昭和45(1970)年1月1日の摂子の母子手帳の記載。
『風邪もひかず元気だった摂子、1970年1月1日、けいれん。直(す)ぐ病院え。
正月でどこの病院も休みだったので瀬戸の浅井病院に入院。
1週間目、ここでは摂子は死んでしまうと無理だったけど市大病院(※名古屋市立大学病院のことである)に入院。
10日間も意識がなく、もうだめかと思ったら目を開いてくれた。
世の中で私はこんな嬉しい事はなかった。
先生もあきらめて下さいと言われたが、摂子、心配だった運動しょうがいもなく良かった。』
お袋が母子手帳に書き残した文章はこれだけである(あとは体重の変化等の記録のみ)。
これとは別に、親父が摂子の障害認定申請手続きのために作成した「平成元年3月25日付け病歴・就労状況等申立書」の控えが残っている。
平成元年といえば、昭和45年から20年近くが経過している。
そのためか、親父は摂子の発病年月日を「昭和46年1月1日」と1年、間違えて記載している。
作成された時期や作成過程からしても、母子手帳にお袋が書き残した年月日の方が正確だろう。
正月早々、お袋は(たぶん親父も)絶望の淵に叩き込まれ、10日後、再び神様だか仏様だかに救い上げられた。
はずだった。
本当は神も仏もなかったことにお袋と親父が気付くのは、もう少し先のことである。