HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

鳥羽高授業 卒業前のパンフレットづくり

2008-01-26 16:05:14 | 講演・視察
この1年間ドキドキしながら挑んできた初めての先生業。
教員免許も持っていなければ、高学歴でもありません。
でも、得意なものを持っていれば、先生になってしまうこともあるのですね。
なんだか不思議です。

昨年4月より始まった地元鳥羽高等学校において毎週水曜日の午前8:50から2限分「観光とバリフリー」という授業をおこなってきました。

1学期は基本的なバリアフリーとはなんぞや?などということをテキストや、実際チェアーウォーカーや盲導犬使用者などもゲストに招いて授業を行い、2学期は旅館、観光施設、公共交通機関などに実際出向き、バリアフリー調査を行う作業をしてきました。

そして最終3学期です。
受け持った学年は3年生なので、3学期は1月で終わり。
そんな短い時間ではありますが、この1・2学期で学んだことをパンフレットにまとめて、発信することを学んでもらっています。

みんなの条件は
・A4紙をどのように使ってもOK
・折り方も自由
・両面片面どちらでもOK



内容は大きくは2学期のバリアフリー調査したところなどですが、1学期に学んだバリアフリーのことでもOK。
誰をターゲットにするか?どんな内容にするか?などなど、最初に考えてもらってから作業開始。

 

最初、出来るかな?こんな説明で分かったかな?
みんなこの1・2学期で学んだことちゃんと頭に入ってくれているかな?見てきてくれたかな?などと不安ではありましたが。
そんな心配は無駄でした。
最初はブーブー言ってはおりましたが、いろんな写真を貼り付けたり、自分の言葉で原稿を書いたりしていることがとても楽しくみえました。
今回は、配るわけではないので著作権は目を瞑ってもらうことにして、パンフレットも切ったり、トリミングしたり…。

 
 
どちらかというと、工作ですね。

中には、パンフレットの色の部分を自分なりにハートに切り取って、コラージュしたり。
折り方も普通に三つ折もあれば、ミニミニ冊子風にしたり、袋とじにしたり。
同じ写真を使っていても切り方1つで違うものになったり。
キャラクターを作り出したり。

 

みんなの発想がいろんな形になって、もう、見ていて楽しすぎです。

 

最終授業はテストですが、みんなの作品発表をしてもらうことになります。

 


皇學館大学で講義してきました

2008-01-26 13:45:30 | 講演・視察
15日(火)に、センターの専門員である皇學館大学板井先生の依頼で名張校へ朝から行ってきました。
同じ三重県内といえどもやっぱり名張は寒いです。
3回生たちに、これから卒業論文を作成するにあたってツアーセンターが推奨する「現場主義」を熱く語ってほしいというリクエストです。

私は大学に行っていないので、卒論を作成したことありませんが、ツアーセンターには毎年卒論相談にくる大学生が何名かおります
しかし、そんな簡単には協力しませんよ。(笑)

「現場主義」な私たちは、センターに来て話を聞いていくだけでは受け付けません。
大学生たちにもバリフリー調査に連れて行き、手伝ってもらいます。
実際チェアーウォーカーたちと調査に同行して発見すること、気づくことがありますから。

ということで、今年度も2名の大学生を引きずり込みました。
もし、卒論のため話を聞いてみたいわって思う学生さん、ぜひ一緒に調査に行きましょう!

講義の内容は、型にはまったテーマにとらわれず、バリアフリーや福祉の視点で行くなら、まずは、「自分の好きなこと」を考え、そこから福祉の視点の「どうして?」「なぜ?」を追求してみましょうという提案をしてきました。
その方が現場に行こうという気持ちになれます。

ようするに、音楽が好きなら、
「そういえば、自分たちが行くライブハウスって地下や2階あるけど、チェアーウォーカーたちはどうやってライブハウスに行くのだろう?実際バンドしている障害者たちもいるだろう?」
ってなったら、ライブハウスのバリアフリーはどうすればできるか?
バンドをする障害者の人たちに会いにいってみようってなるでしょう。

