HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

誰かの人生のスパイスになれるよう生きたい(長文)

2010-01-09 10:33:28 | ハサカル
4日(月)は、昼から鈴鹿市まで車を走らせて告別式に参列。
昨年10月にNHK教育でとりあげていただいた「グラン・ジュテ」にも、私の駆け出しのころのコメントで出演してもらった上村さんの告別式でした。
突然、1月2日に亡くなったと知人から連絡があり、最後のお別れに行ってきたのでした。

上村さんと初めて出会ったのは10年ほど前、車椅子のことを何も知らない私に、
生半可な気持ちで首をつっこまれても困る。
自分たちは何十年も活動してきているのに、こんな小娘になにができるか?
という勢いで喝を入れられたのを今も思い出します。
当時、そりゃ、怖くなかったといえば嘘になりますが、ここで引き下がっていては、今後またこのような状況に直面したときに同じように逃げてしまうか、避けてしまう。
避けながらの(自分のしたい)活動になにがみえてくる?という疑問に私を向き直させてくれたのも、上村さんの重みのあるこのような喝入りの言葉でした。

あの時、甘やかされた言葉を貰っていたら、今の私はいなかったでしょう。
当時、三重県肢体不自由者協会の会長を務めていらっしゃって、その会合に毎月片道1時間30分はかかる亀山市まで通わせてもらって、無我夢中で勉強しました。

内心「この人に認められるまで、車椅子の活動しています」なんて、とてもじゃないけど言えないと思っていたので、とにかく、弟子が師匠にしがみつくようにがんばりました。
振り払われても、ガツンと言われてもね。
それだけに、当時はなにくそ精神で、見返したるぞって気持ちも正直ありました。

そんな出会いから1年後、「おでかけ!チェアウォーカー」が出来、届けたとき、ドキドキして見せたことを今も思い出します。
精一杯の作品。
これがチェアウォーカーたちに認められるものか?上村さんはなんと言うのだろうか?
ページをめくる沈黙が本当怖かった。

しばらくページをめくる音だけが聞こえてから発した言葉

「うわ~、これはえらいもん作ってくれたな~」
↑この時点で頭真っ白。私なんか悪いもん作ってしまった…?とものすごく焦りました。ああ、今もその感情思い出せます。

しかしこの後続いた言葉が、まったくの予想外

「こんな立派なものができると思ってなかった。これは使えるわ~。ありがとう。」

それを聞いたとき、なにくそ精神で「ほらみろ」なんて気持ちはこれっぽちもなく、師匠に認められたようで、素直に嬉しかったのを覚えています。
そして「おでかけ!チェアウォーカー」に、さらに”使える”という、称号をつけられたようで、胸張ってチェアウォーカーたちに勧められると自信になりました。


後に、全国脊椎損傷者協会三重大会の出席者のみんなに「おでかけ!チェアウォーカー」を資料に入れたいから人数分(200部ぐらいだったかな?)買わせてくれと頼まれました。
そのとき

「あれはな、我ら三重県の誇りや思うわ。そやから全国のチェアウォーカーに、”どうや、すごいやろ”って見せてやりたいんや」

って上村さんから言われたときは、泣きそうになりました。



そんなことを思い出しながらの告別式。
65歳という若さで、まだまだ遣り残したことあったと思います。
昨年の秋、グラン・ジュテの取材時にお会いしたときに、上村さんが活動する車椅子対応駐車場に一般の人が止めない運動であるハートTOハートと観光地、伊勢志摩でなにかコラボができるといいよね、来年(2010年)なにか、しましょうよ!という言葉を交わしたばかりでした。
まだまだ、教えてもらわなくてはいけないこともありました。

実は、先月12月もNPO活動仲間(先輩)のKさんが他界しました。
こちらも50歳という若さ。
ツアーセンターのことを常に気にかけてくれて、いろんな情報を持って、よくセンターに寄ってくれたりもしました。
私たちの活動が鳥羽市内でどんな風に見られているか?
ちょっと突っ走りすぎたときに、さらりとアドバイスもしにきてくれました。
NPOのこと鳥羽のこと、もっといろいろ知りたいこと、教わりたいことあったけれど、ここでも聞きそびれたことがたくさんありました。

