HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

採卵日(長文)

2007-07-31 14:40:44 | 不妊治療報告
とうとう、この日がやってきました。
私の卵を取る時です。
前々日の話では、卵胞が20ミリになっていたので27日(金)の朝7:00にARTに行き、採卵決行ということでした。

そうそう、前回の日記で卵18ミリというお話をしましたが、正確には卵胞18ミリです。
卵を守るように取り巻く埃のようなモアモアなものを含めてのサイズ。
その埃のようなモアモアの中に、チョンと小さな点の卵があります。
モアモアの中に卵は1つだけ。

そして卵巣にはそのモアモア付の卵胞20ミリサイズのものがひとつと、その周りをまた取り巻く形にあるのが小さいサイズのモアモア付の卵。
排卵するときはその一番大きなサイズの卵のみが排卵し、その他の小さいサイズは消滅してしまうんだって。

伊勢の本橋先生が言っていました。
「野口さんらの活動みたいなもので、一人指揮を取る人がいて、その周りに協力してくれる人がいる。卵巣の中でもそんな組織が成り立っているのです。または、総理大臣と大臣のいる内閣みたいなもの、かな?」

で、普段はそうなのですが、私のような不妊治療の場合で誘発剤を打つことにより、みんなが総理大臣化してしまって、みんなが指揮をとりたがって「我も、我も」と、みんなが20ミリレベル以上になるというわけ。

なんだか卵巣の中で、複雑な人間関係が繰り広げられているようで、想像するとちょっと怖いです。


話は戻りますが、無事9時以降何も食べず、24時以降は何も飲まず、そのまま朝も何も入れずにARTへ。

ドキドキです。

到着すると、まず、リストバンドに名前を書いて、装着。


回復室へ案内されて、そこで、手術着に着替えて待機。

本日は私以外にもう一人前にいたようで、私は二番目。
それまでドキドキで待っていないといけません。


手術の前に点滴をします。
私は、5年ほど前の高熱での点滴以来、これで2度目。
前回は覚えていないけど、今度は健康状態での点滴、相変らず、針挿入を見てしまいます。
そ、そしたら、は、針がどんどん深く入っていく。ざっと2~3センチぐらい入っていったんじゃ?
お、思わず「えらい、深く入るんですね~」って冷静にみていました。


点滴をコロコロ引き連れながら、ロッカーに貴重品やら入れて、コンタクトも取りました。

さて、とうとうお迎えがやってきました。
手術室までは歩いていきます。
もちろん、点滴も一緒です。
看護師さんに、コンタクト取るとかなり見えませんのでよろしくお願いしますと伝えておいただけあって、優しく誘導してくれました。

手術室に入るとスリッパに履き替えて、頭にシャワーキャップみたいなのをします。
そして手術室が開くと、見えないながらに、手術室らしく、ライトがいくつもついたものや、手術道具が並んでいます。
そして分娩台のような手術台。
「はい、野口さん、ここに乗ってください」

なんだか自分で手術台に乗るのって不思議。
でも、なによりももっと圧倒されたのは、予想以上のスタッフの人数です。
何人いただろう?手術台のまわりにざっと、先生合わせて、8人ぐらいはいたんじゃないかな?
私はその半分ぐらいだと思っていた…。
しかも男性が多い。

いや、別にもう既に、そのあたりは、いまさらどうでもいいんだけど。
まな板の鯉状態で、分娩台らしいポーズで寝たとたん、左右下からみんなが声をかけられます。

左「野口さん肩に注射しますね~(麻酔と言わない)」
右「大丈夫ですか?」
下「野口さん、もっと下のほうまで下がってください」(ハイ、身体が小さいもので、手術台のサイズがイマイチ合っていません)

と、同時に言われるものだから何からしていいのやら。
これは私の不安をまぎらわす作戦なのだろうか?

