1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

選挙バカの詩×5『演説要請2』

2013-01-08 20:51:32 | 雑談の記録
ただ、その話を聞いただけでは僕にはさっぱり分からないことだったので、秘密もヘッタクレもなく、目の前の作業に集中するだけだった。
しかし、さっきのタバコ休憩中に先生から名刺をくれるよう言われていたことはしっかり憶えており、事務所内に戻ってから、自分の名刺ケースに最後の1枚が残っていたことに安堵したのだった。
11時を回ろうとしていた。翌日は朝からOB訪問の予定だった。その日の作業を終え、同級生と連れ立って事務所の玄関に向かっていた。入口横のブースには、松中議員のほか、選挙対策本部長の藤山県議と地元選出の橋本県議が三原候補を囲んで会議中だった。
僕は名刺の件を思い出していたが、松中議員は会議で忙しそうであったため挨拶もソコソコにその場を通り過ぎようとした。その頃には悪い予感があった。明日の日程と会議の参加者を見れば、会議の内容は総決起大会についてのことは明らかだった。だから僕はそのブースから離れた所を友人の影に隠れて故意に通過しようとしたのだった。ところが、松中議員は僕を呼びとめたのだった。そして、こちらへ来いの手招き。
僕は同級生の仲間から一人外れてそちらへ向かった。その時には覚悟を決めていたのかもしれない。一番手前にいた藤山議員が振り返りざまに僕に言った。
「喋る?」
人間は疲れている時には悪い癖が出るものなのかもしれない。はたまた、中年男にありがちなオヤジギャグの年頃なのか、あるいは、その重そうな雰囲気に入っていく気まずさを吹き飛ばしたかっただけなのかもしれない。
「シャベルッ!」
と言いながら穴を掘る仕草をしたのだった。その場は一気に和んだ。藤山議員は、
「ヨシッ!決まり!決まり!」
と手を叩いてその厳めしい顔をゆがめて笑うのだった。そう、やはり応援演説だったのだ。
選対の議員達は、明日の総決起大会について話し合っていたようで、三原候補と同世代の一般男性による応援演説を計画していたのだが、その適任者を決め兼ねていたのだった。
松中議員は指を三本立て言った。
「三分!、ヒガシさん!三分ね、自身の置かれた社会的立場からの発言、、そうだね~、中間管理職の三人の子持ちのオヤジ!、この線で行こうか!ヨロシク!、明日のお昼にもう一度打ち合わせをしようか!」
藤山先生が付け加えた。
「明日はいつもの格好で来いよ」
いつもの格好とは作業着のことだった。僕はこのとき、ハメられたと思うと同時に、くだらない駄洒落を言ったことを酷く後悔したのだった。
三原候補の「オマエがかよ」という苦い表情が印象的だった。