また、お正月の年賀状の中に一枚寒中見舞いが届きました。
こちらは、センタースタッフの野原さんを頼って、しょっちゅう伊勢志摩に来てくれていた大阪のTさん。の旦那様から。
去年の夏終わりに、今は入院しているけど秋に伊勢志摩行くからさ~って電話あったのですが、その秋に亡くなったという報告の寒中見舞いでした。
Tさんにまつわるいろんなトラブルや、出来事もありました。
でも、それらも良い思い出となってセンターでは話題にあがる人でした。


こうも立て続けに人が亡くなることは、確かに気が滅入ってしまいます。
人の出会いが多ければ、それだけ別れが多くなるのは、分かっていること。
こんなことだったら、知り合いが少なければ、悲しみもその分減るのかな?と考えることもあります。
みんなが私より長生きしてくれれば?なんて無理なことも考えたりします。

しかし、出会ったその人の言葉や、助言で自分は確かに成長したり、変わったりしています。
そして、それらがきちんと、私に刻まれて今も生きている。
こういったことが、その人の生きた証なのかもしれないと思うと。

歴史に名を残したり
子孫を残したり
銅像?を作らせたり
碑に刻まれたり
本書いたり
目に見える形になるものだけが生きた証として認められるのではなく、どれだけたくさんの人たちの人生の中にスパイスとして味付けができてきたか?その人に刻み後世へ伝えられるか?ということも重要だと思えてきます。
また、
歴史に名を残したり
子孫を残したり
銅像?を作らせたり
碑に刻まれたり
本書いたり
する人も、そこに見えない人たちのスパイスを一杯もらって、出来たことだと思うし…スパイスがなければ成し遂げられなかったことだってあるはず。。
そのスパイスは、もしかすると、先人のスパイスが受け継がれて、伝えられたものかのしれません。

上村さんやNPO仲間はもちろん、これまでたくさんの出会ってきた人たちのスパイスで味付けされて今の私がいる。
現在もスパイスを与え続けてくえる仲間がいる。
そしてこれから出会う人でまた、違う私になっていく楽しみもあります。

その人の人生の中に、そのスパイスがあることで、より一層風味が出る。
たくさんの人の出会いと別れを経て、誰一人として同じ味ではないみんながいる。
そして、私もどこかで誰かのスパイスのひとつになれるよう生きていけられれば…。


そのために、結局私はきっと、なんだかんだ言っていても、自分に投入されるスパイスを求めながら、誰かの人生にイタズラにちょこっと隠し味を放り込み、悲しいことや辛いこと、悔しいことが増えようと新しい出会いを止めることはできないのでしょうね。

いい味(人生)になるために。

おばたまつりでイセシマン参上

2009-09-20 22:16:53 | ハサカル
8月22日(土)伊勢市の小俣町で行われていた「おばたまつり」でイセシマン参上にいってきました。
とってもとっても広いグランドのド真ん中に置かれたステージでのショーなので、そこへたどり着くまでが大変。
しかも夜暗くなってくると、イセシマン致命傷である「周りが見えない」現象に悩まされました。

でも、子どもたち(大人たちも?)がとても喜んでくれたので、がんばりましたよ。

駅ボラがはじまりました!!お盆初日は、出足が鈍い?