肩に注射されて、左にいた男性が「もうじきこのあたり(左腕の下のほう)が痛くなりますから」(後にこれは痛さを紛らさせる作戦?全然痛くなかったです)

え?なんで?と思っている間に、部位の消毒が始まりました。

ってところで、私の記憶はなくなりました。

次、気づいたときは、「野口さん、野口さん」と看護師さんの呼ぶ声です。
どうやら採卵が終わったようです。
まったく覚えていないし、どれだけ時間がっ経ったのかも分かりません。
とりあえず、今何時ですか?の問いに、確か8:30と答えてくれたような?
その後、看護師さんたちにより、手術台からベッドに移乗されて、そのまま回復室に。
そこから3~4時間ほど安静にしないといけません。
というか、麻酔がスッカリ覚めるまで休息。
その間、バルーン(膀胱に入れる管)も装着
初体験です。
でも、そのときはそんなこと言ってられません。

回復室にもどってから、しばらくして、お尻に注射。
い、痛い。
麻酔はもう効いていないの?と思わず看護師さんに聞いてみましたら、本当に短時間の麻酔らしい。
でも、そのあとの3~4時間は看護師さんが見に来たり、定期的に血圧を測るたびに何度か目を覚ますけど、眠くもないのに、「気を失う」という感じに深く眠ってしまっていました。
沢山夢も見ましたが、忘れました。

ということで12時ごろに、ようやく身体が起きれそうになり、看護師さんの許可をもらい、着替え、いつもの病院の待合室へ。
待合室には母が迎えに来てくれていました。
麻酔をかけた私は本日車の運転厳禁のため、母が帰りの車の運転をしてくれます。

内診で、膣内に入っていたガーゼを取り、先生による説明。

結局昨日までは取れるのは7個と言っていましたが、ナント!!13個も取ったそうです。
といっても、未成熟なものも含めてですが…。

そ、そんなにあったのですか?

これらを、今から顕微授精させて、2~3日様子を見ます。
上手く核分裂したら、予定では週明けの月曜日に私の身体に戻す「胚移植」ということを行います。

それまでの、土・日は薬を飲んだりしながら普通に生活してください。

とのことです。

普通に…。


「せ、先生明日土曜日に地元の祭り(川曳)があるのですが参加って、できますか?」(何ヶ月か前からこれが一番気になっていたこと)
と、聞いたこところ、「ほどほどにな」とのこと。

ほどほど…。
私にとってのほどほどです、きっと。
と自分に言い聞かせて家に帰りました。

7月の不妊治療報告② 運命の採卵日決定!

2007-07-26 21:46:40 | 不妊治療報告
7月の不妊治療報告① の続き

クリック 

さて、今後の難関

1.無事採卵できるか?
2.パートナーの凍結された精子は解凍後使えるのか?
3.無事授精(顕微授精)できるのか?
4.胚移植後着床するのか?
5.それらが維持できるのか?

大きく考えるとそれくらいかな?
まだまだ小さな問題点はあるとして、少しずつですが、前進しています。

さて、採取する卵は出来た。わけで、HMG注射後何をするかというと、25日(水)の診察で二日後の27日(金)に採卵できることが決定。
何が基準かというと、数は早々に分かっていたけど、卵の大きさです。
23日では、18ミリでしたが、本当は20ミリぐらいは欲しいです。
で、25日(水)には20ミリになっているということで、金曜日決行!!

ドキドキです。

25日(水)夕方診察後、18:00に最後の点鼻薬(排卵を抑える薬)をし、この日の20時にHCG(排卵誘発剤)を打ちます。
なぜに20時か?
この注射を打ってから36時間後に排卵するので、ちょうど27日(金)朝に手術ができるというわけ。
なるほど!

