故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

何々しなけりゃの夢をみる

2016-04-07 05:01:21 | よもやま話

綱渡りのような引っ越しとなりました。
採用後、往復すること3回。
あっちにいる時に、家を探しました。
こっちで、荷物をまとめ運びこみました。
あっちで生活ができるように、各種手続きをします。
こっちで、生活を止める手続きをします。
それを1週間のうちにこなしました。
今日が仕上げの日です。
妻は、あっちで窓を閉め忘れました。獣が入らなければ良いがと心配しています。
私は、こっちで手続きするための大事な書類を引っ越し荷物の中に忘れました。
どっちも「あーあ」です。

しがらみが多い分、荷物も手続きも多くなります。
合間を縫って、新しい妻と子どもたちの面会も実現しました。
子どもたちは、みんな大人になっていました。
何をやらかすか分からないお父さんと、おおらかに対応してくれました。

私達は、まだよい方です。
自衛隊の方々の転勤は凄まじい。と聞いています。
よって、ダンボールの中に納めたものを着たり戻したりされるそうです。
いつでも移動できるように。家の中はダンボールだらけとなるそうです。
50Hzと60Hzを行ったり来たり、モーターの回転数が変わるのだって気にしない。
嫁と結婚するのだって、日取りが何回も変わります。前撮りだって本人不在で決行となるそうです。

学生の頃は、電車で引っ越しました。
力自慢のスポーツ部の友人6人と、布団袋とダンボール6個の引っ越しでした。
駅員もおおらかで、改札口越しに荷物の受け渡しでした。
まとめて運んでわずか3時間でした。お礼にラーメンをご馳走して、費用は5,000円かかりませんでした。

そんな中、「何々しなけりゃ」の夢をみました。
夢の中で、「評価」の文字が見えました。
何だよ、またこの言葉と付き合うのかいと思ったようです。
男として立てなきゃならない。という訓練もあったようです。
なんでこんなことまで、求められるのか疑問でした。
馬鹿々々しくなり起きだしました。

生活の中で、働く上でさんざんこの「何々しなけりゃ」と付き合いました。
中には、モラスハラスメントのような誰かが決めた法則や作法がありました。
今思うと、本当にしなければならないことではなかった。
人に任せないで、自分で判断した方が正しかった。
組織は個人を守ってはくれませんでした。
個人の各種犠牲の上に組織がありました。
組織は、暗闇のようにつかみどころのないもので、幻想のようなものでした。
各人各様の中に、組織としてのモラルを求められました。
転職を繰り返し、たんびにモラルと決別しまた出会いました。
「何々しなけりゃ」なんて、本当は存在しなかった。
個人の勝手な妄想のようなものだったと気づきます。
普遍もありませんでした。
だから、「何々しなけりゃ」なんて修行のようなものはしない方が良いと今では思います。

ほととぎす 鳴くは私の 勝手でしょ

2016年4月7日


コメント
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