今年はベートーベン生誕250周年。
あちこちで様々なコンサートが催され、行きたいコンサートに
いくつかチェックをしていたのに、、、
憎きコロナにより残念ながらほぼ全てが消えた。。
つくづくベートーベンは死してなお不運な人だな、、
そう思わざるをえない
ただ今年1月に水戸芸術館でベートーベンの生い立ちを語りながら
その当時の楽曲を演奏するという弦楽トリオ演奏だけは聴けた。
そうかその当時こういう出来事の中でこの曲が出来たのか、
楽曲の背後に潜むベートーベンの心情に思いを巡らせながら演奏を楽しんだ。
そして本日たまたま雑誌で水戸芸術館でライブラリーで
今まで同館で演奏されたものが期間限定で無料配信されているのを知り、
聴いてみた。
3年前の水戸室内管弦楽団の100回目の記念公演の
ベートーベン第九、小澤征爾指揮。
小澤征爾さんは体力的な問題と思われるが、
第三、第四楽章のみ担当し椅子に腰掛けての指揮。
良かった。
繊細な叙情的な調べから徐々に力強さを増してゆき、
最終楽章にはコーラスの響きも加わり、
小澤征爾は時に立ち上がり、
演奏は益々熱を帯び、全ての演奏者が最高の音を
指揮者により引き出され、
それが各楽器、競い合いながら、
最高のハーモニーが奏でられていく。
その演奏に夢中。
そしてクライマックスの最高潮を感じた瞬間、音楽は終わった。
客席からはブラボー!
というかけ声と共に立ち上がる観客の姿。
私もその場にいたらやはり立ち上がって
声を上げていただろう。
小澤征爾さんはやり終えた、
そういう全てを出し切った達成感を表情に浮かべていた。
私はクラッシックは全然わからないズブの素人。
ロンドン交響楽団がいいだの、ウィーンフィルがいいだの言われても全くわからない。
でもこの演奏に感動した、
それは紛れも無い事実。
すごい演奏だった。
演奏終わった瞬間、涙が溢れてきた。
一度目は、この演奏を流しながら映像は見ずに聴いていたが、
いや、それはもったいない、
すぐ二度目の視聴は映像を見つめながら最後まで聴いた。
第九といえば暮れに演奏する演目。
でも今、コロナで世の中全体が落ち込み、
様々な状況に心を痛め疲弊している私達。
今こそ、この音楽がピッタリくる。
少なくとも私は、この音楽を聴き、
希望の光がかすかに見えた。
頑張っていかなきゃ、
という力を与えてもらった。
水戸芸術館さん、こんな素敵な演奏を無料配信してくれてありがとう。
あちこちで様々なコンサートが催され、行きたいコンサートに
いくつかチェックをしていたのに、、、
憎きコロナにより残念ながらほぼ全てが消えた。。
つくづくベートーベンは死してなお不運な人だな、、
そう思わざるをえない
ただ今年1月に水戸芸術館でベートーベンの生い立ちを語りながら
その当時の楽曲を演奏するという弦楽トリオ演奏だけは聴けた。
そうかその当時こういう出来事の中でこの曲が出来たのか、
楽曲の背後に潜むベートーベンの心情に思いを巡らせながら演奏を楽しんだ。
そして本日たまたま雑誌で水戸芸術館でライブラリーで
今まで同館で演奏されたものが期間限定で無料配信されているのを知り、
聴いてみた。
3年前の水戸室内管弦楽団の100回目の記念公演の
ベートーベン第九、小澤征爾指揮。
小澤征爾さんは体力的な問題と思われるが、
第三、第四楽章のみ担当し椅子に腰掛けての指揮。
良かった。
繊細な叙情的な調べから徐々に力強さを増してゆき、
最終楽章にはコーラスの響きも加わり、
小澤征爾は時に立ち上がり、
演奏は益々熱を帯び、全ての演奏者が最高の音を
指揮者により引き出され、
それが各楽器、競い合いながら、
最高のハーモニーが奏でられていく。
その演奏に夢中。
そしてクライマックスの最高潮を感じた瞬間、音楽は終わった。
客席からはブラボー!
というかけ声と共に立ち上がる観客の姿。
私もその場にいたらやはり立ち上がって
声を上げていただろう。
小澤征爾さんはやり終えた、
そういう全てを出し切った達成感を表情に浮かべていた。
私はクラッシックは全然わからないズブの素人。
ロンドン交響楽団がいいだの、ウィーンフィルがいいだの言われても全くわからない。
でもこの演奏に感動した、
それは紛れも無い事実。
すごい演奏だった。
演奏終わった瞬間、涙が溢れてきた。
一度目は、この演奏を流しながら映像は見ずに聴いていたが、
いや、それはもったいない、
すぐ二度目の視聴は映像を見つめながら最後まで聴いた。
第九といえば暮れに演奏する演目。
でも今、コロナで世の中全体が落ち込み、
様々な状況に心を痛め疲弊している私達。
今こそ、この音楽がピッタリくる。
少なくとも私は、この音楽を聴き、
希望の光がかすかに見えた。
頑張っていかなきゃ、
という力を与えてもらった。
水戸芸術館さん、こんな素敵な演奏を無料配信してくれてありがとう。