で、夕方から注射時間まで松阪で時間を潰して、救急外来でHCGを打って家に帰りました。

さて、本日26日(木)は久々注射も病院もない日。
しかし、21時以降は絶食。24時以降は水分を取ってもダメ。
手術までお腹に何も入れてはダメです。

昨日先生に釘をさされました。
「21時以降食べたり、24時以降水分をとったら、金曜日は麻酔無しでしますから。手術中嘔吐して、気管がつまるといけませんからね」

私が、前回痛みに弱いことを知ってクリック)、先生は笑いながら(←めったに笑わない先生なので珍しい)そう、言っていました。
気をつけよう。

そして、明日27日当日ですが、朝の7時にARTに行かなくてはいけません。
早いです。
6時過ぎには家を出ないと…。

手術室の入口の靴箱

私一人で行きます。
行きは車で行くけれど、麻酔をするので、帰りは車を運転してはダメといわれています。
だから母に電車で来てもらい(駅裏だから近い)、帰りの車は運転してもらう予定です。
パートナーは、こんな日に限って、研修で仕事は休めないらしい。
うちは精子を凍結してあるので、問題ないですが、パートナーが一緒にきて、別室で精子を採取するという方もみえます。

当日朝は、シャワーを浴びてくるように。
化粧(すっぴんです)、マニキュアはダメで。手術中はコンタクトもダメ。

病院についたら、手術衣に着替えて、点滴し、静脈麻酔をかけます。
採卵は7時40分から。

手術時間は10分やそこららしいけど、終わってから麻酔が覚めるまで3~5時間は安静にしておきます。

今回はパートナーはいないけど、もし、パートナーがいても、私が休んでいる「回復室」には入れません。


回復室はこんなところ

そして、無事授精が確認できれば、2~3日後私に胚移植です。

実は、手術室に入るのは生まれて初めてです。
今からドキドキ。
大丈夫かな?

手術室、回復室へ繋がる廊下

あ、今説明書類を読んで気づいた。
麻酔する前に、消毒・洗浄する…。
ああ、ヤダ。
これが一番痛いのに…。
麻酔してからにしてもらえないかな?

この間のプチッ事件の自分の痛みの弱さを思うと、半日で本当に回復するのだろうかとかいろいろ考えて、不安に思いますが、これを越えないと前には進めません。

がんばってきます!!


では、これらの報告は後日ということで…。

7月の不妊治療報告① HMG注射の日々

2007-07-26 17:58:33 | 不妊治療報告
今月もみなさんがお楽しみ?にしている不妊治療報告をまとめてしてしまっていますが、本当はまとめるのがオシイくらいいろいろあるんです。

前回どこまで話が進んでいたかな?
 (クリック)
そうだ、そうだ。病院で友人と会ったんだった。
で、その後、薬を服用し、月の半ばに生理がやってきました。
そういえば、ここ最近ですが、薬のおかげで生理が1ヶ月に2回もきています。
20日サイクルです。(ありえない…

さて、生理が始まって、3日目から恐怖のHMGホルモン筋肉注射(卵胞を成熟させる)です。
できる限り地元伊勢の本橋産婦人科で打ちつつ、3日に一度松阪の済生会病院ARTにて診察です。
ざっと、14日(土)~24日(火)まで10日間打ち続けました。
その間も点鼻薬を朝晩欠かさず服用?

ARTに行く日には、採血もするので、この10日間腕に何度針を挿したことか?
といっても、基本的に注射がニガテと言うわけではないので、採血のときもいつもしっかと針の穴から挿すところまでをじっくり見ています。
私この間発覚したのですが、血管細いみたいです。
採血のとき、普通の注射針でするときと、針からチューブが伸びていて、採血するパターンと両方していました。
チューブの方は血管が細い人用なのだそうです。

さて、注射の流れをまとめると、

14日(土) 本橋産婦人科
15日(日) 本橋産婦人科
16日(月) 本橋産婦人科
17日(火) 本橋産婦人科
18日(水) ART
19日(木) 本橋産婦人科
20日(金) ART
21日(土) 本橋産婦人科
22日(日) 本橋産婦人科
23日(月) ART
24日(火) 本橋産婦人科



