第38回。西東京市。
我がまち練馬と接する、保谷市と田無市が合併して2001年にできた新しい市だ。
かつての田無市にあった田無神社が有名だが、行ってきたのは田無神社のすぐ近くにある総持寺というお寺。
実は「総持寺」という名前のお寺は全国各地にある。
横浜市鶴見区の総持寺と石川県輪島市の総持寺は曹洞宗。
滋賀県長浜市の総持寺と大阪府茨木市の総持寺と富山県高岡市の総持寺と群馬県太田市の総持寺とこの西東京市の総持寺は真言宗。
・・・といった具合。
「総持寺」という名前のお寺が多いのは、「総持」が「仏の教えをよく記憶して忘れない」という意味の仏教用語だからだろう。「総持」はサンスクリット語だと「ダラーニ(陀羅尼)」。
要するに、仏教徒の生涯目標みたいな標語をそのままお寺の名前にしちゃってるわけですな。
で、何故、田無神社ではなく総持寺に来たかと言うと、ここに田無地域最大級の大欅(けやき)があると聞いたから。
これ↓
推定樹齢180年位らしい。
たしかに凄い。圧倒されます。
てか、大き過ぎて画面に入りきらん。
ちょっと角度を変えてみましょう↓
本堂もなかなか立派です↓
ものすごい勢いで「おみくじ」をアピールしとるが、今年は指は切るわ、ストレス溜まる仕事は多いわ、おみくじなんか引かんでも、大凶に決まっとる!
でも、大凶だろーが、天中殺だろーが、13日の金曜日だろーが、気にしない。
気にしてなんとかなるならいくらでも気にするが、ヒトの運気とかバイオリズムとか、気にしたってどーしよーもないことを気に病むのは時間の無駄だ。
私の運気がいいとか悪いとかなんて、この地で180年、悲喜交々(ひきこもごも)の人の世を見続けてきた大欅にすればハナクソみたいな悩みだろう。
私が写メを撮っていると、どこからか一人のおばあさんがやって来て、大欅の幹をさすりながら、
「おけやき様、おけやき様。今日は令和元年11月16日でございます。今日も元気に暮らしております。ありがとうございます。」
と話しかけていた。
「おけやき様、おけやき様。今日は令和元年11月16日でございます。今日も元気に暮らしております。ありがとうございます。」
と話しかけていた。
本堂もおみくじもそっちのけで。
信仰というのは本来、こういうものかもしれぬ。
昨日も今日も明日も、大欅をさすりに来られることだけを感謝して生きる。
それ以上を求めることもなく、それ以下に怯(おび)えもしない。
それを人は「悟り」という。
大欅はいつもそこにある。
日射しが暑くても、風雨に晒(さら)されても、愚痴も言わずそこに立ち続けている。
ただ立っているだけなのに、ヒトには木陰を、小さな生き物たちには風雨をしのぐ場所を提供して感謝されている。
何も言わないのに、みんなに話しかけられて愛されている。
いつか枯れて朽ち果てるその時も、泣きもせず、怒りもせず、誰かを恨むこともなく、静かに倒れていくだろう。
それは仏の境地ではないか。
大欅をさすっていたあのお婆さんは、不運続きでへこたれそうになっていた私に何かを伝えようと現れた仏の化身だったのかもしれませぬ。
では今回は地蔵陀羅尼を唱えて終わりましょう。繰り返し唱えると地蔵菩薩の功徳がありますぞよ。
唵訶々々微三摩曳薩婆訶