ファッションが好きなら、
「服は人間が立ってきれいに見えるデザインになっているけれど、車椅子に座ってもきれいに見えるデザインってどんなんだろう?」
となると、チェアーウォーカーの服を選ぶポイントを聞いたり、片麻痺の人の脱ぎ着しやすくなおかつオシャレな服を探しをしてみたり…。
いろいろ膨らんできます。

とにかく、自分の「好き」なことを、どんな人でも楽しめられるんだろうか?を考えてみればいいです。

ツアーセンターもそもそもそこから始まっていますからね。

旅行も、食べ歩きもして楽しんでいる私たち。
でもはたして、障害者の方たちはそれらを同じように楽しんでいるのだろうか?

何があれば、楽しめるのだろうか?

信頼できる情報と相談できる場所バリアフリーツアーセンター

ね。

イセシマン新年会2008

2008-01-26 13:32:13 | イセシマン
イセシマンの新年会がありました。
14日(月)の夜の出来事ですが…。
鳥羽の江戸金さんで、パソコン、プロジェクター、スクリーン持込で、文化村のショーの上映会などを行いながら、美味しい海の幸をいただき。

 



タチウオ美味しかった…。

料理を運ぶお店のスタッフもスクリーンに釘付けになってましたよ。


別ちゃんパラリンピック出場おめでとう!&プレ大会激励会(写真追加)

2008-01-25 23:51:31 | アクティビティ
バリアフリーツアーセンターの専門員の一人であるチェアーウォーカー別ちゃんこと、別当由香さん。
車椅子バスケットの選手であり、ツアーセンターでもバリアフリーの調査の時やちょっとしたモデルをしてもらったりすることがあります。



私と同じ年なんだけど、彼女の大らかさや茶目っ気は見習わなければならないし、そしてがんばりは、それはそれはもう感服ものです。

そんな彼女を前から見てきていますが、そのバスケットへの想いを恋愛に向けたら今頃は…なのですが。



ま、それは置いておいて。

4年前のアテネのパラリンピックのときは、バスケットの代表選手を狙っていたものの、選ばれず…そのころの彼女の悔しさは今も思い出せます。
次こそは!という意気込み、その決意は本物だと感じましたからね。
誰か何か出来るわけではありませんが、何とかしてあげたい思いでもどかしさを感じました。

浜島町在住の彼女は、仕事場まで通勤1時間、日々のバスケットの練習体育館も仕事場から1時間を通い、それに週末は名古屋まで練習
他にも合宿や海外遠征なども参加して、それはそれは、忙しい日々を過ごしておりました。
仕事とバスケットの両立で、その時間と同じくらいの移動…。
同じ年の私としてはその体力の持続は相当なものだと思います。

さて、そんな彼女がですね、この4年間の成果とアテネの悔しさをバネに、今年の北京パラリンピックに代表選手に選ばれたのです!!

 

もう、自分のことのようにうれしいです。
地元でがんばっているこうした選手がいると、私たちも力が湧いてきます。

ちなみにポジションはフォワード。しかも副キャプテンも兼務しているんだって。

パラリンピックは今年の秋ごろになりますが、その前に、パラリンピックのプレ大会が今ごろから始まってきています。
車椅子バスケットの大会(出場国はカナダ・ドイツ・日本・中国)が2月17日~25日に行われるため、15日から北京に旅立つ別ちゃんのために、14日(月)に扇芳閣にて激励会を行いました
なぜに、扇芳閣か?と言うと、実は別ちゃん、扇芳閣のUDルームのモデルもしているのですよ。

  

そのこともあって、扇芳閣さんが企画してくれました。

 


みんなの前で、目標を伝える姿がとても大きく見えました。
伊勢志摩の誇りです!!!