続く、、、
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選挙バカの詩×4『演説要請1』

2013-01-07 20:24:50 | 雑談の記録
僕にとって、選挙活動期間中の一つの山場は12月9日に市民ホールで行われた総決起大会だった。
これまでの2回の衆議院選挙では、出陣式に親衛隊風の自転車隊の一員として、当時後援会長だった勝山と共に、健軍神社を出発するといったパフォーマンスを演じたことがあったが、まさか、ステージ上から応援演説をするとは当日の前夜まで微塵も考えていなかった。
選挙期間中、普段は、仕事が終わった夕方から事務所に「出勤」していた。およそ7時から8時の間だった。事務所に着くと、黄城高有志の会のブースで一息したり、事務所の外の喫煙場所で一服するのが日課のようなものとなっていた。その後に、OB訪問活動、つまりローラー作戦用の地図作りなどにあたっていた。
昼間の事務所の様子はよく知らないが、夜は我々のようなコアな支援者と事務所スタッフのほか、多くのの政治家(市議、県議、参議)が出入りしていた。
その中で一番気さくに我々のブースに来て激励や政治の話しをしてくれたのが、選挙長を務めていた2期目の松中参議院議員だった。
松中議員は、我々と年齢が近く大学まで硬式野球を続けており、野球好きの僕にとっては非常に身近に感じられた。また、議員のご子息が中学校で野球をやっており、お互いの子供の野球話ができたことも親近感が増した大きな理由だった。松中議員にとってもそうだったのかもしれない。外の寒い喫煙所では、選挙長としての辛い立場の話も何度か聞いた。というのも、松中議員はこの選挙戦における「長」ではあるが、選対本部を構成する主要な議員団の中では二番目に若い議員だったからである。
「いろいろあるんだよ、、」
事務所内では頻繁に打合せが行われるのだが、選挙戦の進め方については様々な方面から意見が寄せらる。それは、「誰々がこんなことを言っていた」のを「誰々から聞いた」など、まるで中学生の伝言ゲームのような不確かなものが多く含まれているため、その真意の確認作業や調整が打合せの主たる内容であった。
松中議員はまさにその渦中にあり、選挙を戦っているというよりも、小ざかしい処理業務をこなしながら目上に気を配るといったまるで中間管理職のような存在であった。しかし、端的に言えば選挙戦に携わるということは一般職務となんら変わらないことなのかもしれない。というのは、これらは、決められた期間に一定のルールの中で「政見」あるいは「候補者」を売るという、極一般的なビジネスモデルの基本事項に例えることが可能だからだ。そういう意味において、重要なことは、商品となる「候補者」を有権者に効率的かつ効果的に広く知ってもらうことなのであるが、その過程において価値観や方法論の違いによる軋轢が生じ、場合によっては組織が崩壊するような凄まじい派閥争いが起こるのである。
選挙事務所においてはここまで極端なことはないにしても、組織の中枢に携わる人物には相応の苦労が付きまとうことは想像に難くない。
「、、、ヒガシさん、ほんとに、いろいろあるんだよ、、、」
松中議員の言葉には全てが詰まっていた。一方、僕も仕事などの愚痴をこぼしては、お互いの苦労を労ったのであった。
そして、総決起大会の前日の夜のことだった。やはり、外の寒い喫煙所でいつものように二人で煙草を吸っていると、松中議員が唐突に尋ねてきたのだった。
「ヒガシさんは人前で喋ったことある?」
そう言われれば、喋るときはいつだって人前である訳で、だから僕は簡単に
「ありますよ」
と答えた。しかし、政治家の言う「喋る」には別の意味もあるのだということに直ぐに気がつくと、それが表情に出たのかもしれない。僕は黙っていたが、議員は納得の様子だった。
すると、事務所の中からスタッフの男性が呼びに来て、議員は慌て中へ戻って行ったのだった。しかし、ドアは再び開き、中から顔だけを出して議員はこう言った。
「このことは、まだ、誰にも言わないでね、とにかくまたあとで!」
ドアの閉じる乾いた音が暗い駐車場に響いた。議員のコーヒーカップが灰皿の横に残されたままだった。