2009-08-14 08:57:42 | ハサカル
 センターに一大行事でもある「駅ボラ」今年2回目の駅ボラ、お盆期間が始まりました。
今年のお盆の駅ボラ期間は13日(木)・14日(金)・15日(土)も3日間。



ボランティアのトータル人数は30名。そのうち10名ぐらいが新しい方。他は駅ボラ常連さんです。
いいバランスですね。
地域としても伊勢と志摩の方、そして離島在住の方もおり、鳥羽駅で広域の観光案内が出来そうな予感。


さて、朝9:00ごろに皆さんがあつまってきました。
元気な笑顔です。
ヤルキがみなぎっています。たぶん。私にはそう見えました。

一年前高校生で参加してくれていたSさんが女子大生になって戻ってきました。
おお、女子大生の香りが…うそです。
今は、北海道で大学生しているそうです。
帰省とともに、駅ボラしてくれるなんて、嬉しいですよね~。



朝礼で、必要事項を説明して、この期間ならではの行事の説明したり、ボランティアメンバーで情報を周知。
みんな頭に入ったかな?
9:00集合にしてあってので、余裕でブース設置へとりかかり、9:30前ごろには駅ボラ開始できました。
スムーズです。






午前中しょっぱなから「合歓の郷のパンフレットありますか?」や「伊勢神宮へ行きたいのですが…」と、のっけから鳥羽以外の情報を求められる。
あたふたあたふたしながらの出だしです。



午前中はセンターとブースの行き来をしていると、センターに懐かしい顔の青年が…。
なんと2年前の鳥羽高校の教え子であるTくんです。



お盆の帰省でセンターに寄ってくれたのです。
すっかり大人になって、凛々しくなっていました。
「教える立場の苦労がよくわかったよ~先生…」と、いまや後輩を育てる立場となった苦労を語ってくれました。
彼は、坂手出身。
毎年、船に乗るのに、ここを通るから寄ってくれるのですよね。
いや~嬉しいことです。

さて、Tくんを見送ってブースに戻り、駅ボラモードに。
観光案内所前ブースは相変らず、水族館の場所を聞かれることは多いです。駅を出ても、水族館の建物がまったく見えないのが、その原因でしょう。
すぐですよ言われたのに見えない…。というところが不安になるのかな?
海側にちょこっと歩けば、本当にすぐ見えるのですけどね~。

昼前になってきましたが、どうもいつものお盆初日とは違う。
そう、お客さんが少ないです。
いつもなら、水族館から戸田家さんまで長蛇の列になる車も、スイスイ国道を走り抜けています。

一応観光に携わる身であるから、とても不安になります。
みなさん、どこへ行っているのですかぁ~。
伊勢志摩に来てくださいね~。

といっても、駅ボラメンバーはひとりひとりの観光客の皆様に旅行を満足していただけるよう、丁寧に対応しております。

本日は大変扱ったのです、水分をみんなにとって貰いながら、改札前ブースと観光案内所ブースを入れ替わりながら、時には、JRを見回ったり。人数的に最適だったのでは?
でもメンバーからは「駅から少し離れたところでも活動ができれば」という意見も。
そうでですよね、離れたところだからこそ、案内が必要なところがあるかもしれません。




本日駅ボラ新メンバーは7名。
事前に研修を受けてもらっているといえども、今日が来るまで、ドキドキしていました。
しかし、そんな心配はいりませんでした。
新メンバーとは思えない、働きっぷりです。
でもって、案内もすばらしい。
的確な行動で、私も安心できました。
ありがとうございます。

午後からは、海の博物館へ行きたいのだけれど…という男性の方、路線バスの案内すると、なんと次のバスまで1時間半ほどある。仕方なく、タクシーで行くよとのこと。
なかなか鳥羽市内の路線バスの本数も少なく、もったいないな~と思います。

ベビーカーの貸し出しもこの暑さでたくさん借りるとおもいきや、予想外に貸し出しはすくなかったです。昼過ぎぐらいにバタバタと集中して車いすとベビーカーの貸出がありました。重なるときは重なります。
夕方新メンバーの一人であるNさんがニコニコしながら、やってきました。
朝から案内したお客さんが「よかったヨ!」と、わざわざ、Nさんにジュースを持ってきてくれて嬉しかったとの報告。
本当にうれしそうでした。
これがボランティアのモチベーションとなってくることでしょう。
こちらまで嬉しくなります。

本日初日、観光協会長、鳥羽市観光課課長、鳥羽市会議員の中村議長も様子を見に来てくれました。
ありがとうございます。



しかし、前回のゴールデンウィークのような人の多さが見られません。
明日は挽回してくれるでしょうか?



