古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

左目も白内障手術がおわりました。

2019年12月10日 20時27分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 月曜日に左目の白内障手術がおわりました。右目につづいての手術ですから「あまり緊張しなかった」といえばウソになります。やっぱりひどく緊張しました。
 両目の手術がすんだ感想は「目が二つでよかった」。目が三つも四つもなくてよかった。これで、この世では、もう眼の手術はしなくていい。そう願いたい。
 さて、それで「手術の結果」は? 眼鏡を掛けないで新聞や文庫本を読むことができます。眼鏡を掛けないで遠くの景色や文字をしっかり読み取ることができます。遠近両用メガネ/本を読むときのメガネ/を20年以上愛用してきたので、なにかもの足りない気がします。忘れ物をしているようで落ち着きません。
 それではいままで掛けていた遠近両用メガネを掛けるか。本を読むメガネを掛けるか。試しに掛けてみたらボヤけてよく見えません。乱視が入っていたし、かなり度が進んでいたので、役に立ちません。
 実は遠近両用メガネは3つも持っています。どれもぼくの眼に合っていました。2、3年に一度作っていたし、こわれて修理してもらったのもあるし、ときどき掛け替えていました。それが全部役に立たなくなりました。 
 では、これからは眼鏡なしの生活をするか。眼鏡なしでも小さい字を読むのは大丈夫ですが、老眼鏡はあったほうがいい気がします。大きな字に見えるほうがいい。
 1月になったら普通の老眼鏡をあつらえます。「眼鏡づくりは一か月後にしてください」とお医者様に言われていますから。1月になったら道子さんが白内障の手術をします。

 ハズキルーペ(1,32倍)を掛けてみたら、見やすい。やっぱり老眼鏡はあったほうがいいな。
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大豆の収穫は4キロ超です。

2019年12月09日 00時17分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 サヤを叩いて大豆を収穫する仕事に気持ちが向いて、精を出しました。
 サヤはあと2カゴです。いま4キロ超の大豆が収穫・選別できています。5キロには届かないでしょうが、かなりとれました。畑は狭くなったし、33センチ間隔に植えたのに、かなりよくできました。いままでの量の味噌を仕込むのは無理ですが、煮る大豆をひと鍋減らすだけでいけそうです。
 
 今日は白内障の左目の手術です。一週間前の右目の手術ほど緊張はしないでしょう。手術は15分くらいときいていますがずいぶん長く感じます。
 いまは眼鏡を掛けなくても右目はよく見えるようになりました。しかし乱視のきついほうの左目も見えています。だから眼鏡を掛けます。なんとなくモヤのかかったような感じです。
 左目の手術がおわれば「よく見えるようになる」と期待しています。
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『東条ルミナルエ』が今年は一段と華やかに。

2019年12月06日 23時10分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 シイタケ原木の木口をハンマーでどつくといい。本に書いてあったので、ハンマーを持って薮に行ってみました。

 去年のホダ木も立て掛けてあります。端から鉄のハンマーでどついていたら、ガザガザと全部倒れてしまいました。新しいホダ木は「仮伏せ」するのがいい。と書いてあるけど、これでいってみよう。

 大豆の『サヤもぎり』をすませて、日に干していました。カラカラに乾いて、もう干すこともない。そこで「夜なべ仕事」というか「手内職」というか、コタツにあたりながら「サヤをむく」手仕事をおじいさんとおばあさんでやっています。
 3分の1ほどできたでしょうか。

 できた大豆は全部味噌用につかいますが、去年までの仕込み量なら7,5キロ必要です。とても無理。今年は畑が小さくなったし4キロもないでしょう。
 自家用の味噌ならそれで間に合うでしょう。頑張らないでおきます。

