「Dの意思」に続いて「Tの品位」である。
ちなみに、N社長によると、D君は今、長い長いトンネルに入り込んでしまっているらしい(トンネル掘りのバイトに行ったんじゃないぞ。比喩な。)
今回のTは2人だ。
一人はこのブログにもたびたび登場している高橋いさをさん(それどころか、いさをさんはご自身のブログでこのブログのことにも言及してくれている。ひゃー、ありがとうございます!)。
もう一人は私の親父の恩人でもありゴルフの師匠でもある顧問先のT社長(詳細は過去のブログ記事を参照されたい。)。
お二人にはいくつか共通点がある。
一つ。私より年上の先輩であること。
二つ。極めて温厚で品のいい男性であること。
三つ。昔はかなり激しい性格だったらしいということ。
四つ。自分の好きな道で生きていること。
いさをさんとはかれこれ四半世紀を超えるお付き合いになってしまったが、その間、いさをさんが声を荒げたり、人を悪し様に罵ったり、怒りの感情を露わにしたところを私は見たことがない。
先般、「ぶれさんぽうず」の稿で私が、
「いさをさんは私が何を言ってもニコニコと聞いていてくれる。パンチドランカーじゃないかと心配になる。」
と書いたら、早速、これについてのコメントをご自身のブログで書いてくださった↓
http://ameblo.jp/isawo-t/day-20141007.html
「この人は大人だなぁ」と思うのは、いさをさんのブログ中の、
「他人には他人の人生と価値観があるのだから、それがわたしと違うからと言って目くじらを立てても始まらない。だから、怒ることもなく、まずは全部受け入れる。」
という一節だ。
スゴイのは「だから、怒ることもなく」という部分ではなく、「まずは全部受け入れる」というところ。
「怒らない」ということは何となくできそうな気もするが(要は「イラッ」としてもガマンしてしまえばいいのだ。それすらできていない私が言うのもナンだが。)、「まずは全部受け入れる」というのは難しい。
というか私には無理だ。
「まずは全部受け入れる」というのは裏を返せば、自分の生き方に揺るぎない自信と誇りがないとできない大人の対応なのである。
一方、T社長は大学卒業後、名前を聞けば誰でも知っている一流ホテル(先般、申告漏れで名前の挙がった日比谷公園の向かいのホテルじゃない方)に就職し、その後、これまた名前を聞けば誰でも知っているアメリカの超一流ホテルに転職(というか就職留学)し、帰国後は某一流商社に迎えられて世界的な某ホテルチェーンの日本展開に先鞭を付けられた方である。
そして今はご自身でホテルのオペレーション会社を経営しておられる。
T社長が手掛けているホテルの稼働率は毎月(ほぼ)100%だ。この稼働率は驚異的を通り越して異常である。
で、T社長。この方もいさをさんと同様、温厚極まりない。
私が紹介する人物を、「あの人はいいですねぇ。」「彼はいい男ですねぇ。」と、ことごとく肯定してくれる。
出会いの入口の部分で人を否定するとか疑ってかかる、ということを絶対にしない。
自分を裏切った人間に対しては容赦ないが、まずは、全部肯定して受け入れる。この点、いさをさんとまったく同じである。
だからかもしれないが、両T氏は人に恵まれている、と思う。
周りにいいブレーンが多い。彼らを裏切ったり、利用したり、という下世話な輩が継続して彼らにまとわりつくこともない(ように見える)。
あと、T社長は、アメリカでご苦労されてきただけあって、「人間としての大切な部分」が程良くアメリカナイズされている。と私は勝手に思っている。
例えば、T社長は、何かしてもらったとき、必ず「ありがとう」と言う。
レストランでウエイトレスがお水を持って来てくれたとき。レジでお金を払うとき。タクシーを降りるとき。私の事務所で会議中に秘書がコーヒーを持ってきたとき。
高速道路の料金所でお釣りをもらったとき料金所のオジサンにまで「ありがとう」と仰っているのを見たときはさすがに恐れ入った。
よくよく考えれば、アメリカ人って何かにつけて「サンキュー」って言う。
ハワイとかニューヨークに何度か遊びに行ったことがあるが、アメリカという国はびっくりするくらい街中に「Thank you」が溢れている。あまりに頻繁に「サンキュー」と言うので現地では不感症になってしまって気にも留めなかったが、日本でT社長のように、ことある毎に「ありがとう」と言う人を見ると、(しかもそれが私と同じコテコテの日本人だったりすると)軽いカルチャーショックを覚えたりする。
弁護士という仕事をしていると、「アメリカ留学しました」「ニューヨーク州弁護士の資格取ってきました」「私はカリフォルニア州の弁護士資格です」という輩に掃いて捨てるほど会う。
しかし、T社長のように爽やかに、誰に対しても、呼吸をするのと同じくらい自然に「ありがとう」という人を、私はまだ見たことがない。というより、(同業者を批判して恐縮だが)弁護士という人種はやたら偉そうで、上から目線で、「軽やかに人にお礼を言う」ということが生理的にできない人の集団のように思う。
以前、ある弁護士(ニューヨークからの留学帰り)と牛丼の松屋で昼食を取った際、店を出るときに私が店のスタッフに「ごちそうさま」と声をかけたら、彼は、
「平岩さん、牛丼屋にまで『ごちそうさま』って言うんですね。やっぱり、顧客の開拓って、そういうところからですよね。」
とぬかしおった。
そーゆーことじゃねーだろ?
異国に留学する、ということの意味は、語学の修得、資格の取得、見聞を広める、人脈を作る・・・と人それぞれであろう。人それぞれであろうが、T社長のように「アメリカでの体験を、いい意味で自分の骨肉とした人」にはなかなか出会わない。
話を戻す。
いずれも自己申告だが、いさをさんはその昔、稽古場に竹刀を持ち込むほどの激しい演出家だったそうだ。
T社長も瞬間湯沸かし器に近いほどの、激昂しやすい性格だったという。
何がお二人をここまで変えたのか。
人間というのは修羅場をくぐり抜けて年輪を経るとこうまで変わることができるものなのか。
イニシャルがTだからか? Hはダメなのか?
そもそも、
「他人には他人の人生と価値観があるのだから、それがわたしと違うからと言って目くじらを立てても始まらない。だから、怒ることもなく、まずは全部受け入れる。」
というのは、弁護士という仕事をしている私にこそ求められるものではないのか? にもかかわらず、この攻撃的かつ批判的かつ品のないブログは如何なものか。
そう逡巡して悩み苦しみ、この1週間というものブログの更新に手が付けられませんでした(←ウソ)。
試しにいさをさんのブログを覗いてみて欲しい。
私のブログのように誰かを批判したり、攻撃したりする記事は皆無である。そして何よりスゴイのは「毎日更新」を続けていることだ。
品位のある記事を毎日更新し続けること。
広い間口で人と接すること。
人の悪口を言わないこと。
否定するより肯定すること。
どんな小さなことでも、誰かに何かをしてもらったら、「ありがとう」ということ。
「人間の品位」というのは、こういう所に現れるものなのである。