という具合のサイクルです。
毎回土日が本橋さんでゴメンナサイ。ムリきいてもらています。

いつも、仕事を終えてからダッシュで向かったり、ARTの時は(松阪なので)仕事をフライング(2時間前)気味切り上げたりです。
週末は、先生の都合に合わせ、夜な夜な注射にいきました。

本橋さんとARTを交互に行ったりすることもあったので、車を走らせながら、フト、今日はどっちの病院に向かっているのか?と頭が混乱しているときもありました。

この数日間通って思いましたが、仕事しながら不妊治療って相当大変だということ。
注射が痛いのはもちろん、そこへ毎日通うことの大変さ。
私は、融通のきく仕事で、自分で調整しながら時間をつくるけれど、普通勤めの会社では、よっぽど理解のある会社か、そうであったとしても、一緒に働く人たちの理解がないと、なかなか会社を早退とかやりにくいですよね。

会社を辞めるか、不妊治療をやめるかの選択がよぎります。
一度統計とってみたいね、不妊治療するどれだけの割合に仕事している女性がいるのか?
または、不妊治療をやめた理由はお金や将来的観測の問題だけでもなさそうな気がします。

そんなことを考えながら通った10日間。
前回は、不揃いな卵が3つぐらいしかできず、見送ったけれど、今回は、なんとなんとか7個確保できそうです。
先生曰く、採卵するまで、いくつ取れるか分からないよ。とのことですが。
とりあえず、取る候補は7個です。

実は、この注射している期間、16日の夜から、体調が崩れ始めて、翌日吐いて、一日ダウン。
その後も大丈夫と思いきや、21日、22日と吐き気が…。
注射にそのような副作用はないので先生曰く、「疲れやに、働きすぎ」と言われました。
確かに、21日はお木曳川曳きで記録していました。
ま、ムリをしてはいけないといことです。

ばりふり奉曳お疲れさん交流会

2007-07-26 12:33:55 | お木曳き・式年遷宮
いいかげん更新しないと、本当みなさん離れてしまいそうです。
反省。
今月半ばは、イベントセンターの総会が立て続けにあり、おまけに台風がきたり、体調崩したり、川曳きがあったり、なんせ忙しかったわけで…。
と、いいわけです。

いろいろ報告せねばならないことがたくさんあるのですが、何からオハナシしましょう?
とにかく台風一過の15日に行われた「ばりふり奉曳 お疲れさん交流会」の報告をしましょう。

かんぱーい!!

この交流会、5月6日の一日神領民ばりふり奉曳に参加したみなさん、ボラティアの方々、当日は雨でなかなか交流をもてなかったけど、改めて、交流したい!!と声が高まったので、行いました。

確かに、感動もどこへやらというように、ちらばってしまってましたから…。
私たちもなんだか、このままじゃ終わらせられないよね~って思っていました。

で、交流会の内容は


13:00   開会挨拶
      乾杯
13:10   NEWS報道放映上映
13:30   ミニミニ奉曳車 奉曳体験
      馬瀬町奉曳団木遣
      宮崎連合木遣
      交流歓談
14:10   アンケート報告
      参加者たちの声
      ディスカッション
15:00   長尾正男さん ばりふり奉曳上映
15:30   挨拶



と、いった流れを軽食のサンドイッチやお菓子、ジュースなどをいただきながらみなさんで交流してもらうというもの。
会場は伊勢の市民活動センター北館いせシティプラザ

前日までの台風4号にハラハラさせられながら、直前までさまざまな方に「台風来るのに、ホンマにやるのか?」
と、言われつつ、台風が過ぎ去ることを祈りつつ、当日を迎えました。

集った人数は60名ほど。
遠くは大阪、名古屋からも来てくださいました。
明け方まで台風は残っていたのに…。
ありがとうございます。

協力(強力)メンバーとともに事前準備をし、無事交流会を終えることができました。
みなさん、ありがとうございました。

NEWSなどの報道ビデオはみなさん、自分が写っていたり、インタビューされていたりすると、恥ずかしがったり。
アンケート報告と参加者たちの意見や感想では、みなさん、参加者、ボランティアともに生の声が聞けて、なんだかあらためて、ばりふり奉曳の意味や、その輪郭をなぞれたようで、とてもうれしかったです。

