去年はカボチャが不作だったので今年は遊歩道の端に植えて、ツルを土手の斜面に這わせてつくることにしました。いまのところ写真のように土手の斜面を気ままに這いまわって、実をつけています。カボチャくん、まだまだ下まで伸びてもいいんだよ。
さて図書館に行くと「あの戦争」関係の本に目が行きます。このたびも半藤一利の『あの戦争と日本人』という本を見つけて借りました。部厚い本でしたが一気に読みました。半藤氏がわざわざ「あの戦争」といったのにはわけがあります。
右寄りの人のように『大東亜戦争』と呼ぶ気にはなれない。『15年戦争』とか『太平洋戦争』あるいは『第二次世界大戦』はかなり一般的な呼称になっているけど、それぞれに主張があるようで一般庶民という感覚にフィットしない。そこで半藤氏はわざわざ『あの戦争』という言葉を使っています。
彼は昭和5年(1930年)生まれで敗戦のとき15歳でした。昭和20年3月の東京大空襲で焼け出され、新潟に疎開し、勤労奉仕の工場で敗戦の玉音放送を聴きました。その半藤氏は敗戦時の大人を見て、次のように感じました。
とにかく敗戦後の日本の大人たちの変わり身の早さにはキモを潰しましたからね。 …… 「これからは民主主義だ。われわれは新日本民主化のための先頭に立たねばならない」。まわりはそんなことをいう大人がいっぱいでしたから。…………。
一億玉砕の旗を振っていた軍国おじさんが、赤旗を風になびかせて「民主化、民主化」の絶叫です。息もつまるような驚きを感じ、同時にその日まで勝利を信じて働いていたわたくしは、戦争に積極的に協力したバカな少年ということになる。これは余ッ程しっかりしなければならないと思ったことでした。
ぼくは2010年2月27日のブログに作家・城山三郎の『そうか。君はもういないんだ』という本の感想を書いています。城山氏は昭和2年生まれで、予科に志願して入隊し、敗戦のときは17歳になっていました。
私は …… 徴兵猶予を返上し、七つボタンの制服への憧れもあって、海軍に志願し、少年兵となった。 …… 「人の嫌がる海軍に志願してくるバカがいる」と朝から夜中までただひたすら殴られ続けるだけの毎日。
戦後になると、…… 「あんなものを信じて海軍を志願するとは、子供のように幼稚で低能だ」などと批判され、…… 論戦となると歯が立たない。そこから立ち直るのは一苦労であった。 …… 私は廃墟になって生きていた。私はすべてを疑うことから始め、すべてを自分の手で作り直さなくてはならなかった。
半藤氏が「キモを潰した」といい、城山氏が「廃墟になって生きていた」という少年たちの昭和20年8月15日以降の日々。あのとき少年だった人たちは、その後の人生を何歳まで生きようと少年の日に直面した不条理は生涯消えないし、記憶の彼方に埋め込んだふりをして自分をごまかそうとも思わないでしょう。
あと7年早くぼくが生れていたら、ぼくもその不条理とぶつかっていた。キモを潰し、廃墟になっていた。そう考えると他人ごととは思えません。戸惑いつつ立ち往生しています。(つづく)
さて図書館に行くと「あの戦争」関係の本に目が行きます。このたびも半藤一利の『あの戦争と日本人』という本を見つけて借りました。部厚い本でしたが一気に読みました。半藤氏がわざわざ「あの戦争」といったのにはわけがあります。
右寄りの人のように『大東亜戦争』と呼ぶ気にはなれない。『15年戦争』とか『太平洋戦争』あるいは『第二次世界大戦』はかなり一般的な呼称になっているけど、それぞれに主張があるようで一般庶民という感覚にフィットしない。そこで半藤氏はわざわざ『あの戦争』という言葉を使っています。
彼は昭和5年(1930年)生まれで敗戦のとき15歳でした。昭和20年3月の東京大空襲で焼け出され、新潟に疎開し、勤労奉仕の工場で敗戦の玉音放送を聴きました。その半藤氏は敗戦時の大人を見て、次のように感じました。
とにかく敗戦後の日本の大人たちの変わり身の早さにはキモを潰しましたからね。 …… 「これからは民主主義だ。われわれは新日本民主化のための先頭に立たねばならない」。まわりはそんなことをいう大人がいっぱいでしたから。…………。
一億玉砕の旗を振っていた軍国おじさんが、赤旗を風になびかせて「民主化、民主化」の絶叫です。息もつまるような驚きを感じ、同時にその日まで勝利を信じて働いていたわたくしは、戦争に積極的に協力したバカな少年ということになる。これは余ッ程しっかりしなければならないと思ったことでした。
ぼくは2010年2月27日のブログに作家・城山三郎の『そうか。君はもういないんだ』という本の感想を書いています。城山氏は昭和2年生まれで、予科に志願して入隊し、敗戦のときは17歳になっていました。
私は …… 徴兵猶予を返上し、七つボタンの制服への憧れもあって、海軍に志願し、少年兵となった。 …… 「人の嫌がる海軍に志願してくるバカがいる」と朝から夜中までただひたすら殴られ続けるだけの毎日。
戦後になると、…… 「あんなものを信じて海軍を志願するとは、子供のように幼稚で低能だ」などと批判され、…… 論戦となると歯が立たない。そこから立ち直るのは一苦労であった。 …… 私は廃墟になって生きていた。私はすべてを疑うことから始め、すべてを自分の手で作り直さなくてはならなかった。
半藤氏が「キモを潰した」といい、城山氏が「廃墟になって生きていた」という少年たちの昭和20年8月15日以降の日々。あのとき少年だった人たちは、その後の人生を何歳まで生きようと少年の日に直面した不条理は生涯消えないし、記憶の彼方に埋め込んだふりをして自分をごまかそうとも思わないでしょう。
あと7年早くぼくが生れていたら、ぼくもその不条理とぶつかっていた。キモを潰し、廃墟になっていた。そう考えると他人ごととは思えません。戸惑いつつ立ち往生しています。(つづく)