HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

年度末は容赦なくやってくる

2011-03-25 23:05:23 | HASSY語録~ばりふりつぶやき~
毎度、年度末が来ると考えるのが…

「一年間、毎月の日数を自由に決められる、年俸制みたいなことができればな~」

ようするに、6月は20日まで、3月は45日ぐらいほしい!
ま、一年365日であるのは変わりないんだけど、年度末もせまった2月が28日までしかないのはなんとも、酷すぎる。
そして、なんなら3月はうんと日数がほしいわけで…。

無理です。そうですよね。

で、本日は、朝から伊勢市への報告書の最終詰めを自分で自分の尻を叩き、なんとか午後イチで完成。

昼からは、打ち合わせ
15時からは伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの検討会。
とても素晴らしい意見もあり、有意義な時間でした。

夕方は、全国ICTの事業の書類整理。これも31日までに揃えて提出なのです。
ドキドキです。
できるんでしょうか?いや、しなくてはいけません。
ほかにも今年度中提出ものもありますが…。

夜は、夜でイセシマンミーティング。

明日はお休みだけど、家でパートナーの看病しながら洗濯&仕事を家でしま~す。


災害ボラ進捗ですが、先遣隊が4月1日からの出発を予定しているようです。
軽油ローリーちゃん、活躍か?
しかし、ガソリンスタンドの店長が仕事の都合でどうも先遣隊同行は難しい感じになってきました。心配です。
一応、先遣隊メンバーに資格を持っている者がいるようなので、大丈夫そうですが…。

それでも、軽油ローリーの貸し出しは大きいです。
そんなガソリンスタンドも本日25日でお店を閉めてしまいました。
とても残念です。
結婚して8年間はお世話になったガソリンスタンド。
決してガソリンが安いわけではなく、むしろ、ヨソよりも高かったです。(笑)
でも、私もパートナーも「安いガソリンスタンドに乗り換えようか?」という、ことは言い出したことはありませんでした。
二人とも、このお店の店長の人柄がとても良いということから、ガソリンを買うというより、”この店長からガソリンを買いたい”という思いで行っていました。
それだけに、閉店はとても、とても残念です。

いつもの店長の「のぐっつぁん」という元気な声も聞けなくなるのですね。しみじみ。

軽油ローリーを借りることができたのも、そんなつながりがあったからこそ。(ほかにもいろいろ困ったときに助けてもらいましたが…)
ただモノを購入するだけでなく、コミュニケーションをとってこそ繋がる人と人、心と心なのです。
だからこそ、いろんな更なるつながりや、広がりが出来ていくのだと思います。

そんなコミュニティがひろがるプラットホーム的な小さなお店が地域から少しずつなくなっていくこの時代。

商品が近くで買えなくなるだけでない、もっともっと大事なものを失ってしまうような気がします。

何かあったときには、頼れる人がいる。そんなお店でありました。
エネオスフロンティア中部支店 二見SSさん、長い間お世話になりました。
ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

不妊治療治療助成申請してきました

2011-03-23 22:04:30 | 不妊治療報告
昨日今日と、三重県に「特定不妊治療助成事業申請」、伊勢市に「不妊治療医療費助成金交付申請」をしてきました。
年度末ギリギリにごめんなさい。
今年度、我が家が不妊治療に費やした金額は、ジャジャーン!

673,511円
です。
成果なし。
現在凍結受精卵もなし。
来年度1から出直しです。

にもかかわらず、この助成金が使えるのはなんと来年度で私は卒業!
そうこの助成金が使えるのは通算5年。ということで、私来年度が5年目なのです。
今年こそ!と力が入るのは当たり前。

ちなみに助成金三重県と伊勢市が満額出たら、三重県2回分が150,000×2、伊勢市1年分100,000、ということで400,000円です。


話は変わって、昨日今日の災害ボラ進捗ですが、例のミニローリーですが、早速翌日お礼もかねてガソリンスタンドに行ってきました。
そこで発覚したのですが、なんとそれは灯油ローリーだったのです。
灯油ローリーは比重の問題も含めて法的に軽油を入れてちゃダメなのです。
最初の申請で決まっているようです。

こりゃ困ったと思っていたら、災害ボラ支援メンバーが調べてくれて、申請変更がすんなり可能だというので、それで解決しそうです。

さて、これでそろそろ出動準備が始まってきました。
これから軽油仕様の借用トラックを集める作業です。
知り合い等いろいろ声をかけみようと思います!
もしかして、うちに声かかる?と思っているアナタ、電話かけるかもよ~。
ってか、軽油仕様のトラック(スタッドレス履き)持っている人連絡ください。