<本日の貸出実績>
車いす1台
ベビーカー2台

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どこでもチェア(車いすレンタル)交差点

2009-05-26 23:48:44 | ハサカル
どこでもチェアという車いすレンタルをツアーセンターがしているのはご存知かしら?

これらは点であった貸し出しを線にした、まさに観光客視点の車いすレンタルです。
なんと、2003年から始まっている事業ですので、たぶん(消極的)全国初めてのシステムだと思います。

当初はお金のない私たちに、鳥羽旅館事業協同組合さんがどどーんと車いすを購入し、それらをもとに鳥羽市がツアーセンターに事業委託して現在運営中。

車いすレンタルはこんな便利なサービスです

①鳥羽市内に貸し出し7ヶ所のステーション
②鳥羽旅館事業協同組合加盟旅館(32ヵ所)+ミキモト真珠島、鳥羽水族館への乗り捨てOK。
③鳥羽市に限らず、どこで使ってもらってOK。
④1泊2日や、2泊3日、旅行期間中の貸し出しOK。

そして、このレンタルを始めて6年になりますが、ここ数年前から「伊勢で借りて鳥羽で返したい」「鳥羽で借りて伊勢で返したい」というお客様の要望をよく聞きます。

そこで、実は、こっそり受けています。こっそりです。

伊勢での受け取り場所や返却場所はだいたいが

おはらいまちの「白鷹」さん、「岡野写真館」さん、そして宇治山田駅にある伊勢の「観光協会の案内所」さん。
いつも無理言って、こっそりステーションとしてお願いさせていただいております。
ありがとうございます。

でも、これられには、下準備が必要です。
受け取りたい場合は、実は私たち(スタッフ3名)が事前にそれぞれの行程にあった上記の場所へ車いすを届けに行くのです。

エサコラッサッサ…と。(笑)

ま、スタッフが伊勢方面在住ってこともあるかもしれませんが、大概が可能です。

時にはチェアーウォーカースタッフの野原も行きますので、チェアーウォーカーが貸し出しの車いすを自分の車に積み下ろししている姿は、不思議かもしれません。(見かけたら手伝ってね)

そんなことで、いきなり、今日、伊勢で車いすを借りたい!と言われても、無理です。

事前にお知らせしていただけなければなりません。
伊勢のこっそりステーションにもお願い(都合を聞かなくてはいけません)しなくてはいけないことですし…。
私たちのスケージュールの都合もあります。


(大きな声で)しかし、今年に入ってから、本当にこの需要が非常に多いのです。

当たり前ですよね、みなさん、伊勢志摩の観光は「鳥羽に行く」や「伊勢に行く」「志摩へ行く」ではなく、伊勢志摩広域で動いていますから。
その気持ちよ~く分かります。

そして、先週とうとう、こんな動きがありました

①20日(水)・21日(木)伊勢で借りて鳥羽で返す方のため、19日(火)伊勢へ車いすを持っていく
②23日(土)・24日(日)伊勢で借りて鳥羽で返す方のため、22日(金)伊勢へ車いすを持っていく
③23日(土)・24日(日)鳥羽で借りて伊勢で返したいというお客様のために、24日(日)夕方、伊勢へ車いすを回収しにいく。

事前に運んでおいた①のための車いすが鳥羽に戻ったかと思ったら、②のために再び伊勢に運び、やっと鳥羽に戻ってきたかとおもいきや、③により伊勢に持っていかれて、スタッフが回収しにいく。


まさに車いす交差点。
これが上手い具合に、伊勢に返したものが翌日誰かが伊勢で借りて鳥羽で返したいという風に行けばいいものですが、そんなわけにもいかず。

車いすを置きに行っても、置きに行っても、返って来て…というなんとも非効率な動きをしています。

ということで、今年は、このシステムを重点的に改革していく必要がありそうです。
行政管轄内での動きは、観光客起点ではありません。
いかにスムーズに観光していただき、気持ちよく帰路についていただくための必要なサービスなのです。