と、この日記を書いているときに既に大会最終日ということもあり、結果も別ちゃんから随時報告が来ていたので、お知らせします。
結果も出てしまっています。(笑)



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予選2日目が終了しました。昨日の中国との試合は、62対47で勝ち、今日は、カ
ナダとして52対42で勝ちました。明日、ドイツと対戦しますが、勝てば予選1位
通過になります。
なかなか日本調子いいですよ。



今日のドイツ戦!48対43で負けました。
前半は10点差以上つけてリードしててんけど、後半追い付き追い越されちゃいました。
惜しくも予選2位通過。
今大会、私、副キャプテンなの。
チームをまとめること。
キャプテンをサポートすることもめっちゃ大変。
おまけにドーピング検査の対象選手になってもて、試合以外のところでもいい経
験させてもらってます。
明後日から決勝トーナメントが始まります。
また、結果報告しますね。



決勝トーナメント、たった今、終わりました。
カナダと58対38で負け。外国人チームはよく予選は手加減して決勝トーナメントで本気出してきたりするのよね。
してやったり!って顔されてむかつく!!!
明日、最終試合中国とです。頑張って、3位になりますわ。



61対42で日本勝ち!3位確定で銅メダルゲットしてきました。
優勝はカナダ、2位ドイツです。
日本も本番までに修正すれば絶対上位に食い込めると確信しました。
また、日本に帰国してから練習に励みます。

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という結果がリアルタイムに北京から報告がきておりました。
すごいです!!
銅メダルゲットで帰ってきてくれます。
とても楽しみです。

もう、これも自分のことのようにうれしいです!!
なんだろう、彼女のこの純粋なバスケットへ注ぐ想いがとても伝わってきます
そして、その喜怒哀楽がそのままぶつかってきて、それがとても心地よかったです。
でもって、この前向きさがさらに私たちに力を与えてくれます。

 


本当はもっとリアルタイムにブログに更新すればよかったのですがごめんなさい。
ますます本番のパラリンピックも応援行きたくなってきました。
どうするよ、本当にパラでメダル持って帰ってきたら…。
ワクワクしてきました。

HMG注射が始まっています

2008-01-20 21:30:04 | 不妊治療報告
なんせリアルタイムでない日記で申し訳ないですが、恐怖の穿刺が終わって、数日後に生理が来ました。
生理が始まったら点鼻薬のサニナール開始です。
毎日朝と夜2回、欠かさす片鼻に一回。
携帯電話のアラームを利用して、忘れないようにしています。
この薬は、排卵してしまわないようにするための薬です。
生理の低温期が終わってしばらくすると排卵が起こる高温期になるのが普通の女性のサイクルです。
排卵期が妊娠しやすい時期であるのですが、私の場合は、そこで勝手(自然に)に排卵されてしまうと、採卵できなくなってしまうので、排卵しないようにこのサニナールで低温期を保っているのです。
だから採卵するよ~っていう直前までこの薬は続けます。

生理が終わるころ、過酷な毎日注射(筋肉注射)がはじまりました。



HMGという注射です。
これはヒト閉経ゴナドトロピンといって、閉経後の女性尿から抽出した卵巣を刺激するホルモン剤です。(よく考えれば、スゴイ素材で出来ている薬やな)
このホルモン剤を投与すると卵胞発育が促され、卵巣には多数の卵胞が成長します。

人間は卵巣にいくつも卵胞が出来るのですが、その中で排卵できるぐらい成長する卵は1個が基本です。
しかし、このHMGを打つことにより、排卵可能なほど成熟した卵がたくさん出来るのです。
ようするに、卵をたくさん産めるのですよ。
私の場合は、体外受精なので、より授精できる成熟した卵が必要なため、HMGの力で育てているのです。

実は、前々回はあまり卵が上手く育たなかったので、これ以上やっても無理と言って体外受精に至らぬまま注射途中の時点で断念。
前回は、体外受精までこぎつけたものの、先生曰く、卵の粒が揃っていないからな~という、不安を抱きながらなんとか授精させたものの、上手く着床せず、失敗。
そして今回。
卵が重要であることはよく分かった。
とにかく質のいい卵を成熟させるのが私の今のお仕事なのです。
かといって、何をすればいいわけでもなく、何をしてはいけないわけではなく…。
睡眠をとる方がいいのかな?と思ったり…。
寝る子は育つと言うし…。