みえ災害ボランティア支援センターへ行ってきました

2011-03-21 23:28:04 | 県外情報
昨年、防災ボランティアコーディネーター養成講座を受講して以来、一応特定非営利活動法人みえ防災市民会議のメンバー。
といっても、これまで大したお手伝いは出来なかったけれど…。

しかし、今回の「東北地方太平洋沖地震」はかなりの長期戦のボランティア活動になりそうです。
なにかしら、私でもお手伝いができるかも…と。
というか、何かしたい気持ちもあって、本日、アスト津にある「みえ災害ボランティア支援センター」へ行きました。

みえ災害ボランティア支援センターとは、大規模な災害が発生したときにボランティア活動が円滑に行うために支援活動を行います。

特定非営利活動法人みえ防災市民会議
特定非営利活動法人みえNPOセンター
三重県ボランティア連絡協議会
社会福祉法人 三重県社会福祉協議会
日本赤十字社 三重県支部
三重県
防災危機管理部 防災対策室
健康福祉部 社会福祉室
生活・文化部 男女共同参画・NPO室

と、官民協働で運営しています。

今日は、一人ではなく、青年海外協力隊でベネズエラに行った経験のある山ちゃんも連れてのお手伝い。


支援センターには、センター長である山本くんと三林さんがいらっしゃいました。
午前中は、被災地の現状と、どうすれば、この遠い三重県からでも災害支援ができるか?という話がされました。

その中で、なんとかして先遣隊を送り込みたいという山本センター長が
「ガソリンがネックなんさな~、せめて軽油を運ぶミニタンクローリーがあって、一緒に行けるといいんやけどな」

と、つぶやきました。

ご存知、現地はガソリン不足。三重県からどうがんばっても、ガソリン満タンで往復は無理。

どこかで給油は必須。
でも現地で入れることはできない。
だったら、燃料ごと持っていくという方法なのです。

でもなかなか、あの軽トラックにタンクが積んであるあのやつ、仕事で使うものだから、そう、一週間(今回は遠方なので、ボランティア期間として最低一週間は見込む予定)やそこら貸してくれることろはそうないはず。


しかし私、ビビビッて繋がりました。
アレ頼めるかも…。

実は、我が家がお世話になっているご近所のガソリンスタンドが今月25日で閉めてしまうということを数日前に聞いたばかり。
もしかして、そのミニタンクローリーがしばし使えるかも…。

と、早速ガソリンスタンドに電話。

すると店長は出ていて夕方までいないと言う。
スタッフに実はカクカクシカジカと話をすると、そんな話やったら、実は丁度店長も今、ボランティアで重油を運んでいるところ。携帯を教えるので電話してみてと。

店長に電話し、説明すると、そんなんやったら、いいよ、いいよ使える、使える!とそして、もちろん、危険物取り扱いできる人がいてこその話なんだけど…と言うと、そんなことやったら僕仕事休んでいくよ。

と、なんとも天からのお言葉のようでした。

毎回お世話になっていた、地元のガソリンスタンド。

私の仕事の活動もよく知ってくれていて、いつも仕事どう?とか話はしていたけど…、店長、そんなボランティアしていたのなんて知らなかったし、まさにガッシャンと繋がった人と人。
とういか、心と心。

嬉しいです。

これで上手くいくといいんだけど…。




午後からは、郡山の子どもの支援している団体へお電話。
物資の確認と、お手伝いが出来ることを説明、話せば、伊勢に知りあいもいるようで…とても近く感じました。
そしてここでも物資はかなり集り、パンク状態だという。
この時点ではまだ物資を募集しますとおっしゃっていましたが、家に帰ってきたら、物資は置き場もなく、仕分けの許容範囲を超えてきたため、とりあえず、受付をストップしたという連絡が…。

ウワサどおり、それらを仕分けする人、運ぶ人(&ガソリン)が不足していて、いっこうにはけないらしい。
こうなったら、やっぱり先遣隊として、仕分け人&運び隊を送り込まなくてはいけない感じです。
現地に行った人の話や、いろんなところからの情報だと、物資はおそらく、もう入らない感じ。



やはり、物資の需用は刻一刻とかわってくるものです。
ましてやこの離れた地域、今日送って明日届く保障もないのに、今求めている物資を送るのってとっても不安。

それよりも仕分け人や各地への配送ボランティアが重要となりそうです。




私は一週間も遠方に行くことは、とてもできない状況ですが、この地で私の出来ることを見つけて、ほんの小さなことでも動いてみようと思います。

東北地方太平洋沖地震当日から1週間が経ちました

2011-03-18 23:33:12 | 県外情報
一週間が経ちました。

先週の金曜日は、ICTの事業で全国ネットワーク会議で島根県の松江市にみんなが集っていました。

私は諸事情があり、松江には行かず、結局センター篭りだったのです。
しかも、この日は他スタッフの体調不良もあり、私だけでセンター守。

午後から、松江会議の様子を現場に行っている板井先生が、ありがたいことにスカイプのチャットで文字中継してくれていたので、それに集中。

すると、14:46(少し時差はあったと思いますが)、鳥羽も揺れました。
でも大半の人は気付かず…。
私も「あれ?地震じゃ?」と確信が持てなかったけれど、そのスグ後に、携帯に防災みえからの地震速報が入り、あ、やっぱり…と思った次第です。