続く、、、
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選挙バカの詩×3「理由」

2013-01-06 21:17:40 | 雑談の記録
興奮冷めやらぬ勝利報告会が散会となった事務所の駐車場で、日朝新聞の記者から取材を受けた。聞かれた内容は、三原代議士との関係だった。
高校時代は、クラスも一緒になったこともなければ話したこともないと答えた。また、部室は隣りだったがカッコツケのイケスカンヤツと思っていたことも率直に語った。
記者は怪訝な表情だった。単に同級生というだけで、これだけ応援するものなかという表情だったので、もう少し説明しようと思った。しかし、日朝新聞は読む機会の少ない新聞だったので必要以上のことは喋らず名刺交換を済ませるとその取材は簡単に終わった。当然、記事になることはなかった。
しかし、我々は、単に同級生というだけで応援し、同窓生というだけで支援してしまう傾向があるのかと問われれば、イエスと答えるほかあるまい。そして、その傾向は一般的なものに比べれば、いささか強いように感じられるのだ。別の新聞記者が漏らしていた。
「まるで宗教団体みたいですね」
確かに、僕自身もそれは感じているところで、同窓生の多くも心中思っていることかもしれない。あるいは、それはこの地方都市特有の高校派閥ともいう一種独特の素地のもとに形成されたシガラミの一つなのかもしれない。
ただ、宗教と異なるのは、我々には確固たる教祖が存在しないことだ。もちろん、学校創設者の佐々木友介先生を忘れてはならないのだが、我々はある言葉によって結び付けられている同志と考えられるのだ。
それは、建学の精神である「三綱領」だ。
重倫理 尊大義「倫理を重んじ 大義を尊す」
貴廉恥 発元気「廉恥を貴び 元気を発す」
養知識 資文明「知識を養い 文明に資す」
我々、黄壁城高校出身の者は、学生の頃からこの言葉を、ことある度に口にし、そして、同窓会やその他の機会にこの三綱領を唱和している。言葉の力は凄いと思う。実際、学生の頃は十分な理解に至らなかったが、歳を追うごとにこの言葉の魅力、または、その教えに魅きつけられていくのだ。これは正直な感想だ。そして、それは多くの同窓生に言えるのではないのかと思うのである。また、我々は三綱領の言葉あるいは思想と言えるかもしれないそのような絆によって結ばれていると感じている。
そして、後援会活動の一つであるOB・OG訪問という行為は、その思想や絆の確認作業のようなものかもしれない。少なくとも、僕は、三原候補の支援のお願いだけでなく、上記のような気持を持って訪問をしていた。自身の勝手な思いで大変恐縮だが、OB・OG訪問の真髄はそこにあると考えていて、自分は「言葉の使者」気取りだった。こういうふうに考えておかないと、選挙活動という名の、傍目には馬鹿馬鹿しくも見えるこれらの辛い作業に耐えられないという側面もあるのだった。
また、佐々木友介先生が黄城高を創設した目的が「忠君母国の士を養成し以って国家有用の資に供する」であることも、巷で言われている「黄城高は選挙に強い」理由なのかもしれない。
さらに、黄壁城高校は、歴史的には多数の政治家を輩出している事で全国的に知られている一方、近年はテレビ界を席捲している二人組のお笑い芸能人や文人、野球部の甲子園出場によって注目度が増している高校でもある。また、各業界に目を転じればそこで活躍している卒業生の枚挙に暇がないのである。


続く、、、
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選挙バカの詩×2『事務所2』

2013-01-05 19:17:43 | 雑談の記録
「みなさん!こんばんは!、今日は同級生として挨拶したいと思います!」
僕は大きい声でそう言うと体の向きを変えて挨拶を続けた。
「ミハラッ!、キサマはカッコイイッ!キサマは立派だッ!」
「しかし、、キサマの応援は、、骨が折れるっ!、、、心の骨が折れるっ!、、、真剣にやればやるほど折れる、、、痛ぇんだぞっ!」
「オレはいつも、、笑っているけど、、我慢も限界だ!もうボロボロだ!」
「オフクロさん、、この選挙期間中に10歳は歳をとったっ!、、キサマのオヤジさん、、止めたタバコを始めて、暗がりでオレに呟いてた!」
「このトシになって、なんでこんなことを、、、って、、ごもっともっ!」
ミハラは父親がタバコを始めたことを知らなかったらしい、一瞬だが表情に変化があった。馬鹿野郎めがっ!本当にバカヤローめがっ!こんな気が利かん男にっ!熱いものがこみ上げてきた。言葉が震え始める。
「キサマは本当に世話が焼ける男だっ!」
一呼吸おいて続けた。
「キサマに渡したいものがある!、、、金メダルだっ!!」
上着のポケットからプラスティックケースに入ったメダルを取り出した。
「うちの息子が初めてとった金メダルッ!、、、野球の九州チャンピオンッ!!」
支援者の多くは、ここまで、僕の一言づつに温かい笑いと拍手で応えていたが、このときは感嘆の声が漏れた。
「この大会はなぁ、、木嶋市議先生と二人三脚で企画した大会、、いろんな人に世話になった、、阿蘇でやった大会、、、、たくさんの企業に協賛してもらったぁ、、、必死になってぇ、、チームの保護者の人たちとやった、、、」
息を吸った。一気に語気を強めて渾身の力で叫んでやった。
「しかしっ!、、、一番頑張っていたのは子供達だっ!、、だから、このメダルは、、、重いんだぞ!、、、キサマにやるっ!」
しかし、すぐには渡さなかった。勝山を呼んだ。
勝山は事務所の右隅の奥で撮影を行っていた。人ごみで壇上に来るまで時間を要した。
「カツヤマ、お前がやってくれ」
メダルと共にその後の一切を勝山に託した。
勝山は壇上に上り三原にメダルを掛けてやった。そして、短い挨拶のあとに「応援団長」としてエールを切った。

