主機能は、第1に次世代の設計技術者に創造的な設計のノウハウを正確に伝えることであろう。つまり、何故そのような考え方を用いるのか、何故その数値を選ぶのかといった、「Why」であり、数値そのものや、計算プログラムなどは、世代を越えて適用されることは稀であり、その補助機能であると考えるべきであろう。
具体的な解析計算プログラム、それに適用すべき許容限度の数値などは、設計マニュアルの必須事項であるが、それらは世代を越えて通用するものではない。一方で、それらを定めた理由を含めた経緯は、新たなマニュアルの作成には必須のものである。マニュアル第3世代問題を引き起こさないための工夫が取り込まれたマニュアルで、暗黙知的なノウハウも含めた創造的な設計の考え方を引き継いでゆかなければならない。このことは、これからの日本の継続的な発展には大いに必要なことだと思われる。

設計力の衰退(2)― デザインレヴユー・シンドローム

 ジェットエンジンの設計を40年間にわたって眺め続けていると、その歴史的な流れから色々なことが見えてくる。そして、その多くは他のシステムや製品の設計や企画・計画にも共通であるのではないかと云った考えが、多くの事例に当てはまることにより徐々に分かってくる。
 その端的な例が、福島第1原発の事故と、その後の再発防止政策に現れている。そのことについては、既に何度も述べたのだが、本稿では、「デザインレヴユー・シンドローム」という観点に絞って述べてみることにした。

 多くのプラント業や製造業で1980年代以降に問題になったのは、高度成長時代の設計が多忙すぎて、設計不良による不具合が多発したことだった。(註1)工事中に予期せぬ事態が発生したり、製造過程で設計見積り以上のコストが発生したり、様々な問題が顕在化した。その際に、上層部が行う施策の第1は、設計審査の強化が一般的である。しかし、設計審査を強化しても、不具合は発生し続けた。すると、設計審査のますますの強化が行われる。それは、更に広範囲で大がかりかつ頻繁な審査である。つまり、多くの上級職や権威者を集めたり、細部にわたる大規模な審査を繰返し行うことである。そして、そのことが最も基本である、設計技術者自身の基本的な設計能力の大幅な凋落に直結していることに気がつかないことである。

 設計審査が頻繁かつ大規模化すると、当然のこととして設計とそれにかかわる多くの技術者は、審査の対応に追われる。受審の為の事前準備と、指摘事項の事後の検討と回答作りに多くの時間を費やすことになり、遂には設計審査をクリアーすることが、設計の目的になってしまう。そして、無事審査をクリアーすると、設計者も周囲も、そこで設計が終了したかのような錯覚に堕ちいってしまう。しかし、設計審査で検討がなされることは、氷山の水面上部分よりも、もっと部分的であることを知るべきである。このようなケースでは海面下の多くの事項の検討が、おざなりになってしまう。それは、設計技術者にとって最も大切な、多面的な見かたを放棄することに繋がってくる。
このことが、直接に私にDesign on Liberal Arts Engineeringを考え、かつ投稿などをさせるきっかけとなった。
 
 福島第1原発の事故のあとで多くのことが指摘され、その結果の一つとして、再稼働の為の新たな安全基準が定められて、遠大な審査が行われていると報道されている。本来、多くのことを他方面にわたって検討すべきエンジニアの対応は、安全審査をクリアーすること一点に絞られてはいないであろうか。そして、安全審査からOKが出た瞬間に、全ての検討が終わったと周囲が解釈をして、早期の再稼働の開始のみを優先して進める事態が安易に想像される。

 このような時代の変化を私は1990年代に実感をして、その現象を「デザインレヴュー症候群」と名付けた。このような状態が継続されれば、本来の創造的な設計技術は凋落する。設計は、どこまでも設計技術者自身の知識と経験と創造力の結果であるべきである。設計審査はもちろん必要条件ではあるが、それはあくまでも補助機能にとどめるべきであり、そこには何らの結果責任も存在しないことを知るべきである。設計図の細部に亘る中味の責任については、その図面にサインをする者は常に意識することであるが、設計審査のメンバーは、その覚悟はいかほどのものであろう。