よりよいサービスをするためには、ある程度稼動し、お客さんの声を聞いていくからこそですね。

神戸(カンベ)じゃないよ神戸(コウベ)やよ

2009-04-01 22:13:04 | ハサカル
今日、帰りに近鉄鳥羽駅に寄ったとき、見慣れない看板が…。



うわ~、「神戸」の文字がこの駅で見れるなんて!!
感激ぃ。

あ、三重県には神戸と書いて「かんべ」と読む地域があり、近鉄に「伊賀神戸駅」(いがかんべえき)というものもありますが、そこではありません、兵庫県の神戸「こうべ」です。
 
伊賀神戸駅 ←クリック 


そう、この3月から阪神線と近鉄の間で相互直通運転がはじまり、三宮~近鉄奈良間が乗り換えなしで往来することなったのです。
 ↓
http://www.kintetsu.jp/news/files/hanshinsotyoku20090116.pdf

と言うことは、必然的にどこかで一度乗り換えれば、神戸から伊勢志摩に来れるわけですよ。
だからこの看板ができているわけです。

神戸の方、簡単に伊勢志摩に来れるようになりましたよ~!!
来てくださいね~!!

横浜市会議員の方々が視察にいらっしゃいました

2009-01-28 17:34:27 | ハサカル
23日(日)に横浜市会議員のみなさまがセンターの視察にいらっしゃいました。
朝からの視察で、その後の電車の時間も決まって見えましたので、駆け足での説明になってしまいましたが、みなさん、とても興味深く、話を聞いてくださいました。



横浜市は今年、開港150周年記念の大きなイベントがあるそうです。
そういえば、セーラビリティ伊勢にもその関連で、横浜で行われるアクセスディンギーの大会参加と協力のお願いがきていました。

そのイベントの会場やアクセスのバリアフリーなども考えていかなければならなくて…という課題をお持ちでした。

修士論文でNPOを語る

2009-01-17 15:20:50 | ハサカル
このブログをお読みの方、ここで登場したこともある、三重県からの出向で2年、鳥羽市の観光課に勤めていたSくんを覚えておいででしょうか?
思い出してください↓
http://blog.goo.ne.jp/hasakaru/e/27aad9fe7a5ddfff7095470485100372

ツアーセンターがまだヨチヨチ歩きだったころ、いろんな意味で支えてもらっていました。
懐かしいです。

そんな彼がですね、鳥羽を離れてから、県職員を勤めながら大学院へ行くという話は本人から聞き、すごいな~って感心していたのですね。

で、去年だったかに会ったとき、修士論文にとりかかっていて、それがNPOが自立するために、行政は何ができるか?というような内容だと聞いたとき、嬉しいという一言では済まされない、なんだろう、心がとても熱くなりました。
きっと、おそらく、この課題を選んだのは、まさしく私たちツアーセンターを見てきたからこそであり、あの2年間が彼のターニングポイントになったと思うと、嬉しいことでもあり、責任を感じることでもあります。


さて、その彼が、年が明けて、修士論文提出目前のとても時間としては惜しい時期であるにも関わらず、センターに来て、その修士論文を見てほしいと来てくれたのです。
センターの専門員である皇學館大学のI先生も一緒です。



修士論文は地方自治体によるNPO支援はなにが優れているのか?パーセント条例も新しい協働のあり方なのではないだろうか?というところを付いたものです。

パーセント条例、日本では真っ先に千葉県の市川市が取り入れたものですね。
出来た当初は、すごい画期的と、羨ましく思ったものです。
それ以降も、いろなんな自治体がカタチを替えながらパーセント条例のよようなものを取り入れているようです。
しかし、どれも市単位。
ツアーセンターのように、広域で活動する団体には、実に微妙な条例だったりする。

