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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

新年明けましておめでとうございます。

2011年01月01日 03時46分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの大晦日、孫たちの都合で凧揚げをしました。とても寒い日だったので、焚き火付きです。凧を二つ揚げてから孫たちに持たせ、軽トラで運んだ石油缶で焚き火をしてあたらせ、180メートル揚がった凧の糸を巻き取りと、おじいちゃんは大サービスしました。
 もし神戸に暮らしていたら、孫が来てもこんな誰もいない広々したところで凧を揚げたり焚き火をしたりできなかったでしょう。子どもの記憶に残るかどうかわかりませんが、いい体験をさせている気がします。
 きょうは元旦です。4年前の12月にこの村に引っ越してきたときは、の新年会に一升瓶を持って夫婦で参加しました。お昼の宴会でしたが、お酒をついでまわるうちに酔ってしまい、辛うじて家に帰ることができました。でも翌年から元旦の新年会はなくなりました。婦人会がお世話するのが大変だからという理由でした。その婦人会も去年なくなりました。
 ここに来る前の26年間を暮らした神戸のニュータウンは、54軒がひとかたまりの分譲住宅でした。未知の人々が一斉に入居し、道であいさつするようになりました。でも少しだけ親しくなったのは両隣りとあと一軒だけで、あとは26年間ずーっと、すれちがえばあいさつするだけのつきあいでした。そんなところで、あるとき、だれかが、「新年宴会をやろう」と提案しても反対が多く実現しないでしょう。
 村の寄り合い(全戸集会)で廃止が提案されたとき、「できればつづけたらいいのに」と内心思いましたが、特に意見もなく決まりました。寄り合いといっても参加する家は少なく、委任の連絡を含めてやっと成立するような状況ですから、廃止は時の流れだったのでしょう。
 きょうの初詣では伽耶院に行くつもりにしています。娘や孫たちは、行者姿の人に「褐!」とやってもらうのをたのしみにしています。ぼくたちは、神戸の名谷に住んで、まだ田舎暮らしの空き家を探していたとき、なぜか突然思いついて初詣でに来て、「一願成就」を願いました。そして縁あってこの近くに住むことになりました。伽耶院には特別な思いがあります。
 また一年、田舎の暮らしをブログで伝えます。よろしくお願いします。
 みなさまにとって、よい一年でありますように。
 
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