故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

知識欲

2016-04-12 05:05:55 | よもやま話

寒の戻りです。
家の中でも重装備です。
黙らせるには鉄砲は要らない。ちょっと木枯らしに吹き込んでもらえば良い。
「どさ」と「ゆさ」の短い会話に逆戻りのこの頃です。

妻が、ご近所に遅れじとじゃがいもと豆の苗を買ってきました。
種芋の売られている単位がKg単位です。家庭菜園では、ちょっと荷が重い。
さっそく鍬やら鎌やら買い込みました。部屋の中がまだ片付いていないというのに、気が早い。
そうです。季節は待ってくれません。

放置状態の生垣の剪定用の鋏も買いました。高い木なので三脚式梯子も買いました。
障子も穴だらけです。給料の1/3が飛んで行きました。
田舎に住むということは、初期投資が馬鹿になりません。
妻に緊縮を求められています。財布の中身は数千円です。
でも使うところがないから困りません。

今日のタイトルは、「知識欲」です。
生姜の姜さんを自然と思い出します。五木寛之さんを思います。
二人とも勉強したことが生きている。静かな語り口となっています。
教養という表現がぴったりである。
先輩は、田舎暮らしも良いと言われます。
歳をとると、一日中テレビを見て暮らしてしまう。
やることがあることは良いことだと。

やれば、知りたくなる。
どうしてかな。と疑問に思う。
広辞苑なり、本を読もうとする。
知ったかとて、何にも変わることはないというのに。
ははあそういうことかと、合点がいくのです。
これが面白い。

越してきた地域には、標識がありません。
地図を見て車を走らせました。大きい道(センターラインがある)と農道と区別がつきません。
それだけ農道が立派だということです。
構わず、センターラインがある道を、村境まで走りました。
村境から街中まで戻り、別のセンターラインの道を次の村境まで行きの繰り返しをしました。
街中から、村境までどんなに長くても20分です。
ほとんどのセンターラインがある道を制覇するのに、約2時間かかりました。
どんな小さな道でも、通り抜けると知った(前に通った)道に出るようになりました。
舗装がされた道のことです。
なるほど、標識は要らないかもしれないと思うようになりました。
センターラインがある道には、標識があります。
さっそく、染まってしまいました。

「知識欲」が満たされる。
食欲や性欲とは少し違いますが、満たされることには変わりがない。
知識欲には、行動が伴います。やらなければ知ろうと言う気が起こらない。
なんでもやれば、躓きます。先生がいます。本があります。
答えを教えてくれます。困った時に教えてもらえる。

どうして先生に聞かなかったんでしょう。
その気がなかった。としか言いようがない。
あるいは、質問をする暇がないほど早く進んだということでしょうか。
それとも、一字一句疑問が湧いて諦めたということでしょうか。
確かに、英文を読んだ時次から次に知らない単語に出会い、絶望的になりました。
知る必要がなかったとも言えます。

必要があるのだと、先生に教えて欲しかった。
なぜ必要なのか。これを知ることによりこんな素晴らしいことがある。
先人は何故こんなことを考えたのか。それが知りたかった。

高校の生物の時間、植物がなぜ成長するのか教えていただいた。
先端に成長ホルモンが存在し、それが次から次に成長を促すのだと。
だから、先頭のその物質を取り除けば、成長が止まるとも。
あれれ、脇芽が伸びるのはどういうこと。大きくなって気づきました。
先生に感謝し生物が好きになっていきました。

いっぱい知らないことがあります。
知ったこともいっぱい忘れました。
年寄りになると、病気に詳しくなります。
病気のサンプルに自分がなるのですから分かりやすい。
若い時は、この年寄りの病気自慢がとても嫌でした。
今は、そうですかとならない病気にも関心を持つようになりました。

知識欲と知ろうとする意欲があれば、呆けないかもしれません。
それには、身体が動くことが第一です。動けば躓きますから。

呆け防止 動く知ること 食べること

2016年4月12日

コメント
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