
福西本店にて 内装は洋館のよう
「良かったら二階も見ていってくださいよ...」
数え切れないほどの郷土品が並んでいる。会津木綿、絵ろうそくから、幻の織物“からむし織”まで。どれもホンモノだから、土産物を選ぶのに困ったらここに来るといいかも。
会津漆器の明るい朱色は“古代朱”と呼ばれている。最近になってから一般的な“赤”なども作るようになったからそう呼ぶのだそうである。
ここの店番をしているおじいちゃんが実に良かった。親しみやすくて暖かくて。もっと話しをしていたかったなぁ。
満山漆器店ではこづゆ椀を四枚購入。“こづゆ”というのは会津の郷土料理で、汁の多い煮物のようなもの。これを小さなこづゆ椀に盛ってふるまうのである。
この他、会津酒蔵歴史館(と言ってもちゃんとした酒蔵)に寄って利き酒をしっかりと楽しんだり、鶴ケ城のお堀を眺めたりしてから、再びハイカラさんに乗ったのであります。

これがJRの広告にもあるさざえ堂
飯盛山にあるこの建物、全体は六角形、内部には螺旋通路があって、昇りと下りの人がすれ違うことがないという摩訶不思議的木造建築。寛政8年(1796)のものだそうだ。
ぎしぎしと床を鳴らしながら昇っていくと、内部には古い木の匂いが満ちている。窓から陽が差し込んで幻想的である。頂点に昇りつめてから、今度は下りルートへ。確かに昇り下りが別ルートなのである。最後には入り口の反対側に出た。構造が不思議で、少しのあいだ考え込んでしまった。
だいぶ陽が傾いてきた。そろそろ帰りの列車の時間でござる。楽しい旅も終わりに近づいてきている。
会津若松駅に戻り、磐越線“赤べこ号”で郡山へ。そこからは新幹線で一気に東京駅だ。
この旅で、何となく会津の人々というものが分かったような気がした。この地に来ると、町の中にはこんな立て札を見ることが出来るのだ。

四の「卑怯なふるまいをしません」というのは、いかにも武士の気質らしくて頼もしいではないか。そして最後の
「ならぬことは ならぬものです」
というのが、そこはかとなく悲しい。会津と言えば白虎隊の歴史がある。さっきまでいた飯盛山は、少年剣士たちが自決したところなのだ。
閉鎖的と言われながらも、純朴で暖かい心を持つ人々。一度その心に触れると、人はここを去りがたくなると言われている(原瀧さんのブログで「会津の三泣き」なるいいお話しが紹介されていますぞ)。
ああ、旅というのは人間を知ることなのだなぁ。
今回の費用は交通費・宿泊費込みで約2万円。宿の食事も含まれていてこの値段で行けたのは、実に嬉しい限りであった。まんまとJRの宣伝にのってしまったけど、結果としてはとても良かったのでありましたよ。
おわり
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