古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

日本が開戦した日は4歳でした。

2009年12月08日 04時03分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 1937年(昭和12年)にぼくは生まれました。この年の7月、日本は中国で戦争をはじめました。正義の味方である日本が中国を懲らしめるのだ、中国は弱い国だからすぐに日本が勝つ、戦争というほど大したものではない。国民には『支那事変』と呼ばせました。しかしいくら攻めてもひどい仕打ちをしても中国は負けませんでした。
 そして1941年(昭和16年)の今日12月8日、日本はハワイ・真珠湾を攻撃し、アメリカに宣戦布告しました。ぼくは4歳2ヶ月でしたから、その日のことは覚えていません。それから日本の軍隊はアジアの国々を戦争に巻き込み、アメリカの飛行機に爆弾を落とされ、国民は逃げまどいました。しかし山陰の片田舎に住んでいたぼくは、アメリカの飛行機も日本の飛行機も見たことはありません。
 ぼくは昭和19年に国民学校(小学校)に入学しました。戦争の記憶があるのはその頃からで、防空頭巾を持って学校に行ったこと、学校の校門を入るとまず校庭の奉安殿にお参りし忠魂碑にお参りしてから校舎に入ったこと、退避訓練をしたこと、木切れを石垣に向かって投げたこと(手榴弾の訓練)などです。
 国民学校2年生の夏休み、昼に蝉取りから帰ってくると、ちょうどラヂオ放送を聞きおわって隣から帰ってくる祖母に出会いました。(うちのラヂオは故障していました)祖母はぼくの顔を見ると「啓一や、日本は戦争に負けただぜ。おまえ、大きゅうなったらアメリカにカタキとってごせえよ」とむせび泣きました。8月15日の正午に天皇がラヂオで敗戦を告げたのは、あとで知ったことです。(つづく)
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