その一部始終は全国へ中継されていた。この地方都市の第一選挙区は、今回の第46回衆議院議員選挙前から注目されていた。週刊各誌は3期にわたって議席を確保していた対立候補者のスキャンダルや解散直前まで破竹の勢いだった新党「帝国維新の会」への鞍替え行為を何度も掲載していたのだった。従って、各局はそのヒール的前衆議院議員に勝利した三原候補の肉声を一刻も早く茶の間に伝えたかったのかもしれない。
しかし、各局には誤算があった。現場には伝わっていたのだろうが、花束贈呈の後の新代議士インタビューが当初のスケジュールだったのだ。そこへセレモニー開始の直前になって余興的サプライズが入ったのだ。聞くところによれば、スタジオのキャスターはこの模様に困惑の様子だったらしい。
三原代議士は、当確をいち早く報道した民放局の若手女性アナウンサーのインタビューを受けた。そして、その女性アナウンサーは三原代議士と同じ「出身」の高校の後輩だった。


続く、、、
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選挙バカの詩×1『事務所1』(新連載:小説バージョン)

2013-01-04 23:50:38 | 雑談の記録
平成24年12月16日、日曜日。この日は、例年の12月の気候に比べるとお穏やかな一日で、事務所の駐車場には昼に暖められたアスファルトの熱気が未だに残っていた。
九州の中心に位置する人口70万の政令指定都市の東部郊外にその事務所はあった。付近には県庁や国の機関に属する署事務所があり、また陸上自衛衛隊の西日本総監部があるほか、九州自動車道などの交通の大動脈にも近く、さらにその東方には空港が控えている。
言ってみれば、この東部地区は戦後の開発に伴ったこの地方都市における第二の中枢地区であるが、それは戦前においてこの地が軍需基地として広範囲に区画整理れていたことに関係している。その昔、付近では中学校のグランド建設時に不発弾が見つかるという騒ぎがあったことを僕は記憶している。そのような爆弾が我々の足下には未だに眠っているのかもしれない。
事務所は熱気に包まれていた。すし詰めとはこのような状態を言うのだろう。その事務所に集まった人々は、歓喜の導火線に火をともし自らの爆発を今か今かと待ち構えているようだった。そして報道のカメラもその瞬間を捉えようと事務所後方の一段高くなった台の上で荒くなった息を懸命に整えていた。
事務所は、以前、空調機器メーカーが入居していた鉄骨2階の建物であったために1階には部屋を仕切る壁は無く広かった。そこが支援者と報道陣によって埋め尽くされていた。入りきれない一部の支援者は駐車場でのその瞬間を待っていた。
僕は事務所の中にいた。ひな壇の正面に向かって左側の最前列にいた。前面に据えられた民放各局の番組を映す液晶テレビは既に当確を知らせていたが、選挙対策本部はHHKの発表を待っていた。そして、HHKが当確を知らせた。
選対の思惑通りに、その仕掛け花火は爆発した。それも盛大に。人々は立ち上がり、手を打ち、声を上げ、各々の喜びを身体で表現した。
代議士となったー正確にはこの時点では代議士ではないがー三原が事務所に入ってきた。歓声がひときわ大きくなる。
しかし、僕は一人パイプ椅子に座り拳を強く握っていた。ひどく緊張していた。
