第13話 ガウディの建築とメタエンジニアリング
三十数年前に、サグラダ・ファミリィアの建物に接する機会があった。あのガウディが設計をして、いつ完成するとも分からない巨大建築だ。その当時は、「いくら高度成長時代でも、あの建築はないな。」であった。つまり、新大陸の発見から長期間にわたって築かれた巨万の富と、イスラムとキリスト教文化の結果で、あのように耽美的な建物が発想され、実行が続けられているとの認識であった。
そして、先月その建物に直接に出あうことができた。外観と内部の説明を受け、塔に登り、階段を下りながら、塔の外観を間近に観察し、大いに関心をもって最後には説明本を購入して、帰国便の中でゆっくりと読んだ。そして、彼の建築設計思想の中に、メタエンジニアリングを強く感じた。
その中身の説明の前に、少し彼と彼の作品についてWikipediaの記述を見てみよう。
概要は;
アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・ミラ邸(カサ・ミラ、1906-10)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。
壁面には彼自身も居る
博物館にあった彼の写真
学生時代については;
1873年から1877年の間、ガウディはバルセロナで建築を学んだ。学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、ヴィオレ・ル・デュクの建築事典を友人から借りて熱心に読んでいた。
作品については;
彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えた。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立する。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現した。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と、ガウディは自然の中に最高の形があると信じていた。その背景には幼い頃、バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験からきている。
ガウディの自然への賛美がもっとも顕著に表れた作品が、コロニア・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分である。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっている。この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をした。その実験装置が「逆さ吊り模型」で紐と重りだけとなっている。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だと、ガウディは考えた。建設中に建物が崩れるのでは?と疑う職人たちに対して、自ら足場を取り除き、構造の安全を証明した。(これは、力学的に全くの正解であった。まさしく、力学的に安定であるためこんにち広く使われているカテナリー曲線そのものである)
生前に描かれた設計図はスペイン内戦で焼失している。[12]彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみである。そのため彼の設計図はあまり残らず、また焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリアの工事は進められている。
と、あった。
これだけを読んでも、「学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示した」、「曲線と細部の装飾を多用し、生物的な建築を得意とした独創的なデザイン」、「柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず」などの記述には、かすかにメタエンジニアリングを感じることができる。
ここで本題に戻る。
現代のエンジニアリングの中でも建築は「最も発達をした工学の一分野」だと、かねてから認識をしている。「発達」の意味は、人類数万年の歴史の中で、常にその文明の進化とともに研究と実践が繰り返されてきた数少ない分野だと思うからである。法隆寺の金堂のように、一千年を経てもなお斬新さを誇る優美さとか、どのような地震にも耐えてきた薬師寺の五重塔など、芸術性や哲学をも取り込んだ作品も数え切れないほど存在する。このような人工物は他に抜きんでているし、現代でもなお建築学は進化を続けている。他のエンジニアリングの分野では、これらのことに相当する分野は見当たらないのではないだろうか。
壁面は、聖書の物語を表す彫像で覆われている
全景を撮影するのに有名な池のほとりから
塔の先端部は、ベネチアングラスの果実。木の上には果実が実っている、と云うことだろうか?
