前回 The Curious case of Benjamine Button を読んで気に入り、この作家の本はもっと読まなければ、と思っていたので、一番取りかかりやすいところから始めてみました。隠れディカプリオの私は必ず映画を見るだろうしね。
でもねぇ、なかなか入り込めないんですよ、出だし。実は大昔に翻訳本にも手をつけてるんですけどそちらも早々に投げ出しましたし。出だしは語彙もかなり難しい。
そんなわけで今回はオーディオの助けとディカプリオのヴィジュアルを借りてみました。
ベンジャミンの時にも感じたのですが、作品のテーマ的にはもっともっと長くなってもよさそうなところを、本当に必要なことを厳選して書き出している印象です。
昔の小説ってそういうのが多かったと思いませんか?最近の小説はその辺盛り込み過ぎが多いといつも感じるんですよね。どうでしょう。
少し話は脱線しますが、今うちの娘が書いている小説なのですが、登場人物(人間だったかどうかは忘れてしまいました)の形容としてグロテスクという語を使っています。はたしてこの一語で読者の想像にお任せするのが良いか、もっとどうグロテスクなのかを描写するべきか。
おそらくここは描写する、が正しい選択な気がしますが、あまりやりすぎると読者のイマジネーションの自由を奪ってしまわないか。
話はギャツビーに戻りますが、特に描写がシンプルすぎるため短くなっているというわけでもないのですが、必要な情報はしっかり入ってくるのにサッパリ感があるんです。
特に大恋愛メロドラマか復讐劇と思っていたので余計そう感じるのかもしれませんね。
ギャツビーはどんなに財と名声を手に入れても、過去に縛られているため、かっこうよくないんですよね。取り繕いながらも、デイジーに対する執着心、余裕の無さを露呈している様な人間味があるところが長きに渡り多くの読者を惹きつけているんでしょうね。
私の一番好きなシーンは、ギャツビーがニックの家でデイジーとの再会を果たすシーン。
長年夢にみ、何度も頭の中でシュミレーションしてきたであろうに、アタフタしちゃってとにかく滑稽なんですけど、思わずホロリとさせられました。

せっかくの再会時にこの顔。不器用な男であります。
少し落ち着いてきた頃の、デイジーを愛おしく見つめる眼差しなんて、ディカプリオだったら上手に表現するんじゃないかしら。そうしたらその瞬間が私のベストシーンになるかも!なんて想像しながら読了後、初めて映画のトレイラーに目を通したんですけど、
うわっ、、、、、全然興味湧かない!
原作に戻りますが、デイジーのキャラクターもなかなか興味深いですね。男が人生をかけた憧れの女性なのに、
あまりにも薄っぺら過ぎる!
これはなかなか勇気のいる設定じゃないですか?この当時は新しかったんじゃないのかな。
そこが上手い具合に物語の悲哀を一層強めていて、グッと摑まれるんですかねー。
ちょっと一回読んだだけじゃダメですね、この作品は。再読する方が多い理由がわかりました。
何度も挑戦して別の味わいを感じてみたいと思わされました。