定年後、間もないご近所さんが亡くなった。
故人は校長先生を退職して1年足らず。これから優雅に余生を送れるはずだった。地元の活動でも活躍してくれるはずだった。さぞ、無念だったに違いない。
ご家族は盛大な葬儀で多くの人にも見送ってもらいたかったはず。でも、喪主でもある奥さんは現役の学校の先生。今、学校関係者は新型コロナウイルスに敏感になっている。
一般葬だと学校関係者がたくさんお参りしてくれる。もし何かあったら先生だけじゃなく児童にも迷惑がかかることになる。
そんな心配をされて「家族葬」にされた。
朝から隣保班が公民館に集合した。喪主の意向を伝えた。「旧町内へのJA有線電話放送による葬儀案内、地区内各戸への葬儀案内ビラ配布、隣保班の手伝いを辞退された。ただ、お参りはしてもらって結構だが香典は辞退」と。
隣保班恒例のお供えをさせてもらうことだけを決め、解散した。隣保班の取り決めではないが、お参りだけはさせてもらおうと思っている。
最後の別れをしないなんて、故人に失礼すぎる。故人も寂しがるはず・・・
残された奥さんと娘さんも気がかり。お悔みに行っての帰り際、「娘のエエお相手ないやろか」と話題を切り替えた奥さん。いろんなことが脳裏をよぎっている様子が痛いほど伝わってきた。
新型コロナウイルスは、故人との最後の別れまで邪魔をしにきた。家族をも苦悩させた。
そんな憎き新型コロナウイルスだが、世界のアチコチで国境封鎖や地域封鎖や外出禁止などで行動が制限されたりを知るとき、我が国の感染がそこまで進んでいないのは、関係者の英断と対策・国民の理解と協力・医療スタッフの奮闘の結果だと受け止めている。
ご近所の葬儀に際し、いろんなことが頭に浮かんできた。誕生祝でもらったお酒をチョビチョビ舐めながら、「アレコレ考えてみたところでどうなるものでもないし」と気を鎮めた。