過酷な注射と言うのは、とにかく何があっても土日祝日限らず毎日注射
私はわがまま言って、市内の婦人科(不妊治療もしている本橋産婦人科)にて注射を打ちに行っています。
松阪まで毎日通うのはちょっと負担になると思っているから検診しなくてはいけない3~4日に一回ぐらいにARTセンターに通い、あとは市内で済ませております。
それでも、仕事をフライングぎみに帰ったりしているので、スタッフには迷惑かけてます。
ごめんね。
過酷な理由その2は、ちゅ、注射代が…。
保険利かないからと分かっていますが、一回7,910円。あ、済生会では6,069円やわ。
ま、要するに、貯金通帳からお金がテトリスのブロックのように、一気にドォーン、ドォーンとなくなっていくのを目の当たりにするシーズンなのです。

というわけで、注射の痛みは慣れましたが、今は一生懸命お金のことは忘れてイメージトレーニングです。
頭の中で卵巣の中で葡萄のように粒の揃った卵胞が出来ることを想像して、そうなっていることをイメージして過ごしています。
でも、正直言って注射はマジ痛いです。
ちょっと筋肉痛。

遺残卵胞をプチッとやって、チューと穿刺(長文レポート)※痛い話です

2008-01-19 00:16:39 | 不妊治療報告
穿刺(せんし):腹水などの体液や、組織・細胞を採取するために体に針を刺すこと。

1月10日(木)朝ごはんを食べてから、午後から行われる穿刺のための痛み止めをあらかじめ飲み、お昼ご飯は抜いて松阪の済生会病院ARTセンターへ向かいました。
お腹が空いていることよりも、これから行われる「穿刺」のことで頭がいっぱい。

いや、そんな思いは数日前から既に始まっていましたが。

穿刺は前回の体外受精を行う前に一度行いました。
この日記でも何度も出てきていますが、私の子宮には生理が終われば、どこかしら吸収されるなりしてなくなっていく卵胞(卵を包んでいるもの)が、いつまでたっても子宮に居座っている。
これを「遺残卵胞」といいます。
これは、それほど珍しいこともなく、体質にもよるのだとか。
なんとも解明されていないところでもあります。

この卵胞があることにより、これから行われる体外受精に影響が出るか?というのは定かではありませんが、卵を作るときに何らかの影響はないこともないようなので、「ないに越したことはない」らしい。

で、そのいつまでも居座る卵胞を取り除く処置をこの日行うことが決まっていました。
処置としては卵胞を針で潰して、チューと吸い取るのです。

前回の痛みがよみがえり、出来ることなら行きたくなかった。
でも、行かなければ前に進みません。

数日前からドキドキしていた気持ちを抑えつつ、重い足取りでARTセンターに着きました。
13:00に予約を入れていたのですが、この時間お客さんがおりません。

貸切状態の待合室=待ち時間ゼロ=心の準備は大丈夫か?HASSY!! と自分の胸に問う。

時間が来て、すぐに内診室へ。
そう、手術と言うわけではないので、内診室で全て処置が行われるのです。

まずはS先生が診察します。
前回私が、普通処置後15分ぐらいで回復するところを1時間もかけても、まだウーンウーンと唸っていたので、先生にしてみれば要注意人物でしょう。

S先生「野口さん、朝から薬飲んできましたか」
HASSY「はい、ロキソニン飲んできました」(前回先生がそうしろって言ったからね)
S先生「坐薬はしてない?」
HASSY「え?坐薬はしてませんよ」(ええ?そんなこと言ってました?)
S先生「じゃ、処置後坐薬もいれておきましょう」

そんな会話をしながら、先生は「はい、じゃ、消毒しまーす」実は消毒時点で既に痛みが始まっている。
なんせ、普段とは違う。
明らかに自然ではないことですから。

は、はい心の準備開始。
看護師さんが向こうの世界(カーテン向こう)から、私の横に来て、肩に手をかけて「がんばってください」と言ってくれています。
ありがたいです。
カーテンのこちら側に私しかいないとちょっと心細いですもん。

