上野鈴本演芸場10月上席の夜の主任は柳家小三治師匠である。人間国宝(内定)だ。
これは行かねばならぬ。
というわけで久しぶりに寄席に行って来ました。
人間国宝ともなると「落語を聴きに行く」というより、「拝観料を払いに行く」ような心持ちである。
小三治師匠以外の落語家さんは、
柳家禽太夫(辰巳の辻占)
柳亭燕路(たらちね)
古今亭菊志ん(紙入れ)
春風亭一之輔(蝦蟇の油)
柳家はん治(老年夫婦ネタの新作)
であった(敬称略。かっこ内は当日のネタ。但しネタの順番は今ひとつ記憶に自信がない。)。
あと、前座さん。名前は忘れた(ネタも)。
小三治師匠といえば「まくらの小三治」。
「まくらだけでも一席成立する」と言われる人だ。人間国宝に選ばれた詳しい理由は存じ上げないが、「まくら」を一つの芸にまで昇華させた功績が評価されたことは間違いなかろう。
10月1日の「まくら」は「御嶽山噴火」であった。
亡くなった方々の数は雲仙普賢岳の噴火を超えて戦後最悪となり、日々、新たに発見される犠牲者のお名前が発表され、自衛隊や警察・消防が行方不明者の捜索を懸命に続けている、というこの状況で、である。
「笑い」という落語の世界から最も遠い場所に位置する話題と言っていい。
当然、客席の反応も微妙である。
小三治師匠なので、それでも語りの端々に「クスっ」と笑うツボを織り込んでくるのだが、テーマがテーマだけに(しかもあまりにリアルタイムなので)客の方がついて行けてない。いつものように「ドッ」と笑えないのだ。
・・・・・なんなんだ、この何とも言えない緊張感というか引きつった笑いの空間は。
そして本編。
小三治師匠が選んだネタは「野ざらし」であった。
このタイミングで御嶽山噴火を「まくら」に据えて、本編で「野ざらし」を演る、ということには批判もあるはずだ。いわゆる「小三治信者」と揶揄されるような盲目的に小三治師匠を崇拝している方々以外の客は、多かれ少なかれ心に打ち込まれた違和感を抱いたまま「人間国宝 小三治」の話を聞いていたはずだ。私も違和感を持った一人である。
柳家小三治はバカではない。客が戸惑うことも、場合によっては「不謹慎ではないか」と批判されることも当然分かっていたはずだ。
それなのに小三治師匠は敢えて「御嶽山噴火」から「野ざらし」へと話を紡ぎ、一礼して高座を下がっていった。
帰りの銀座線の中で気づいた。
あれは柳家小三治という稀代の天才落語家にしかできない「鎮魂歌(レクイエム)」なのだ。
この世界では、日々、どこかで、誰かが不幸になり、あるいは非業の死を遂げていく。
その一方で笑いを求める人がいる。求められる笑いを提供することを生業としている人もいる。
目の前の不幸から目を背け、何もなかったかのように落語を語るのは簡単だ。
目の前の不幸に哀悼の意を表するのだと、高座を自粛してしまうのも簡単だ。
しかし、ダンサーがダンサーであり続けるために死ぬまで踊り続けるように、落語家はこの世のどんな不幸に直面しようとも落語を語り続けなければならぬ。
目を背けるでもなく、語ること自体を諦めるでもなく、批判を浴びることを承知の上で、客が注目する「まくら」で御嶽山噴火を語り、なおかつ「野ざらし」を演じてみせることが、「まくらの小三治」が選択した犠牲者への祈りだったのだろう。
柳家小三治を嫌う人、否定する落語家も多いと聞く。
が、目の前の悲劇に背を向けることなく、自分の芸を通じて犠牲者の方々に何かを手向けようとした柳家小三治の生き様を私は目映い、と思う。
天才と呼ばれる人間の芸は、我々凡人の理解を凌駕して、なお、もの凄い。