しかし、大したことないだろうと、その情報収集せず、会議に集中。
しかし、逆に遠い松江会議場の方で、地震が話題となり、ニュースを見ると、なんだかえらいことに…。

ここ(センターのある鳥羽一番街)鳥羽も、津波警報、避難勧告が発令!
急遽16:00にビルは閉鎖、16:30までにビルを出て帰宅しなさいということで、仕事もまだまだ残っていたけど、帰宅。
市役所の観光課からも、ツアーセンターが「閉める」ことを確認する電話が入りました。

既に、近鉄もJRも運行ストップ。
もちろん、定期船も欠航
海岸周辺は、消防車が見回り、人の出入りを停めていました。

家に帰り、テレビを見て愕然。
言葉が出ませんでした。

実は、家に帰ってきたここ(伊勢市二見町)も避難勧告が出ていました。

こんなときにカミングアウトするつもりはなかったのですが、実はパートナーが1月中頃から3月までジョクソウで入院をしていて、現在退院して自宅療養中なのです。
お尻のジョクソウのため、車いすに座っている時間を最低限にしたいこともあって、ほぼ一日寝たきり状態。
以前、避難勧告のときは、避難したんですけど、今回は、そのこともあって避難しませんでした。
本当はダメですよ、避難しないといけません。
でも、ジョクソウ酷くなるのも嫌だし、パートナーも外に出る気なく…。
仕方ないのかな?
でも、テレビのような事態がここにあったら…、私たちきっとダメだ。
そんな、家族はもしかすると、あの津波にのまれた中にもいたのかもしれない。
避難したいけれど、避難できないまさに、要援護者。

ありがたいことに、この事態を知っている友人数名からか「幸一くん運ぶ?手が必要だったら、いつでも呼んで!」と、電話が入った。
ありがたくて涙出そうでした。

そして、うちの実家では、仙台にいる父方の妹夫婦、福島に嫁いだその子ども(従妹)と連絡がとれないとアタフタ。
当たり前だけどまったく電話は繋がらず…、翌日も実父と手を尽くすがなかなか…。
171の災害ダイヤルだって、向こうがメッセージを入れていなければ、何も情報なし。
そんななか12日の夜に無事の連絡が取れ、ホッ。
といっても、たくさんの方々が亡くなって、素直にホッはできません。

さて、そんな一週間前の出来事が遠い昔に思える今日まで、出来たことといえば、少しばかりの募金ぐらい、たいした活動も出来ていない…。
三重県防災ボランティアコーディネーターの養成を受けて、一応メンバーなんだけど。
松江のICT会議に出席していた宮城&福島メンバーの数名は地元に帰れず、しばし東京で足止め。

私は、ブログの更新する気にもなれず(普段も更新してませんが…)、この一週間ため息も多くなりました。
もちろん、仕事もあったので、出勤していましたが、なんだかした気もなれず…。
年度末ということで、仕事をストップするわけにはいけないから淡々そするんだけれど…。
一応、完成した仕事がここにあるのだから、こなしてはいるおうですが、なんだかもう一人の自分がテキパキこなして、もう一人の自分は先週の金曜日のまま取り残されているようです。
気持ちがね…。

やっと一週間経った今、取り残された自分を呼び戻す作業に入っています。

今すぐどうこう動けるわけでもないですが、とりあえず、私の今しなくてはいけないことは、目の前のパートナーの看病?(基本的にジョクソウ患部以外は元気)と手当てなんです。
彼が動けるようにならないと、非常事態があったとき、逃げることができる健康をまずは作らなくてはと深く考えます。

その中で、自分が今出来る支援を考えていきたいと思います。

被災地で今も不安な日々を過ごす方へのお見舞い、そして、亡くなられた方にお悔やみ申し上げます。
もちろん、被災地の障害者、高齢者の方々のことは、人事とは思えません。
必要な医療具はありますか?
食べられる特別食はありますか?
情報はちゃんと届いていますか?
認知症の方のサポートは大丈夫でしょうか?

気にすればするほど心配することは、たくさんありますが、一日でも早く、平穏で安心な生活を送れることを祈り、そのための支援を考えて行きます。

ちなみに、うちの理事長は、既に全旅連の関係と組んで、350人もの子どもたちの疎開先(秋田の旅館)の手配をつけて、進めているようです。