Sくんの論文の内容を聞いていくと、さらにパーセント条例の優れた点と、反面に課題も出され、とてもよく分りました。
また、さすがI先生は、日本の寄付に関わる文化や歴史なども入れたほうがいいのでは?という助言も…。
さすがです。
ここで、NPOが社会でどのような位置づけなのかということもアメリカ系とスウェーデン系というのがみえてきました。

私はといえば、現場の声として机上で作られたものでなく現場を見て欲しいという願いですよね。
Sくんは2年間もツアーセンターを見てきたのだから、ヒシヒシとそれらが伝わったはず。
ぜひ、論文に活かして、そしてさらに、職場(三重県)でもっともっと活かして欲しいと思います。




パーセント条例を含めて行政の助成などは大概が事業に対してのものが多いですが、本当は運営に関わるものに対してのものが本当は喉から手が出るほど欲しいのが、NPOの正直なところ。
ま、事業への支援の方が、結果が見えやすいというのは分かるんですけどね。

毎年毎年新しい事業に対しての助成があっても、一年で終わってしまう事業ではただの打ち上げ花火にしかすぎません。

運営がなりたってこそ、いい事業ができると私たちは思うのです。

そこの部分、センターに限らず、NPOの課題ですよね。

各立場(行政・学校・NPO)が集って話をしたからこそ、いろんな実のある話ができました。
とてもいい時間でした。

いい機会をありがとう、Sくん。

パーキングパーミット制度カードが世界共通になる日は近い?

2009-01-06 14:10:26 | ハサカル
みなさん、パーキングパーミット制度というのをご存知ですか?
永遠のテーマと言われている、障害者駐車場(車いす対応駐車場)への心無き使用のされ方、本当に必要な方もそこを管理する施設の方たちも悩みの種であります。

 

パーキングパーミットとはアメリカやカナダなど外国で行なっている制度。申請制で、このカードがなければ、施設等の障害者駐車場(車いす対応駐車場)への駐車できないことになっています。
カードがなく、停めてしまったときは罰金です。
それがいくら障害者であっても…。です。


そして、短期間限定の申請ができることから、一時的な骨折などの怪我や妊婦さんなどにも発行ができ、必要な方が、堂々と障害者駐車場(車いす対応駐車場)を使えるようになります。
この制度ができることで、施設側も「制度だから」ということで、今まで逃げ腰だった必要ない人への駐車の注意もしやすくなり、その分、本当に必要な方に止めてもらえるスペースが空くことになるそうです。また施設側も大変協力的になり、障害者駐車場(車いす対応駐車場)の区画を増やす傾向にあるそうです。

日本でこの制度をいち早くと入りいれたのは佐賀県です。有名ですよね。


一昨年、佐賀に行ったとき、知人に見せてもらいました。


佐賀県パーキングパーミット制度 クリック

そしてこの制度、現在は7県1市取り入れてきているようです。

そんな話をしていたのは、年明け早々、知人でクイッキーの車いす輸入会社の社長であり、ダイバーであり、自らチェアーウォーカーの山崎さんと電話で話していたとき。
全然、違う話で電話していたのですが、佐賀県の話になり、パーキングパーミットの話になりました。
山崎さんはこのパーキングパーミットを日本で広めてきた人でもあります。

詳細(山崎さんのパーキングパーミット普及活動) クリック

とても興味そそる話でした。
さて、その話の中でもっとも、画期的な話を聞いてしまいました。

よく海外へ旅行される方はこのパーキングパーミットで泣いた方もいらっしゃるかもしれません。
上記に伝えたように、このパーミットのカードがなければ、障害者駐車場(車いす対応駐車場)に停められません、外国では手動装置付きのレンターカーもあり、チェアーウォーカーには便利な旅行地でもあるのですが、このカードがなければ、行く先々で苦労することが目に見えているのです。

しかし、アメリカの車いす輸入会社をしていることもあり(アメリカ在住経験あり)、その手立てを考えてくれたのが山崎さん。
アメリカ大使館に掛けあって、なんと、日本で使っているパーキングパーミットのカードも使用できるように交渉し、アメリカ全州日本のカード提示でもOKになってきているとか…。
もちろん「PARKING PERMIT」の英文がないと通用しなさそうですが…。