 この問題を、津波に対する安全対策を例に考えてみる。従来の審査基準が、7mの津波に対して安全(と云うよりは、完全無被害を要求していると云うべきか)であること、とされている項目が、例えば14mと改定されたとしよう。審査は14mの津波でも、敷地内に絶対に海水が浸入しないことに注目するであろう。その場合に、15mの津波が発生したときには、だれが責任を負うのであろうか。津波に対する本来の設計は、想定以上の津波に襲われた(あるいは、何らかの原因で外壁が壊れた)場合に、一部の機能が失われても、致命的な事故に至らない設計を追求するべきであり、高さを何メートルに想定するかは、安全基準ではなく、むしろ経済的に合理的な数値に設定をして設計を行い、更にそれを越えた事態に対する非常時の対策に心血を注ぐべきだと思う。このような設計手法はジェットエンジンでは「Failure Mode Effective & Criticality Analysis」と称して古くら行われている。(註2)そして、その内容は設計審査を担当する専門家には決して分かることは無く、詳細設計を実際に行う設計技術者のみが、詳細に分かることである。

 安全審査のみをクリアーすることに専念する技術者が増えて、その技術者に育てられた次世代の技術者が、また次の時代を担う技術者を育てることになると、一体本来の設計はどうなってしまうのだろうか、ベテランの設計技術者には、容易に想像できる事態が発生するであろう。

(註1)ベテランのエンジニア不足についは、この他に第1次、第2次オイルショック時に短期的な経営指標の改善のために、過度の人員整理を行ってしまった事例もあるが、これは単なる人事政策の誤りであろう。

(註2)ジェットエンジンの設計で最も困難な領域は軽量化設計である。強度や寿命は勿論のこと、全体剛性、振動問題、変形問題、長期に亘る調達問題、製造コストなど多方面での同時最適設計が要求される。その為に大部分の設計寸法には、安全係数といった概念は用いずに確率論を採用する。バラツキと分布の特徴、解析や計算の精度等を考慮して、3σ、4σ、5σ、6σと云った確率で設計値を決める。ここで、6σという確率は、所謂シックス・シグマで主張する確率の1,000,000回に3.4回とは異なる。正規分布で6σという場合の製品不良の発生確率は、仕様限界の幅を±6σとした場合、外れる確率は10億分の2回である。即ち0.002ppmであり、シックス・シグマにおける値の3.4ppmとは大きな差がある。
規則で決められた安全係数とは異なり、エンジンが様々な条件下で運転が続けられ、同時に加速試験などのデータが集まると、バラツキの分布が狭まることが常であり、その分信頼性の向上や寿命の延長を合理的に示すことができる。
 その上で、なお想定外の原因で重要部品の破壊等が起こった場合には、Majorな被害が出ても、致命的な事故に至らないための工夫を随所に設ける設計を行っている。この為に、エンジンの破損を原因とする航空機の墜落事故は、近年では皆無となっている。

(蛇足1)私は、かつて宇宙へ運ばれる構造物と機器類を間近に観察する機会を得た。そのときには、彼我の軽量化設計能力の大きな差を直ちに感じた。

(蛇足2)私は原発推進論者でも、即時撤廃を主張するものでもない。3つの観点から現行の体制を支持するものである。第1はエンジニアとして現代社会に必要なものは、たとえ危険性があっても、それを乗り越えなければならないという信念である。航空機は、万有引力の法則に反して、巨大な人工物を多くの人を載せて、上空に長時間滞留させなければならない。これほどに危険なものは無い。
第2は原発を取巻く今後の世界事情との調和である。中国と朝鮮は今後ますます原発依存を強めるであろう。その中にあって、日本のみが原発関係ない、などと云っていたら福島よりも大きな陸上と海域の被害が想定されるし、世界の文明から取り残されるであろう。脱原発依存も放射性廃棄物問題も、日本単独ではなく、地球全体の問題として国際間で協議をしながら進めるべきであり、日本はその先導的な役割の一端を担うものだと考えている。
第3は即時全面停止の決断は、かえって危険性を大幅に増すとのエンジニアの判断です。大規模な設備が正しく稼働されている状態と、少なくとも再稼働無しとして経営的に放置された施設が、共に予期せぬ事態に遭遇した時に、どちらが正しく対応できるかは明らかだと思います。いずれにせよ、全ての原発の廃炉が完了し、放射性廃棄物の永久保管が完了するまでには半世紀以上が必要で、どちらのケースでもその期間に大きな違いは出て来ないでしょう。

文中の図表は、かつて筆者が講演で公開したものから引用した。


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