ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『(500)日のサマー』

2021-01-11 16:46:56 | 外国映画










 
2009年に製作され、日本では翌'10年に公開された、マーク・ウェブ監督によるアメリカ映画。脚本を書かれたスコット・ノイスタッター氏の実体験を基にした、一応ジャンルとしてはラブコメディーになるかと思います。

なんで私がラブコメ映画のDVDなんか借りたかと言えば、もちろん昨年から始めた「自分以外の人が好きな映画も観てみよう」シリーズの一環……かと思いきや件の『POPEYE』誌には載っておらず、借りた理由が思い出せないまま観始めたら、ファーストシーンですぐに判りました。

決して恋愛が得意じゃない主人公=トム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の相談に乗り、いつも的確なアドバイスを与える小学生の妹=レイチェルを演じてるのが『キック・アス』でブレイクする直前のクロエ・グレース・モレッツちゃんなのでしたw

たぶん私はクロエちゃんが主役の映画だと勘違いして、宅配レンタルの予約を入れたんでしょう。彼女の出番は少ないからそのアテは外れたワケだけど、映画そのものは面白かったです。

私が恋愛モノを好まない理由は「リアルじゃないから」で、特に日本のメジャー映画や連ドラの恋愛モノは、女性客に対する媚びがあまりに露骨で観るに堪えません。

だけど例えば『ジョゼと虎と魚たち』や『勝手にふるえてろ』あたりは傑作だと思ったし、それらに共通するのは恋愛の痛さを容赦なくリアルに、そして滑稽に描いてる点なんですよね。

この『(500)日のサマー』もそういう作品でした。恋愛経験が少ない私でも思い当たる節が満載だし、男と女の違いをこれほど的確に描いた作品も珍しいかも知れません。(ただしあくまで男目線から見ればの話で、女性の感じ方はまた違うかも?)

画像をご覧の通り、ヒロインのサマー(ズーイー・デシャネル)はとびっきりの美人ってワケじゃないけどチャーミングで、下ネタも楽しんじゃうオープンマインドな人。主人公のトムと同じく私もこういう女性に弱いです。

ただし、平均的な女性とは決定的に違うサマーのポリシーが、トムをさんざん苦しめることになります。

そのポリシーとは、結婚はおろか恋人も作らない、誰にも縛られず自由に生きて行きたいっていう、その若さで50歳すぎの私とまったく同じ境地w

トムは職場に転入して来たサマーに一目惚れし、それを運命の出逢いだと確信するんだけど、運命なんかまったく信じない彼女のポリシーを聞かされ、二の足を踏んじゃう。

ところが! 好きな音楽の話で盛り上がり、サマーの方からトムに「友達になろう」と言い出し、コピー室で二人きりなった途端に彼女からキスして来て、あっという間にチョメチョメな関係になっちゃう!

デートではラブラブだし、他に男がいるワケでもなくレズでもない、誰がどう見たって恋人どうしなのに、サマーには「あくまで友達」「運命なんかあり得ない」っていうポリシーを曲げる気がいっさい無い。さて、あなたならどうする?!

最初はそれでも「一緒にいられるなら」と我慢してたトムも、疑問とストレスがどんどん溜まって行っちゃう。

で、ある夜。バーで絡んで来たチンピラからサマーを守ろうとしたトムがあっさりノックアウトされてしまい、「あなたにはガッカリだわ」と彼女に言われて、ついに不満が爆発しちゃう。そりゃそうですよ、恋人じゃないのに、ただの友達に過ぎないのに、なんでガッカリされなきゃならんとですか!?って、私も同じ立場ならキレると思うとです。

で、サマーが転職して2人は会わなくなるんだけど、知り合いの結婚式で偶然再会し、なんだかまた良い雰囲気になっちゃう。

その上、彼女からパーティーに誘われ、これで寄りが戻るんだろうなと思いながら会場に入ったトムは、そこで衝撃の光景を目撃するのでした。

なんと、あのサマーが! 運命の出逢いなんかあるワケないってさんざん言ってたサマーが、結婚指輪を女友達に見せびらかしている!

と思ったら誤解でしたチャンチャン!……なんてベタなオチはありません。サマーは、トムと疎遠になったあとに出逢った男と「運命を感じて」本当に結婚しちゃったのです! おいおい、いくらなんでもそりゃないぜベイビー歯医者さん!