それについての詳細 スクロールして(山形県身体障がい者等用駐車施設利用証制度スタート<2007年6月15日>のところを見てね) クリック


そんな海外の話を聞きながら、観光地である伊勢志摩でもしこの制度を取り入れるなら、年末年始のパーク&バスライドの障害者駐車場(車いす対応駐車場)のことといい、それこそ旅行中の数日有効のカードなども必要になるかもしれませんね。

パーキングパーミット制度をどこもが取り入れて、全国はもちろん、世界共通するものになればいいですけどね。

車いすマーク(国際シンボルマーク)や四葉マークのように誰もが手に入り、間違った使用がされない対策も考えないといけません。

 
三重県では現在思いやり駐車場というのができています。
車いす使用者のように幅は必要ないけど、
出入り口近くに車を停めたい肢体不自由な方などへの駐車場です

 

でも、一番の理想は制度などに縛られずに、みなさんひとりひとりの気持ちによる、「停めていい人」「停めなくていい人」ということがキチンと考えられ、思いやりやゆずりあいながらの駐車場になるといいのですけどね。

神宮サポートボランティア 神宮は年末年始色

2008-12-16 16:10:23 | ハサカル
12月4日(木)
四日市在住の79歳のおばあさまが、ご姉妹で伊勢神宮参拝をしたいのだけど、二人とも体力がそんなに無いから、サポートをお願いしたという依頼があり、この日「神宮ボラ」として出動しました。



今回は、普段は手押し車で移動しているけど、内宮の片道800メートルの砂利道となると不安なので、車いすを使用したいということでした。
でも、その車いすを介助してくれるのは妹さんではできないようなので、サポートが必要なのです。
そして、いつもの正殿前の階段は、自力で歩くから手や肩を貸してもらえれば…。



ということですので、サポーターが力持ちでなくてもOK。
なので、神宮案内を含めて女性3名でお手伝いしました。

参道沿いの紅葉はとてもキレイでした。

 

途中神宮の電動車椅子の調子が悪く、神楽殿で手動の車いすに交換してもらいました。



今まで何度も借りてきて、初めての出来事。
電動車椅子は内宮だけでも年間3,333名もの貸し出し対応をしているというから、それは電動車椅子にも不具合が出てくることでしょう。
衛士さんも、充電こまめにしたり、時々メンテナンスしている姿も見かけるので、とても大事にしてくれていると思います。

使う方も様々ですから、私たちも借りるときは大切に扱おうっと。

お客様のサポートは、スムーズに、階段も少ししたサポートをするだけで、基本的に元気な方だったので、こちらもリラックスしてお手伝いできました。



12月のはじめでしたが、すでに神宮は年末年始の準備にかかって、帰りのスロープなども出来ていました。



仮宇治橋も、もうできそうでした。

 

平成20年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン 推進功労者表彰 内閣府特命担当大臣表彰奨励賞(長っ)

2008-12-14 17:33:04 | ハサカル
実は、じつは…、地元新聞などでも取り上げていただいたので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、伊勢志摩バリアフリーツアーセンターまたもや「平成20年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン 推進功労者表彰 内閣府特命担当大臣表彰奨励賞」(長いっ!)をいただきました!!

パチパチパチ

こんな大事なことは、新聞に載るより先にここで発表しておかなくては、いけないことなんですけどね。

今年の3月の国交省の受賞に引き続き内閣府からです。(ちなみに前回同様もらえるものは賞状と盾のみ)

 

国交省が内閣府に推薦していただいたという流れなんですが、実は、国交省よりもずっと前に、この賞には以前(4年ほど前)にノミネートされていたのです。
そのときにも一度ヒアリングまでいきましたが、当時ちょうど県からの補助金もなくなってこれから、自立運営を本腰にってころでした。
だから、落選した理由は「継続性に不安が残る」でした。

今年もこうしてノミネートされて、4年前にヒアリングきていただいた方(委員のなんと委員長である野村先生)が再度きてくれました。
なんだか嬉しいです。

だって、4年前からどんなに変わっているか?って見てもらえるわけでしょ?

