古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

少しずつ、着実に、老いていきます。

2022年12月26日 19時50分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 自分では85歳でも「そうやすやすと老いないぞ!」という気持ちですが、少しずつ、着実に、老いていくのを実感しました。
 今日は映画『ラーゲリより愛を込めて』を、三田イオンシネマに見に行くつもりでした。「明日は8時に家を出て、9時からの映画を見よう」と思って寝床に入りました。しかし、いつものように夜中に目覚め、読書/漢字ナンクロ/テレビ/で3時間過ごしました。夜中の3時ごろ「さ、映画に行くから、もう一度寝床に入って、朝の6時まで寝よう」とベッドに腰掛けました。
 そのとき「シベリヤに抑留された日本兵の悲惨な映画だ。なんか見る気力が出ない。見に行くのはやめよう」という気持ちになりました。そして「ああ、老いたな」と思いました。

 ぼくは、63歳から約10年間「満蒙開拓青少年義勇軍」だった方の体験聞き取りに精魂傾けました。〈一番のきっかけ〉はシベリヤ抑留の体験をきいたことでした。それから、シベリヤ抑留関係の本を読み、舞鶴引揚げ記念館には二度行きました。展示を見ながら涙がとまりませんでした。引揚げ桟橋にも行ってみました。
 図書館で本を借りるときも、シベリヤ抑留/満州開拓/満州からの引揚げ/などの本を目にすると借りて読みました。シベリヤから引き揚げてきた三木在住の方にも聞き取りに訪ねて、体験を聞きました。(その後まさか自分が三木に住むようになるとは思いもしませんでしたが)
 ぼくはふだん映画なんか見ない老人ですが、〈ラーゲリ〉という文字を見て「これは絶対見なくては」と行く気になりました。
 ※ 「ラーゲリ」は日本兵を抑留して強制労働させた収容所
 悲惨な映画でも「絶対見なくては」と思ったのに、なぜ気持ちがくじけたか。「気力」が老いてしまいました。そういえば思いあたります。満蒙開拓の体験の本、満州からの引揚げの本、を借りてきても、読みかけてやめてしまいます。悲惨な体験を読む「気力」が、悲惨な体験を見つめる「たましいの力」が、老いてしまったのです。
 どうしようもない。励ますことも訓練することもできない。「老いたな」と思うだけです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「隣百姓」という言葉 | トップ | もうすぐ〈お正月〉です。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

古希からの田舎暮らし」カテゴリの最新記事