購入した冊子の冒頭に、「ガウディの秘密」と題した、ジョアン・バッセコダ・ヌネル氏の解説記事がある。その文章に接しているうちに、メタエンジニアリングとの関連を確信したわけなのだが、直接の引用ではなく、要点をかいつまんで記してみよう。
・通常の寺院建築から出発をして、継続的かつ、論理的な合理性と機能性にそった設計を求めた
・通常の設計は、三角定規とコンパスを用いたものが、論理的な合理性と機能性にそった設計を生み出すと考えられているが、それよりも上の思考を追求して、実践した。
・理論幾何学で出来上がる形状は、決して自然界には存在しない。人間が暮らす建物は、出来得る限り自然に近い方が良い。
・幾何学的な設計は、設計と建築の易しさを追求した結果であって、使う人の快適さを最終目的として考えられたものではない。
・人が暮らす建築物の最終目的は、「最高の住み心地になる」ことである。
・一般の建築で構成されている修正幾何学は、直線で構成されるゆがんだ曲面である。一方で、自然界に存在する構造は繊維で形成されており、らせん体・円錐・方物面・双曲線などで整えられて存在をしている。彼は、このような修正幾何学を観察して、設計に再現した。
・従って、彼は設計図を書くことを好まずに、モデルの作成に専念した。余談だが、このことがスペイン内戦中の火災と破壊を経ても、なおオリジナルが存在する所以だった。彼の弟子たちがモデルの破片をつなぎ合わせたので、今なお正確に工事を続けることができていると述べられている。
確かに、サグラダ・ファミリィアの内部の柱は、大木の幹と太い枝を想像させる。大木の枝と大量の葉は一本の幹で支えられているだけで、台風に対しても容易に壊されることは無い。さらに、その外壁は、全面に亘って聖書の物語が全て彫像で示されている。そこには、具象もあるが、抽象的な像もある。
これらから得られる結論は、彼の設計思想が「建築学」の専門性(芸術は既に含まれる)を全て踏襲した上で、更に上の概念である、歴史・人文科学・哲学・自然に遡って、従来の建築では現れて来なかった、「潜在するka課題」を発見し、それを解決するための様々な分野の知識と経験を集合して設計を完成させたと言えよう。そして、その実践には世紀をまたがった期間が必要になったのだが、それを堂々と実践していると云う訳である。これは、正しくメタエンジニアリングの代表例ではないだろうか。
有名な、ユダの接吻。この動作で官憲にキリストを特定させた。左は、魔法陣の「13」関連の数で、35種類もある。
正面の入口は、まだ手がつけられていない。道路を挟んだ向かい側の建物を壊して、歩道橋をかけて道路の反対側から入場するようになるそうだ。その為の橋脚が正面に何本も作られているところだった。
それにしても、市内を見渡す眺めは美しかった。なぜ、日本にはこうした美しい都市の眺めができないのだろうかと、いつも考えさせられる光景でした。
三十数年前に、サグラダ・ファミリィアの建物に接する機会があった。あのガウディが設計をして、いつ完成するとも分からない巨大建築だ。その当時は、「いくら高度成長時代でも、あの建築はないな。」であった。つまり、新大陸の発見から長期間にわたって築かれた巨万の富と、イスラムとキリスト教文化の結果で、あのように耽美的な建物が発想され、実行が続けられているとの認識であった。
そして、先月その建物に直接に出あうことができた。外観と内部の説明を受け、塔に登り、階段を下りながら、塔の外観を間近に観察し、大いに関心をもって最後には説明本を購入して、帰国便の中でゆっくりと読んだ。そして、彼の建築設計思想の中に、メタエンジニアリングを強く感じた。
その中身の説明の前に、少し彼と彼の作品についてWikipediaの記述を見てみよう。
概要は;
アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・ミラ邸(カサ・ミラ、1906-10)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。
壁面には彼自身も居る
博物館にあった彼の写真
学生時代については;
1873年から1877年の間、ガウディはバルセロナで建築を学んだ。学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、ヴィオレ・ル・デュクの建築事典を友人から借りて熱心に読んでいた。
作品については;
彼の建築は曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えた。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立する。装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現した。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と、ガウディは自然の中に最高の形があると信じていた。その背景には幼い頃、バルセロナ郊外の村で過ごし、道端の草花や小さな生き物たちと触れ合った体験からきている。