さて、しばらくしてからS先生が「はい、じゃあ穿刺しまーす」
見えないけれど、何か体の中を通り、明らかにプチッと、音さえ聞こえないけれど、私の身体に確かに感じた。
プチッと。
その瞬間、左下腹部というか腰というか骨盤というか、そのあたりに鈍痛

「うっ!」
という私に

相変らず、S先生は
「なんや、こんなんいつもの内診と変わらへんやろ、なんも痛ないやろ~」と、笑っています、笑って…。

い、いや、痛いですってば!!
看護師さんは私の横で、こっそり「痛くないわけないやんな~。もうちょっとやからがんばって」と励ましてくれている。

ま、いいんですよ。
これくらいが。
S先生のように、潔くしてくれた方が。
「痛い?痛いかな?痛くないようにしますからね~」とか言いながら、ちゃっかり痛くされるより。
バンドエイドをジリジリ剥がすより、一気に剥がしてくれる人のように、潔くね。
バンドエイドを剥がした跡のヒリヒリしたところを優しくなでてくれる看護師さんのような存在がいてくれればそれで私は充分です。
充分ですぅ~。(涙)

さて、針を刺して左腰に鈍痛が走ってからしばらくそのままチューっと吸い取っています。
吸い取っている感も伝わります。
不思議ですね。見えていないけれど、分かります。
長いこと吸い取っています。
多いんでしょうか?それとも針が細いから時間がかかるのでしょうか?
足がピクピクしてきました。
鈍痛は継続しています。
体がよじれそうです。

長く感じた吸い取り作業が終わると、消毒。
この消毒が、最初の消毒がよりもさらに痛い…。処置後だからか?
そして患部にガーゼを詰めて、しばし休憩してくださいと。
そうそう、痛み止めの坐薬も忘れません。
そして、診察台から下ろされます。
足がピクピクして、上手く歩けません。
もちろん腰も痛いです。
着替えて、すり足状態で、ストレッチャーで休憩。

おっと休憩する前に、感染予防の注射をお尻にチクリとします。

事前の飲み薬と坐薬が効いているのか、処置後の苦しさは前回ほどではありません。
そこそこ痛いけれど、涙が出るほどでもなく、でも軽々歩けるわけではありません。
力が抜けた感じ。
でもなんだかんだと、前回と同じくらいの一時間近く休憩しちゃいました。


苦しみながら、病院の天井を仰ぐ

前回は1時間の休憩でも足りないぐらいでしたが、今回はほぼ回復。
休憩後はガーゼを取り除き終了です。

さて、今回フト疑問がよぎり、看護師さんに聞きました。
それは、この処置(遺残卵胞の穿刺)が採卵と同じなのに、なんで、採卵は麻酔するのに、これは麻酔しないの?かなって。
すると、遺残卵胞の穿刺はプチッとするのが1回だけど、採卵はいくつも卵を取るから何度もプチプチするからなんですって。
でも、同じ痛さなことは確かなんですよね。
採卵のときは全身麻酔なんですよ。気づかない間に卵を取っていますから。
でも、確かに卵10個以上だったりするから、十数回プチプチされたら気絶するよな。

なんでも麻酔せずに採卵する病院もあると聞くから、それに比べればこれらなんてことないのだろう。
そう思おう。

なにはともあれ、体外受精準備の1ステップクリア。

ARTセンターの帰りのエレベータで、偶然N御夫妻にばったり。
うちと一緒でダンナさんがチェアーウォーカーです。
この日記もチェックしているようですが、N夫妻もがんばってね~!



 
生理が始まったら、鼻の穴にスプレーする点鼻薬。この薬は排卵しないようにする薬。保険がきかないので、15,000円くらいする薬です。

飛鳥Ⅱが鳥羽にやってきた

2008-01-13 23:45:03 | 伊勢志摩観光情報
9日の日に鳥羽湾に「飛鳥Ⅱ」がやってきました!!

