つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

東村山市

2019-12-15 23:46:00 | 晴れた日は仕事を休んで
第42回。東村山市。

今回、訪れたのはここ。
明治学院中学校&明治学院東村山高等学校↓

の、敷地内にある「ライシャワー館」


ケネディ〜ジョンソン政権下で駐日大使をつとめたE.O.ライシャワー氏の生家である。

ライシャワー氏は、キリスト教長老派教会の宣教師で東京女子大学創立にも関わった父上オーガスト・カール・ライシャワー氏が住んでいた明治学院内の宣教師住宅(東京府東京市芝区白金台町)で生まれた。
現在、東村山市にあるライシャワー館は1965年にそれを復元したものだ。

その前年の1964年。
ライシャワー氏は、赤坂のアメリカ大使館前で統合失調症の日本人少年に右大腿を刺されて重傷を負った。
その時のライシャワー氏のコメント。

わたしは日本で生まれたが、日本人の血はなかった。しかし、今回、日本人の血液を多量に輸血してもらい、本当に日本人と血を分けた兄弟になれた」

なんだなんだ、このジェントルマンの見本のようなコメントは。
今のアメリカ大統領(特に名を秘す)にライシャワー氏の爪の垢を煎じて飲ませたいぞ。

ライシャワー氏は最初の奥様と死別された後、日本人女性と再婚された。
彼女の旧姓は松方ハル。明治の元勲、松方正義のお孫さんだ。
ハルさんは、私が今の事務所を開く前、8年間お世話になった三宅能生先生のご友人でもあった。
日本にお忍びで単身帰国されたとき、何をどう間違ったかラブホテルに入ってしまい、

「能生、最近の日本のホテルって素敵ね。ベッドが丸くって、天井一面に鏡が張ってあって❤️」

と電話してきて、三宅先生を大慌てさせたチャーミングな方だ(←事務所で酔っ払った三宅先生から何度か伺った機密事項)。

ところで。

東村山といえば、40代後半から上の世代の方が思い浮かべるのは志村けんさんの「東村山音頭」だろう。

もともとは三橋美智也さんと下谷二三子さんが1963年にキングレコードからリリースしていた曲だが、広く世に知られるようになったのは、ザ・ドリフターズの一員だった志村けんさんが1976年、「8時だヨ!全員集合」でアレンジした東村山音頭を公開してからだ。

「東村山ぁ、庭先ゃ多摩湖ぉ〜」で始まり、最後は「イッチョメ、イッチョメ、ワァオ、イッチョメ、イッチョメ」で終わるあの名曲である。

お若い読者の方はYouTubeで見てください。あまりのバカバカしさに頭を抱えること請け合いだ。

1976年といえば、調布編で書いたユーミンの「中央フリーウェイ」が発表された年でもある。
私はまだ小学6年だったから、ユーミンよりドリフだった。てか、田舎の小学校でユーミン聴いてるヤツなんていなかったんじゃないか(いたらスマン)。

「8時だヨ!全員集合」は毎週土曜日の放送だったから、週明けの月曜日は学校中で馬鹿ガキたち(含む、私)が「イッチョメ、イッチョメ!」と大騒ぎしていた。

志村けんさんの「東村山音頭」が大ヒットしたお陰で、取り立てて観光名所も売り物もなかった東村山市は一躍、日本で最も有名な市になった。

西武新宿線の東村山駅東口ロータリーには、志村けんさんの功績(?)を称えて3本の欅(けやき)が植えられている。
その名も「志村けんの木」という。

・・・って、そのまんまかーい!



「志村けんの木」が3本である理由についてはよく分からないが、志村けんさんの「東村山音頭」は1番の歌詞が東村山4丁目、2番が3丁目、何故か3番が1丁目だったから、それにちなんだのかもしれぬ(歌詞に2丁目はない)。
ついでに言うと、東村山市には「東村山●丁目」という地名もないし、「庭先ゃ多摩湖ぉ〜」と歌われた多摩湖があるのは東大和市だ。

てか、こんだけ功績称えといて、「志村けんの木」の前にトイレ作るか、普通?

東村山ぁ!お前なぁ・・・
「志村けんの木」のネーミングといい、その立地といい・・・

グッジョブ👍