 12月になり、あちこちのルミナリエが点灯中です。どこかに見物に行きたいけど、どれも三木市から出掛けるには遠い。10年ほど前に『なばなの里』をツアーで見たけど、一度見ればもういい。神戸ルミナリエは、神戸に暮らしていたときはよく見たけど、三木からはるばる出掛けるのはしんどい。北須磨にはクリスマス照明に凝った家が数軒あった。競い合うように毎年凝った照明にしていて、ぼくらは『北須磨るルミナリエ』と勝手に名付けて見に出掛けていたけど、3年前だったか寄ってみたらどの家も照明をやめていた。
 ところが東条の個人宅で、クリスマス照明に凝っているお宅が一軒あります。今夜はそれを見に出掛けました。去年より華やかで、見る値打ちがあります。

 見物人が一人もいないのは淋しいけど、しばらく見て、満足して帰りました。

 これで今年はルミナリエを見たことにします。めでたしめでたし。
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シイタケのホダ木を仕込みました。

2019年12月06日 01時20分44秒 | 古希からの田舎暮らし
 11月の終り頃から万歩計をどこかに置き忘れたのか、見あたりません。膝の回復やトレーニングすることも、意識的に行うことはなくなりました。電動ウォーカーで歩くことにも気が向きません。
 立ち上がる/歩き出す/階段を上がる/下りる/などで右膝を意識することもなくなりました。「回復すると自然に意識から抜けていくもんだな」と思います。
 さて目の白内障手術で2日おとなしくしていましたが、もう動いてもいいでしょう。ということでシイタケのホダ木を買いに軽トラで出掛けました。いまはホームセンターでは種駒を打ち込んでいないホダ木でも900円くらいします。ずいぶん高い。
 去年、美嚢種苗店では500円でした。だから今年も10本くらい仕込むつもりで寄ってみました。ところが今年はホダ木を取り扱っていないという話です。ホームセンターで買うしかない。
 8本買ってかえり、午後400個の種駒を打ち込みました。作業は裏山の台でやりました。地面にホダ木を置いて、しゃがんでやるのは苦手です。テーブルの高さの台でやると腰が痛くない。膝を曲げなくてもいい。
 高齢になると、いままで意識することなくできていた動作が、すんなりできなくなる。自分が高齢になるまで意識がいかなかったことです。70歳と80歳の違いをやたらに意識するようになりました。
 忘れないように書いておこう。9,2ミリのドリルは2年使って切れがわるくなった。次には新しく買ったほうがいい。
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来週月曜日には左目を手術します。

2019年12月05日 01時59分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 右目の白内障手術は無事にできました。右目は順調に見えています。というかいままで遠近両用メガネをかけていましたが、眼鏡なしでも遠くが見えます。
 順調に回復しているので、今日は外仕事をしました。裏山の木の剪定です。まず椿の「侘助」を剪定しました。強剪定です。名前に似合わず樹勢が強く、大きくなっています。それを家から見てほかの樹も見えるようにかなり剪定しました。
 冬には剪定しようと思いながらできなかったのですが、サンシュユ/ユキヤナギ/なども剪定しました。1メートルおきに植えてしまった桜(ソメイヨシノ)の苗も直径15センチくらいの大きな樹になっています。でもいまさら伐れないし、我慢してもらうしかありません。
 木を植えるとき小さい苗木を見て大きな樹を想像するのはむずかしいですが、よくかんがえないと。
 裏山があるってたのしいです。竹藪だった裏山に、竹を伐って木を植える。
 久し振りに外仕事をした感じです。
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ひと晩は片眼で辛抱しました。

2019年12月03日 17時34分47秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは右目の白内障手術をしました。「こわい」かな、と心配しましたが大丈夫でした。友だちは高齢者がよくなる「加齢黄変なんどか」いう病で眼に注射していたけど、あれは「こわかった」だろうな。
 さて、手術が終わっても、片目は眼帯しています。家に帰ってもすることがない。
 左目は見えるけど、老眼だし、乱視だし、いままでの眼鏡は掛けられないし、何もする気になれない。できることといえば「寝る」。
 ひたすら横になって寝ました。眠れなくてもとにかくずっと寝ていました。
 2日目・3日目は通院することになっています。道子さんの運転で通院する予定でしたが、朝は車が混んでいるかも。タクシーで行きました。少し混んでいましたが、東行きほどではありません。明日は道子さんの運転で通院します。
 2日目の今日は、透明な眼帯になりました。両目が見えるのでパソコンにも向かえます。テレビも見えるし、本も読めます。来週の月曜日は左目の手術になっていますが、心配はしていません。
 それにしてもきのうの午後、車イスに乗せられて、手術室に行くと前の人と入れ替わりです。いわば数珠つなぎで手術を受けるのです。老人にきいてみると「白内障手術? ええ、やりましたよ」と言う人がいっぱいいます。そんな時代なんですね。
 