自暴自棄になり、絵に描いたようなやさぐれ生活を送るようになったトムは、妹のクロエちゃんに「よく思い出してみなよ」と諭され、サマーと2人で過ごした日々をじっくり回想し、明らかに風向きが変わった瞬間があることに気づきます。

それは、2人で映画『卒業』のリバイバル上映を観た時のこと。皆さんご存知でしょうが、ダスティン・ホフマン扮する主人公が、他の男と結婚することになった元カノ(キャサリン・ロス)を、挙式に乱入して連れ去っちゃうラストシーンがあまりに有名な'60年代のアメリカ映画です。

トムは幼い頃から何回も観てるもんだから、あのラストシーンが単なるハッピーエンドじゃないことを知ってるんだけど、初めて観たサマーは感激のあまり号泣していた! そう言えばトム自身が「運命の出逢い」を信じるようになったきっかけは、初めて『卒業』を観て泣いた時かも知れない!w

映画ではそこまで丁寧に語られないけど、多分そういう事だろうと思います。それぞれ『卒業』を初めて観たタイミングが、このカップル(友達だけどw)の運命を大きく左右しちゃった。

くだらない!と言って笑うことなかれ、男女の仲なんてそんなもんかも知れません。今となっては誰も信じてくれないけど、私はとある女性から熱烈にプロポーズされて結婚し、1年も経たない内に離婚を言い渡された経験を密かに持ってますからw、このサマーとトムの関係に尋常ならざるリアリティーを感じます。(脚本家の実体験が基になってる事だし)

しかし結婚相手がいるというのに、なぜサマーはトムをわざわざパーティーに誘ったのか? その答えも『卒業』を踏まえれば一目瞭然。そう、彼女はきっと、トムに連れ去って欲しかったんでしょう。そうなって初めて運命の出逢いだから!

この後でもう1回トムと再会した時に、サマーは結婚したことを「気の迷いだった」みたいなことを言うんですよね。たぶん、彼女が本当に好きだったのはトムなんです。だって、最初に声をかけたのはサマーだし、友達になろうと言ったのもキスしたのもサマーの方からなんです。

そこがたぶん女性ならではの心理で、彼のことをどんなに好きでも、相手から来てくれないと「運命」とは感じられないんでしょう。だから『卒業』を観て運命の相手は他にいると思い込み、ちょうどそのタイミングで求婚されて……みたいないきさつがあった。

トムと同じように……いや、彼より数倍オクテであろう私には、めちゃくちゃ思い当たる節があります。自分から求婚しながら離婚を突きつけて来た元妻もそうだし、とても乏しい恋愛経験を思い返しても、失敗の原因は全てそこにあったような気がします。

で、この映画のラストシーン。本来の夢だった建築家になるべく就職試験を受けに来たトムは、同じ受験者の女の子と言葉を交わし、ビビっと来たもんで「このあとコーヒーでも」って、果敢にアタックするんですよね。

このときに「トムは運命の出逢いなど存在しないと確信した」っていうナレーションが入る。えっ、逆じゃないの?って一瞬思ったけど、よくよく考えるとその通りなんです。

つまり、ありがちな言い方で陳腐に感じられるかも知れないけど、トムはサマーに翻弄されまくった日々によって成長し、運命とは自分で切り拓いていくもんだと(無意識にせよ)悟ったんでしょう。

それがサマーと出逢ってから500日目のこと。で、声をかけた女の子に名前を尋ねたら「オータムよ」と答えるもんだから、トムが思わずカメラ目線になってジ・エンドw やっぱ運命じゃん!っていうギャグなんでしょうか?w

いやぁ~、これこれ! これが恋愛だよ! 女ってこういう生きもんだよチキショー!ってw、私は首が痛くなるほど頷きながら観ましたけど、皆さんは如何なもんでしょう?

もう振り回されるのはまっぴらゴメンだし、相手の気持ちがみるみる離れていく時の、あの地獄みたいな胸の痛みは味わいたくないですから、私は結婚も恋愛も二度とする気はありません。

そこに天国も同居してることは重々承知してるけど、地獄を避けたい気持ちの方が今は強い。恋愛がやめられない人ってのはきっと、みんなマゾなんですよw ど変態なんですw 傷つかなきゃ生きてる実感が持てないリストカッターなんです。

それでも突っ走って行けるほど、本気で人を愛することがたぶん私には出来ない。恋愛も1つの才能なんですよ。ホントにそう思う。

ちなみに画像5枚目に写ってるのはソックリさんではなく、ほんものの若きハリソン・フォード(最初の『スター・ウォーズ』におけるハン・ソロ)です。トムが初めてサマーとチョメチョメした翌朝、町の人々がみんな祝福してくれるミュージカル的な場面で、車窓に映った自分がハリソン・フォードに見えちゃう!っていう演出w

大好きなクロエちゃん目当てで観た映画で、もっと大好きなハリソンに思いがけず出逢えたという、こんな時に私は運命を感じますけどねw
 


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