ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

『私の名前を知って』

2022-02-09 15:53:21 | 
『私の名前を知って』 シャネル・ミラー 押野素子訳 河出書房新社
 2015年の米スタンフォード大で白人水泳選手が起こした性暴力事件。事件以後の被害者・シャネルに訪れた、孤独感や羞恥心との絶え間ない闘いの日々……シャネルは何と闘い、何に怯え、何に勇気づけられたのか?自分自身を取り戻すために過ごさなければならなかった波乱に満ちた時間を描き、社会や司法制度が抱える差別や抑圧に挑んだ、衝撃の回顧録。
 被害者が二重も三重にも傷つけられることが辛かった。被害者が何年も苦しんでいるのに、加害者の将来を阻まないでって言うのは、おかしいだろ!被害者の将来は、どうなるの?
「(被害者が被害を話すことで)加害者の人生がどんな影響をうけるかを慎重に考えるよう被害者に強いる。加害者は自分の行動が彼女にどんな影響を与えるかなんて、まったく考えもしなかったのに」
「被害者は普通の生活を後回しにして事件の追及にもっと時間を使いなさいと気軽に要求される。そもそも自ら事件を求めたわけじゃないのに」
 そして、被害者は完璧を求められる。お酒を飲みすぎたり、少し派手目の服を着たりすると、非難されるだろう。反対に、加害者がお酒を飲み過ぎたら、お酒のせいにできるのに。
「被害者は、社会からハッピーエンドを求められることに気づく」これには、ドキッとした。被害者が立ち直れないならば、傍から見て辛いから、頑張ってほしいと願ってしまう。「大丈夫じゃなくていいんですよ」辛い体験をしたのに「成長した」「強くなった」という言葉を期待されるなんて、よく考えたら酷い。そもそも、ゴールはないのだ。被害は消えないのだから、忘れられないのだから。自分の偽善を突き付けられた気がした。
 最後の陳述書は圧巻。ここまできちんと述べた作者に拍手を送りたい。
 
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『化け物心中』

2022-02-07 16:53:08 | 
『化け物心中』 蟬谷めぐ実 角川書店
 江戸は文政年間。座元と狂言作者、6人の役者が芝居の前読みに集まる。そのさなか、生首が転がり出る。あっと思ったときに蝋燭が消え。灯りをつけると生首はなく、血だまりがあった。誰かが鬼に食べられたのだ。しかし、全員頭はついており、どうやら鬼は、食べた人に成りすましたらしい。鬼の正体暴きを頼まれたのは、足を失い絶望の底にありながらも毒舌を吐く元役者・魚之助と、彼の足がわりとなる心優しき鳥屋・藤九郎。さて、鬼は見つかるのか?
 作者は、92年生まれだと。すごい才能だ。この若さで人の心に巣くう鬼の一面を描き出すとは。江戸と上方の言葉が、飛び交い、目の前に場面が浮かんだ。
 魚之助と藤九郎は、いいコンビだ。魚之助の食えない感じが陰影を出していい。藤九郎の普通の感覚や優しさも味が出ていい。
 物語が進むにつれ、役者たちの抱える悩みや葛藤が暴かれていく。それとともに、魚之助が足を失った理由も描かれる。魚之助が手入れのしていない足を見せ、罵倒される場面は胸にせまった。最後、自分は男なのか女なのか、町人なのか役者なのか、鬼なのか人なのかと問う魚之助に対する藤九郎の答えが胸に響いた。
 私は、役者の名前が覚えられず、役者の名前がこんがらがった。しかし、それを差し引いても、よかった。
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『チーム・オベリベリ』

2022-02-02 16:51:18 | 
『チーム・オベリベリ』 乃南アサ 講談社
 宣教師たちが開いた横浜の共立女学校に学ぶ鈴木カネは、父や兄にならって聖書の教えを受け、勉学に励んでいた。兄の銃太郎は、神学校で一緒だった渡辺勝、依田勉三と北海道開拓について考え始めている。彼らは勉三を中心に「晩成社」を興し、新天地へ向かう準備を進める。明治15(1882)年、23歳になったカネは女学校を卒業し、渡辺勝と結婚、そしてオベリベリとよばれた帯広へ行くことを決意する。
 チーム・オベリベリ。チームというからスポーツの話かと思っていたら、オベリベリ(帯広)の開拓の話。650ページこえの本の分厚さにたじろいだが、読み始めると一気であった。
 開拓のすさまじさに驚く。カネの母が物置小屋と言ったほどの住居。丹精込めて作った農作物はイナゴの襲来や霜で一日でダメになる。本土へ戻るお金がないため、開拓地にしがみつくしかない。慣れない農業、客の接待、縫物などの家事とカネの一日は休む間もない。アイヌの助けや知恵がなければ、生きてはいけなかっただろう。マラリアが北海道にあったことも知らなかった。
 その中でカネは信仰と子どもに学問を教えることで毅然と生きていく。
 確かにカネはすばらしいが、学問のない他の入植者の妻は、どう思って耐えたのだろう。勝手に自分たちの土地に入ってきて、和人に蔑まれ、搾取されたアイヌの人々はどう思ったのだろう。
 それにしても依田勉三。フィクションとはわかっていても、「おいおい、自分だけ都合がよすぎるやろ」「結局は、お坊ちゃんかよ」と突っ込みどころが多すぎた。開拓民の不満が分かる気がする。
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