 
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老人には結構忙しい日でした。

2019年12月02日 02時35分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は老人にとっては結構忙しく感じる日でした。
 まず朝8時から、村の役員で八幡神社の草刈りがありました。ガソリンとの混合油がなくなっていたので急いでつくり、軽トラに草刈り機を積んで出掛けました。15分前に家を出ましたが7人の役員のうちすでに4人は来ていて、元旦のお参りと厄神さんの行事にそなえて草刈りがはじまりました。7人で境内の草を刈り、落ち葉を燃やして片付けました。
 日曜日で、「大豆のサヤもぎり」手伝いに大志くん一家が来てくれるというので、裏山の炭火焼きの用意をしました。木炭/金網/バーベキュー用の道具などを出しました。道子さんは片付けと掃除をしました。「人が来る」というときは《掃除パワー》があがります。
 次に二人で、退職者用配布物を配りに出掛けました。1時間かかります。
 帰ってサヤもぎりをしました。そして裏山で炭火焼き。

 焼くものに厚揚げを加えるのが我が家流です。パンやおにぎりも焼きます。そしてマシュマロ焼きも。
 午後は、おじいちゃんはまずお昼寝。起きて、車の給油に出掛けました。月曜日に右目の白内障手術をするので、数日間運転できません。給油して道子さんが運転しやすいように準備しました。
 畑で残り大豆のサヤもぎりをしていたら、ゴミステーション当番の人が「ゴミ置き場の屋根がたわんでる」と言ってこられました。目の手術前に直しておく必要があります。畑に4メートルの鉄筋があるのでそれを使って修理することにしました。4メートルの鉄筋を運べるのも軽トラのお蔭です。
 夕方5時には夕食を食べて、6時から村の全戸集会がありました。今年はぼくも役員ですから早めに出掛けました。大きな空き家に新しい住人が住むようになり、紹介/あいさつ/がありました。村の全戸に配る品物を用意しておられました。
 ぼくらがこの村に来たときは、元旦の村の集りにお酒をもってあいさつをしたのは覚えています。ご近所と近くの家にあいさつにうかがったのも覚えています。でも村の全戸に配った覚えはありません。13年前のことですが「記憶がうすくなりました」。むかしのことは覚えているのにこの10年くらいのことは、ぼんやりしています。
 全戸集会のやりとりは、よく聞こえないし、耕地のことみたいで、よくわかりません。ただぼーっとしていました。
 大仕事をしたわけでもないのに、忙しく感じました。
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昔の生徒たちの同窓会はにぎやかでした。

2019年12月01日 02時07分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は、芦屋のホテルまで出掛けました。むかしの中学生たちの『古希を祝う同窓会』に元教師として出たのです。生徒の多いときで(敗戦後のベビーブーム)11学級500名超の学年でしたが、70歳ともなると参加者も少なくなって七十数人。元先生の出席は4人でした。
 同窓会で一番パワーが出るのは中学の同窓会だと思います。自分に当てはめて考えると。高校生になると「社会的地位や経済的優位」を気にすることもあります。しかし中学の同窓会では、年をとっても会えば「子ども時代にタイムスリップ」します。それがたのしい。
 きのうの同窓会もそんな感じの流れになっていました。先生はお添え物です。「中学生にタイムスリップした」70歳の少年少女と、「大人のまま」の教師ではパワーがちがいます。
 でも教え子の同窓会に出るのは「もうおしまいにしよう」。無理してはるばる行くところじゃないな。
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