 
 
手話通訳&要約筆記で聾者も参加しましたよ

長尾監督の映像も、真髄をついていてみんなのうなり声がきこえるようでした。



また、奉曳当日手伝ってくれた馬瀬町奉曳団と宮崎連合のみなさんも来ていただき、木遣を披露
館内に素敵に響いていました。
視覚障害者の方々も、当日のことを思い起こしていたようです。

実は、馬瀬町奉曳団は一日神領民のお手伝いのなかでも「ばりふり指定」で来てくれていたのです。
交流会で、どうしてこの日の「ばりふり指定」してくださったのか?聞いてみました。
すると、これからの高齢者社会、障害者への祭りの参加をどのようにしていくのか?自分たちの団での参考にもなればということももちろん、それらの活動の役に立ちたいという強い思いからお手伝いに来てくださったそうです。
それに、団の中でも青年層が厚かったんです。
お姉ちゃん、お兄ちゃんと楽しく曳く参加者も多かったですからね。

団長曰く、これからこのような意識を若者たちにも引き継いでいってもらいたいから…ということも考えて、青年団(今年から発足されたらしい)のみんなを入れたようです。

宮崎連合も奉曳前日に連絡をしれたとき、もっと人がいるようなら増やしますと、当日参加の方もいてくださったり、こうして人を集めることの大変さを知っているだけに、モチベーションを上げるための説明がとても上手いんだと思いました。

みなさんのバリアフリーへの意識の高さは伊勢の中でもピカイチです。
本当にありがとうございました。
話を聞いていて、うれしくて涙が出そうになりました。

そして、そして、この時に私の家、3軒隣のYさん(当日もボランティアで参加してくれました)手作りのミニミニ奉曳車を曳き、前日の台風の湿気のおかげで上手くワン鳴りしなかったけど、みんな、ミニミニ奉曳車の前で記念撮影したり、視覚障害者のみなさんは触って形を確かめたりしていました。



ミニミニ奉曳車は大人気でした

本当に今回の交流会もみなさんの助けがなければ出来ないことでした。

ばりふりお木曳のコアメンバーと、交流会のお手伝いメンバーたちです

次に繋がる、一歩として、とても素敵なひとときがつくれたと思います。

二見七夕・星まつりがはじまりましたよ~!!

2007-07-08 17:11:57 | イベント
夏になると、なにかとイベント目白押し。
地元に住んでいても、なかなか全部のイベントを回れません。

さて、昨日の七夕から始まったのは「二見七夕・星まつり」です。

二見の町をLEDに彩られた竹が夜の町を歩きたくなる雰囲気にしてくれています。



ちょっと道を外れれば、波寄せる海を見ることもできますしね。
なんだかカップルでしっとり、行きたいものです。

8月いっぱいまで開催されていて、毎週末ごとにイベントしているので、ちょっと足を伸ばして、見に行ってみたいものです。
詳しいイベント情報はコチラまで←クリック

町の道は歩きやすい石畳なので、車椅子でも安全。

笹に吊るされた願い事の短冊を読んでいると、ちょっとほほえましいものもあったり、面白いよ。

毎月恒例浜千代館若女将ジャズライブ(写真追加)

2007-07-08 02:18:18 | 伊勢志摩観光情報
今日は、七夕。
だけどあまり天気はよくなかった。
実は今週もパートナーがいません。
今週は別府行き。です。
でも九州は大雨。大丈夫かな?

さて、そんな週末ではありますが、毎月恒例の浜千代館の若女将のジャズライブに一人で行ってきました。

ピンクの浴衣がお似合いの若女将。浴衣は浜千代館お泊りのお客さんに貸してもらえるます。いろいろありましたよ。

相変らず、うっとりな歌声にジーンとしてしまいました。


この日は二見の七夕 星まつりの開催日初日というものあって、お客さんが多かった

そして、本日のおもてなしは…
ジャーン!!