後ろに見えるのが答志島

鳥羽にはこうして、時々大きな客船がやってきます。

鳥羽一番街という海に近い建物中にセンターがあることもあって、こうした船が来ると、とりあえず見に行きたくなります。

しかし、鳥羽の港は小さいため、どうしてもこうした大きな客船を港につけることができません。
そこで、いつも答志島のあたりに停泊し、そこから小さな船に乗り換えてみなさん陸へ降ります。
この日もみなさん小さな船に乗り換えて、朝から伊勢神宮へ参拝に行っていたようです。
正月ですもんね。

さて、鳥羽ではこのように大きな客船が鳥羽にしばし停泊して帰る際に「リメンバー赤いハンカチ」が恒例行事になっております。
これは地元鳥羽の人たちを乗せた志摩マリンレジャーさんの船で停泊した客船近くまで寄り、再会を約束する赤いハンカチを客船向かって振るという鳥羽特有の恒例行事なのです。

 
船の二階へは階段ですが、チェアーウォーカーも船に乗ることは可能です

これは、その昔、御木本幸吉が別れのとき赤いハンカチを振ったことがはじまりとなっているんです。

これまで、何隻も客船を鳥羽で見てきましたが、いつも陸からその大きさに驚いていただけでしたが、今回初めてこのリメンバー赤いハンカチに参加してきました。
ハンカチは船に乗るときに配布されます。
何度も参加される方は、マイハンカチ持参です。

陸から見ている船とはまたさらなる迫力を感じる大きさに圧倒されました。
まるで、ビルが海に浮いているみたい。

 
大きいですね~。何階建て?

いやはや、この伊勢志摩にこれくらい大きなビルもあっただろうか?というぐらいです。
この日650名の方が飛鳥Ⅱに乗船されていたそうです。

時間帯的(16:30~)にも丁度サンセットクルーズです。
お見送りに来ているのに、なんだかラッキー。


夕日がよく似合います

見送るみんなで船の2階にあがり、赤いハンカチを思い思いに振ると、飛鳥Ⅱからも赤いハンカチを振り返してくれます。

 
赤いハンカチは目立ちますね。この日私は赤いマフラーもしていきました

会ってもいないのだけど、なんだかこの赤いハンカチを振り合うだけで、心が通うな気さえしてきます。
船と船の距離が縮まった気がします。


飛鳥乗船のみなさんも赤いハンカチを振ってくれています

そして、17:00の出航が近づくと飛鳥Ⅱから、「ブォワーン ブォワーン」とおなかに響く汽笛を鳴らされました。
私たちの船もそれに応えるように少し高い目の音で「ポワーン ポワーン」と鳴らす。

これもなんだか悲しい音なんだけど、再会を約束したようなそんな気持ちになる気がします。

 
日が沈むとライトアップもされて、とてもキレイです

夕焼け、海の上、汽笛、赤いハンカチ…なんだか忘れがたい光景でした。
飛鳥Ⅱの人たちの鳥羽の思い出になったでしょうか?
ぜひ、また来てくださいね。


寒い中赤いハンカチを振ったメンバーは暖かいお茶がいただけます

皆さんも是非、「リメンバー赤いハンカチ」体験してみてください。

遺残卵胞穿刺の勇気

2008-01-12 17:36:17 | 伊勢志摩観光情報
午前中のイセシマン出動の任務が終わり、寒さって、こんなにも疲れさすのだと実感しつつ、夕方、松阪済生会病院のART検診に行ってきました。

12月下旬の検診でもらった薬がこの日で切れるため。
薬はこの日で終わり、そして遺残卵胞がまだいらっしゃるということで、どうするかS先生と相談。

S先生「どうします?」
HASSY 「う~ん。まだあるんですよね?」
S先生「別に取らんでもええけど」
HASSY 「(体外受精に)影響ってあるんですよね」
S先生「なんとも言えんな、ないかもしれないし、あるかもしれない」
HASSY 「ああ、あん時遺残卵胞取っておけばよかったって思うのは悔しいので、やります、やりますよ。」(かなり勇気)