ガウディの自然への賛美がもっとも顕著に表れた作品が、コロニア・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分である。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっている。この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず、ガウディは10年の歳月をかけて実験をした。その実験装置が「逆さ吊り模型」で紐と重りだけとなっている。網状の糸に重りを数個取り付け、その網の描く形態を上下反転したものが、垂直加重に対する自然で丈夫な構造形態だと、ガウディは考えた。建設中に建物が崩れるのでは?と疑う職人たちに対して、自ら足場を取り除き、構造の安全を証明した。(これは、力学的に全くの正解であった。まさしく、力学的に安定であるためこんにち広く使われているカテナリー曲線そのものである)
生前に描かれた設計図はスペイン内戦で焼失している。[12]彼は、設計段階で模型を重要視し、設計図をあまり描かなかった。設計図は役所に届ける必要最小限のものを描いたのみである。そのため彼の設計図はあまり残らず、また焼失を免れた数少ない資料を手がかりに、現在のサグラダ・ファミリアの工事は進められている。
と、あった。
これだけを読んでも、「学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示した」、「曲線と細部の装飾を多用し、生物的な建築を得意とした独創的なデザイン」、「柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず」などの記述には、かすかにメタエンジニアリングを感じることができる。
ここで本題に戻る。
現代のエンジニアリングの中でも建築は「最も発達をした工学の一分野」だと、かねてから認識をしている。「発達」の意味は、人類数万年の歴史の中で、常にその文明の進化とともに研究と実践が繰り返されてきた数少ない分野だと思うからである。法隆寺の金堂のように、一千年を経てもなお斬新さを誇る優美さとか、どのような地震にも耐えてきた薬師寺の五重塔など、芸術性や哲学をも取り込んだ作品も数え切れないほど存在する。このような人工物は他に抜きんでているし、現代でもなお建築学は進化を続けている。他のエンジニアリングの分野では、これらのことに相当する分野は見当たらないのではないだろうか。
壁面は、聖書の物語を表す彫像で覆われている
全景を撮影するのに有名な池のほとりから
塔の先端部は、ベネチアングラスの果実。木の上には果実が実っている、と云うことだろうか?
購入した冊子の冒頭に、「ガウディの秘密」と題した、ジョアン・バッセコダ・ヌネル氏の解説記事がある。その文章に接しているうちに、メタエンジニアリングとの関連を確信したわけなのだが、直接の引用ではなく、要点をかいつまんで記してみよう。
・通常の寺院建築から出発をして、継続的かつ、論理的な合理性と機能性にそった設計を求めた
・通常の設計は、三角定規とコンパスを用いたものが、論理的な合理性と機能性にそった設計を生み出すと考えられているが、それよりも上の思考を追求して、実践した。
・理論幾何学で出来上がる形状は、決して自然界には存在しない。人間が暮らす建物は、出来得る限り自然に近い方が良い。
・幾何学的な設計は、設計と建築の易しさを追求した結果であって、使う人の快適さを最終目的として考えられたものではない。
・人が暮らす建築物の最終目的は、「最高の住み心地になる」ことである。
・一般の建築で構成されている修正幾何学は、直線で構成されるゆがんだ曲面である。一方で、自然界に存在する構造は繊維で形成されており、らせん体・円錐・方物面・双曲線などで整えられて存在をしている。彼は、このような修正幾何学を観察して、設計に再現した。
・従って、彼は設計図を書くことを好まずに、モデルの作成に専念した。余談だが、このことがスペイン内戦中の火災と破壊を経ても、なおオリジナルが存在する所以だった。彼の弟子たちがモデルの破片をつなぎ合わせたので、今なお正確に工事を続けることができていると述べられている。
確かに、サグラダ・ファミリィアの内部の柱は、大木の幹と太い枝を想像させる。大木の枝と大量の葉は一本の幹で支えられているだけで、台風に対しても容易に壊されることは無い。さらに、その外壁は、全面に亘って聖書の物語が全て彫像で示されている。そこには、具象もあるが、抽象的な像もある。
これらから得られる結論は、彼の設計思想が「建築学」の専門性(芸術は既に含まれる)を全て踏襲した上で、更に上の概念である、歴史・人文科学・哲学・自然に遡って、従来の建築では現れて来なかった、「潜在するka課題」を発見し、それを解決するための様々な分野の知識と経験を集合して設計を完成させたと言えよう。そして、その実践には世紀をまたがった期間が必要になったのだが、それを堂々と実践していると云う訳である。これは、正しくメタエンジニアリングの代表例ではないだろうか。
有名な、ユダの接吻。この動作で官憲にキリストを特定させた。左は、魔法陣の「13」関連の数で、35種類もある。
正面の入口は、まだ手がつけられていない。道路を挟んだ向かい側の建物を壊して、歩道橋をかけて道路の反対側から入場するようになるそうだ。その為の橋脚が正面に何本も作られているところだった。
それにしても、市内を見渡す眺めは美しかった。なぜ、日本にはこうした美しい都市の眺めができないのだろうかと、いつも考えさせられる光景でした。
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