かわゆーい!!食べるのもったいないよ


このように運ばれてきます

夜店買った金魚にみたてたゼリーです。
袋のお尻を爪楊枝でプチとして、そこからチューチュー吸って食べます。
金魚は「トマト」
さっぱりとして、夏の暑い時期には、ナイスなデザートでした。

みはるさん、毎月いい歌声ありがとう!!

赤ちゃんがいました!!

2007-07-03 22:02:11 | 不妊治療報告
ハイ、誤解を招くようなタイトルでごめんなさい。
でも、とってもうれしくって、うれしくって!!!

3日前、いつものように仕事から帰ってきたら、玄関先でピーピーといつもより、やや多めのツバメの声

そう、我が家のツバメ(←過去の出来事はクリック)

不妊治療同様、こちらも一喜一憂な出来事に、報告怠っておりましたが、ことごとくカラスに巣を攻撃されて、相当頭にきていました。
網かけたり、色々したけど、どれもダメ。
そして、最終手段でこれでもか~!!としたのが、看板を貼り付けて、上部だけかろうじてツバメが入れるだろうという空間を作りました。
一応今期の応急処置。

それ以来カラスの襲撃は免れていたのですが、看板を貼り付けてしまったため、私たちも中の様子が分からず、巣にちゃんとツバメたちはいるんだろうか?という状況でした。
とりあえず、つがいで家の周辺を飛び回って、巣にも行き来しているので、一応家にしてくれている。ようだったのです。

時々脚立に上っては、巣の様子を見るのですが、襲撃された巣は欠けたままで、修復されていないようでした。
そして、卵も赤ちゃんの気配は、ありませんでした。
昨日まで、気配を感じませんでした。

しかし、タイトルに書いたように、いたのです。
赤ちゃん2匹。(ツバメにしては少ないめ?)



かわゆく看板にチョコンと二人寄りそって、います。
プクプクの子供です。

涙が出るくらいなんだか、うれしくって、うれしくって。
だって、だってね、
家に住み始めてから、ツバメはついてくれたものの、こうして、巣をカラスに襲撃されて、卵を落とされ…。
毎年ツバメは帰ってくるけど、一度もここで子供が巣立ったことはなかったのです。

数年、ずーっと経過を見てきて、このツバメたちと自分たちを重ね合わせていただけあって、自分たちを予言されているようで、それらを見るたびに、病院へ行く足取りも軽くなったり、重くなったり変わったものです。
だから、一生懸命巣を守ろうとしていました。
自分たちを守るように…。

それがさ、気がついたら、こんなに大きくなって…。

昨日、今日と様子をみていますが、朝、昼といないのですが、夜になると、チョコンと玄関のドアの上に仲良く寄り添っています。

昨日


今日

愛おしいです。

そして、無事に産んで育てたつがいのツバメちゃんたちに「よくやった!」とホメてあげたい。

しかし、本当に今までどこにいたのだろう?

もしかして、どこかで育って、なぜだか?巣立った子たちがここを気に入ってくれて来ているのかな?
なににしろ、見ているだけでも幸せな気分になれます。
明日も夕方ART行き。
ちょっと足取り軽くいけるかな?

常にお互い「感謝」の想いを持つことが継続につながる

2007-07-01 10:45:23 | 不妊治療報告
この間の、ART生殖医療センターに行ったとき、偶然にも知人に会った
まさか、ここで会うとは…。
数年ぶりの再開です。
そういえば、私よりももっと前に結婚したけど子供…いなかったな。

処置、診察が終わってから、しばしお話をしていたら、ナント!!彼女ここに通いだして4年も経つという。
へへぇ~大先輩です。
いろんな病院に行きつつ、ココにたどり着いた。
と、言うから、4年もっと前から不妊治療をおこなっているわけで…。
彼女は婦人科系の病気を乗り越えて、今に至るようです。
年齢のことも、その間の病気といい、時間が経てば経つほど不利になると、焦りは見えなかったけど、なんだかやりきれないような感じでした。

