和歌山市内に住む家内の叔母さん。姉妹である家内のお母さんと叔母さんは、ともに80代後半の高齢者。
・・・以下、家内に聞いた話・・・
叔母さんは持病があり体調が不安定。これまで大阪に住む娘さんが、働きながらも週1回、車で何時間もかけて世話をしに通っていたが、遠くて通うのが大変なので大阪に引き取って世話することになったと。
叔母さんの娘さんから、1か月ほど前に家内に電話があった。
『来月、母を大阪へ連れて行く。大阪に行けば、母はもう和歌山に来ることはおそらくない。元気な今のうちに母同士を会わせてやりたい。生まれ育った箕島漁港の街も漁船もみせてやりたい』と。
昨日、箕島漁港内にある「浜のうたせ」に、家内、家内の母、家内の妹達、叔母、叔母さんの娘さん夫婦が集まって食事した。
・・・感動!・・
そんな話を聞いて、娘さんの親孝行ぶりと心配りに感動した。
学校の先生を定年退職されたという娘の旦那さんの話にも感心した。『家内には自分の両親の面倒をみてもらった。今度は自分がお返しする番や』と。
エエ娘さん夫婦や!
・・・手土産・・・
家内は妹達と相談し、叔母さんに渡す手土産を段取りしていた。その話を聞いていた自分は、せめて気持ちだけでもと、皆大好きと聞いていた「きゅうり・なすび」のぬか漬けを家内から渡してもらおうと準備した。
・・・叔母さん・・・
生まれ育った街で感慨にひたり、久しぶりに姉妹で顔を合わした叔母さん。嬉しそうに大阪に向かったと聞いて、心が和んだ。
夜、大阪に着いた叔母さんから家内にテレビ電話があった。
今日、みんなと出会えたことを凄く喜んでくれていたとのことだった。
長女である家内も、皆に連絡したり段取りしたりと、心温まるおもてなしをしたに違いない。
話を聞いているだけで、皆の優しい人柄が伝わってきた。家族愛が伝わってきた。
・・・介護の大変さ・・・
そんな叔母さんのことを聞いて、ふと、昔のことを思い出した。
親の面倒をみるのは当たり前のことかも知れないが、それは並大抵のことではない。
父は86歳、母は101歳で旅立った。健康寿命を過ぎてからの世話は、大変だった。
介護ランクが低ければ介護施設へ入所もできず、日々の世話、病院通いの付き添い、デイサービスの送迎時の世話などに明け暮れた。
精神的にきつかったのは、こうした遠出もできないような気の休まらない日々がいつまで続くのか、先行きが見えないことだった。いくら親の有難みをわかっていても、それを乗り越えるのは大変だった。まして、育ててもらった親でもない家内にすれば、なおさらのことだったはず。
今でこそ介護施設も増えショートステイも充実してきたが、福祉が充実していなかった昔ほど、大変だった。
介護施設や病院へ入っても、面会に顔を出したり洗濯物を届けたり、急に呼び出されたりが何度もあった。経済的負担にも四苦八苦した。
自分は仕事があったので定年後までは家内に任せることばかりだった。家内が大変すぎる思いをしたことを痛いほど知っている。
今も、家内には返し切れない大きな借りを背負ったまま、日々を過ごしている。