4年前のまだ不安の残るNPOから成長していたかな?成長していたから、今回受賞させていただいたって思って言いわけよね


本当にありがとうございました。

さて、この受賞式が12月3日に内閣府官邸で行われました。

当日までにすったもんだいろいろありましたが、なんとか当日を迎えました。

東京在住の理事長と私が出席。

なんと、今回受賞者の中に、何度も行っている島根県松江市の「プロジェクトゆうあい」さんも受賞されていました。
おめでとうございます。
前日にそれを知り、盲導犬のノアくんをはじめ、みなさんに会えることをとても楽しみにしていました。



詳しい受賞者のリストはこちら ← クリック


さて、その授賞式には知り合いがいたり、委員の方々にも二度もヒアリングに来ていただいた野村委員長や関根さんもいて、行くのも楽しみでした。

授賞式では理事長が賞状を受け取りに行っていただき、私は随行者。

写真は禁止だったので、ないです。あとで送ってくれるそうですが…。
まだかな~。

 

総理大臣賞の団体は、麻生総理から直接もらっていました。

うちは、野田聖子大臣です。

受賞式後は祝賀会です。

 


総理は受賞が終わると公務で帰っちゃいましたが、野田大臣はしばらくいてくれて、少しお話しすることができました。
とてもキレイな方です。



大臣も岐阜で子育てのNPOを作ったんだけど、やはりお金の工面がたいへんだったこともあり、内閣府認定のNPOへ変更し、全国レベルへ移行し、いろんな方々と対談をしながら、企業からの寄付をもらったりしているんだとか。
いろいろ勉強になります。
私たちがしていることをとても応援してくれました。

あ、一緒に写真を撮ってくるのを忘れました。

祝賀会では、各団体が簡単な自己紹介をしました。



理事長は相変らず、「表彰するなら金をくれ!」と言って、NPO団体から笑いを誘っていました。きっとみんな思っていたことなのかもしれません。



祝賀会が終わると、それぞれ団体の取り組みを発表する場です。
理事長は賞状をもらう番。
私は発表番でした。

会場へ移動すると、そこでは前半「障害者週間の集い」というが行われていて、その後半部分で私たちの発表の場が設けられていました。

会場に入ると、あれ?あれれれ?
見たことあるチェアーウォーカーが…。

三重県身体障害者連合会福祉連合会の山本会長、です。

東京のこんなところに来て、山本会長に会うとはびっくり。
お互い笑ってしまいました。
だって、今年の秋のパラリンピックでも偶然にも同じツアーだったし…。なんだんでしょうか?
縁があるのでしょうか…。(笑)

そんなわけで、発表です。

 



といっても、各団体の時間は5分と決められており、あっという間です。
パワーポイントも用意していきましたが、5分をパワーポイントも使ってってというのはなかなかな難しいです。
普段は1時間半ほどの講演ですから…。
たまには、こうした短時間で言いたいことを言う練習もしないといけませんね。

さて、私の写真がないのは、実は、理事長今日の夕方から仙台へ仕事で行かなくてならなくて、その準備にとそそくさと、一旦自宅(東京)へ帰っていたのです。

私の発表の時には戻ってくると言っていましたが、結局間に合わず。
の事態です。
いいです、いんです、見られていたとしても、いつものごとくダメ出しされることだったろうし…。

とかなんとか、いろんな活動の話も聞けたのも勉強になりましたし、なによりも、みなさんと、挨拶しているときに、ツアーセンターのことを知ってくれている団体が多かったこと、とても嬉しかったです。

挨拶できなかった団体もありましたが、もっとゆっくりいろいろオハナシできる機会を設けてほしかったな~。
良く似た志を持っている団体たちなので、きっと話も盛り上がるんだろうな。