あの痛さがよみがえる…

と言うわけで、10日(木)に、遺残卵胞を穿刺し、採取することになりました。

2008年イセシマン初出動は宮川河口

2008-01-12 14:40:43 | イセシマン
2008年初イセシマン出動は1月7日(月)
それは、それは、正月のあの天気がウソのような、シトシトと冷たい雨が降る寒い日でした。

朝8:30に宮川のラブリバー公園に集合して


そりゃ、寒いので、変身後も本番じゃないときはコートを羽織ります


イセレッド
トバブルー
シマイエロー
ワタライガー

それぞれがその場で着替え。

さて、何が行われるとかと言うと…。

環境省の仕事で「漂流・漂着ゴミ問題を解消するための調査」と題して、三重県の川から伊勢湾へどのようにゴミの漂着が各海岸へ行くか?という実験調査を行うのです。

特に伊勢湾口である鳥羽の離島へは台風などが来るたびに川からの漂着ゴミで漁場が荒れたり、船が出せなくなったりと、大変だったようです。



各川から100本の漂流ボトル(ペットボトルみたいだけど、きちんと分解される素材で出来ています)を流すのです。


漂流ボトルとはこんなものです


そのひとつの川である宮川からこれらのボトルを流す際、イセシマンもお手伝いに行ってきたのです。


記念撮影です

ラブリバー公園でイセシマンとマスコミの方々にレクチャーをし、そこからさらに6キロ離れた宮川河口へGO!
かなり河口です。もう海です。ほとんど。

雨も強くなるし、寒いし。
しかし変身すればそんなのへっちゃら!モゴモゴムニュムニュ…と声は小さくなります。

最初、調査事業委託者が一生懸命ボトルを川に向かって投げていました。
なんでもライフジャケットをしてないとその作業はしてはならないということ。
そんなの聞いていないよ~。
で、イセシマンは一体何をすれば?
という状況でしたが、マスコミの方のひとりが「イセシマンにもボトルを投げさせてくれ!でないと俺らは何のために来たかわらかんぞ!」という発言が…。

う、うれしい。
それと同時に、マスコミのカメラが一斉にイセシマンに向いた。

 
みんなで投げ込み、無事を祈って、見送る。


ということで、きちんとお手伝いをさせてもらうことになりました。

マスコミのみんなの期待に応えられてよかったです。

さて、これから1~2月かけて、伊勢湾をさまよって、どこかの海岸へ漂着します。
みなさんの住む地域の海岸に届いたら、ボトルに書いてある電話番号へ連絡してくださいね。


がんばって、伊勢湾をさまよってね。


100本に1本でもイセシマンからの手紙が入っているよって言ったら、もっとたくさんの人が海岸へ探しに行ってくれたかもしれませんね。
提案しておけばよかった。もしくはコッソリ忍ばせておけば…。

ところで、今は丁度海苔の養殖シーズン。
河口にある海苔養殖の網に早速かかる予感が…。

新春浜千代館ライブは卵焼きで始まる

2008-01-12 11:46:46 | 伊勢志摩観光情報
1月6日(日)の夜は、新春みはるさんジャズライブでした。
パートナーと二人で出かけましたよ。



さすが、お正月です。
着物で登場のみはるさん。
ジャズにもよく似合います。



今日の歌声も心にシビレます。
少し甘い目の卵焼きも、とろけそうです。



みはるさんのしぐさを見ていて発見したのですが、ピアニストの新田さんとのサインがさりげなく指先でされているのを目撃



なるほど、これで、リピートあと1回とかしているわけなんですね。
ウフフ。
今までもしていたんだろうけど、気づきませんでした。
違う楽しみを見つけてしまいました。

さて、本日のライブの客席には、珍しい顔ぶれが…。
な、なんと伊勢市長がご夫婦でいらっしゃっていました。


きっとみはるさんの声に聞きほれて常連客になってくれることと思います。
そんな魔力のある歌声ですからね。
来月も来てくださいね~市長!!

次回は2月10日(日)20:30~ですから!