本日も悩みがあって、先生に話を聞いてもらっていた。らしい。
とっても明るい彼女だけど、この日もそんなに思い詰めた雰囲気でもなかったけど、でもやっぱり、4年も続いているだけあって、少し陰りがありました。
ましてや彼女、子供に携わる仕事をしていて、日々そんな中で生活していたら、結構辛いだろうな。

彼女もそうだけど、これらの一連に関して辛いことは、病院に通い、薬飲んだり、毎日痛い注射をしたりしてても結果が出ないことが大半。(だと、思っておいたほうがいい)
そのショックは、結構落ち込むことでもあります。

その上、仕事しながら、病院に通うことの大変さ。
私は、これが相当大変。
仕事のスケジュールを調整して、自分の体調も考えなくてはなりません。
身体のサイクルで急遽病院に行かなくてはいけないので、約束や会議をキャンセルしたり、もちろん、仕事がたまってくることもあります。
病院も患者が多くて、こちらの都合に合わせて予約も取ることも難しい。

また、通えば通うほど、お金がかかってくることも事実です。

彼女に、相当お金つぎ込んだのでは?など、いろいろ聞いてみました。
朗報として、三重県と伊勢市の助成が重複して受けることが可能だということ。
私は、すっかりどちらかしかダメだと思っていました。
ただし、体外受精か顕微授精が対象で、治療の段階によって、降りたり降りなかったり。なので、とりあえず、全ての領収書は取っておくこと!
彼女曰く、県と市でトータルして年間30万ぐらいの助成が可能らしい。
それは、結構大ききかも…。

早速家に帰って、領収書を計算してみた。
今まだ、採卵までも達していない私たち。
これから採卵、顕微授精、胚移植だけでも1回45万はかかるだろうという現状ですが、既に、30万近くつぎ込んでいることが発覚。(パートナーの入院費も含めてね)
改めて計算すると、結構いっている…。
こりゃ、車を買うぐらいの気持ちを持たなくては…。

と、この日、彼女と会って、いろいろ知ることができました。

ただ、彼女を含め、病院に治療に来ている人たちを見ていて思います。
それぞれの悩みを抱えて、ここに来ていますが、みんなどんなふうにパートナーに協力してもらっているのだろう?
それってとっても重要なことであります。


洗濯かごに服を入れれば、洗濯されて、アイロンかけて、タンスに入っている
シンクにお皿を置けば、洗われて棚に返っている。
家に帰れば、夕ご飯が出来ている。

そんな風に子供ができる訳ではないのです。
それまでの過程を「想像」してほしいのです。

洗濯するにも色物、汚れ物仕分けされ考えて洗濯し、雨が続くと洗濯が干せないと悩むように
お皿も、手が荒れていて、痛みに耐えながら洗うこともあるかもしれない。
夕ご飯も、栄養面やバランスを考えて献立に悩む毎日で…。

結果だけを見るのではなく、見えない部分の経過(時間)、努力をフォローがあってこそ、続けられるんじゃないかな?って思います。

4年も通う彼女と会って、改めて待合所の女性たちを見ながら思いました。

これらは、不妊治療や夫婦からの問題ではなく、
家族、親子、子供、仕事、友人、環境、生活など…
いろんな場面にもあてはまるんじゃないかな?

なんでもそうですが、「それが、当たり前」だと過ごされてしまうことが一番傷つくことなのかもしれません。
(確かに、仕事でも「それら(ボランティア的なこと)をして当たり前」的に言われると、カチンと来ることがあります)

どんな場合でも、「感謝」の想いは常に持ちつつ、お互い協力していかなければ、何事も継続はできないのかもしれません。

ことの経過を共有すること(異性ですから共有できないこともあります)も大切ですが、女性は、ちょっとした精神的なフォローを求めていたりもするのです。