古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

我が心のヌートリア……を退治するにいたるまで。(2)

2011年01月26日 00時35分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑のそばの池に姿を見せるようになったヌートリアの写真を再掲します。2009年2月頃、ヌートリア一家が昼でも池のそばに姿を見せるようになりました。巣穴は池の向う岸の茂みにあるのですがこちらの岸まで泳いできて、上陸して草を食べるのです。母親と子どもが、白昼堂々とうちの畑から走って帰るのを目撃したことも何度かあります。
 …… このままではうちの畑の野菜は、全部ヌートリアの餌になってしまう。
 不思議なことに、いままで抱いていた畏敬の念とか「南米からはるばる日本に連れてこられ、異郷の地でなんとか生き延びているおとなしい動物」という思いやりの気持ちが消えてしまい、「捕獲して処分してもらわねばならない」という気になってしまいました。自分の利害にかかわると心は一変してしまうものです。
 市の農政課から檻を借りて捕獲。はじめは子ども二匹。つぎに親一匹。それから子ども小五匹。そのたびに農政課に引き取ってもらい、代わりの檻をもらって八匹を農政課に突き出しました。炭酸ガスによる安楽死処分をされたのでしょう。
 21日金曜日の夕方、MBSのニュース特集でヌートリアを扱っていました。「淀川にヌートリアが出没し、餌付けしてかわいがっている人もいる」というのです。そのニュースに『日本ヌートリア交流協会』という団体を名乗る人が出てきました。そのサイトを数日前に見て、我が家でヌートリアを捕獲した顛末をコメントに投稿しました。そしたらhiromonと名乗る人から返事をいただきました。一人でたのしんでおられるようです。
 ぼくもテレビニュースを見て、両手でパンをもらって食べる仕草はかわいいな、とヌートリアを思い出しました。餌付けしている人にすれば、自分の姿を見たら土手の斜面を上がってきて、パンをもらって両手で食べるヌートリアは、かわいくて仕方ないでしょうね。このニュースをまとめて報道している人も、「ヌートリアはけしからん」といいたいのか「ヌートリアをこんなにかわいがっている人がいる」といいたいのか、どうもよくわかりません。
 アライグマの被害にふれてこのブログを書いたとき、道子さんに「こんどヌートリアが池に住みついたら、捕まえないでおこうね。畑の野菜はマルチでカバーすればいいから」と言われたことにふれました。実はぼくも内心「そうしよう」と思っています。
 そして間近にヌートリアを見たくなって、近日中に伊丹の昆陽池に行ってみようと話し合っています。嗚呼、この矛盾に満ちた心をどうしましょう。
コメント (3)
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