選対本部長の藤山県議会議員が司会を務め勝利報告のセレモニーが始った。当選後の恒例である達磨の目入れが行われ、選挙長の松中参議院議員の挨拶に続き岩下組の社長であり高校の先輩でもある岩下後援会連合会長が挨拶をした。その後、女性後援会からの花束贈呈が行われ、引き続いて写真撮影が始まった。
三原代議士と夫人に贈られた花束が歓喜の渦を少し和らげたようだった。さらに実年齢よりも若く見える夫婦の写真撮影が事務所の雰囲気を熱いものから温かいものへ変えていった。
一方、僕は緊張の冷たい塊から激しい熱へと変化せざるを得なかった。そのアンバランスが人々の笑いを誘ったのかもしれなかった。
藤山県議がボクを紹介した。
「ハイっ」
握っていた拳を開き天高く伸ばした。
雛壇に上がるとき、民放各局の束になったマイクを手渡された。およそ金属からなるその束は、これから始まる己の責任の重さのようでもあった。僕はそれを両手で握り、そして叫んだ、絶叫に近かった。


続く、、、
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新事業スタート!?

2013-01-04 23:03:34 | 雑談の記録
読者のみなさん!こんばんは!
殊勝に挨拶などしてしまいましたが、それにはワケってぇのがあります。

hiratakuwaは、決心しました!覚悟を決めました!

困難なことに挑みます、やっちゃいます!

そこで、読者のみなさんにお願いです。

このバカブログを読み続けて頂きたい、そう思っています。
それが唯一の励みになるし、この困難な事業の成否に大きく関わってくると思うのです。

作戦のコードは

「プロジェクト エフ」です。

空かしっ屁のような、気の抜けるようなコードですが、これがどうして、どうしてこの一大事業には持ってこいのネーミングだと思うのです。

プロジェクト えっっふっ!

咳き込んで、ゲロしないように!

それでは近日スタートです。
乞う!ご期待!

とか言いながら、今日からスタートかも!


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日体大も真っ青の「集団行動」!?

2013-01-04 17:47:03 | 雑談の記録
さて、hiratakuwaこと音楽バカ?は、お昼から仕立屋?ペンキ屋?やっておりました!

え?、、、hiratakuwaは選挙バカじゃなかったのかって?
もう、違います!

音楽バカ?、う~ん、、、吹奏楽部バカ?、、、マーチングバカと言ったほうがシックリくるかもです!

実は、長女がお世話になっている熊工吹奏楽部の定期演奏会が今月12日に行われるのであります!。そういうワケで、さっきまで、ステージで使用する各種舞台装置及び道具を寒風吹きすさぶ中、ブルブルになりながら保護者さん達と作っていたのであります!

今年のテーマは「アフリカ」だそうです!
また、目玉は日体大も真っ青の「集団行動」だったり!?

近年稀に見る凄いステージになりそうです!
先輩諸君による指導も凄い!

というワケで勝手に告知しちゃうのでヨロシクであります!

熊本県立熊本工業高等学校吹奏楽部 定期演奏会
場所:熊本県立劇場
日時:1月12日 土曜日 13時00分開場 1時30分開演、17時30分開場 18時00分開演の昼、夜の2回公演となってます。内容は昼夜同じ。
入場料:大人1000円、高校生まで500円、幼児無料。

マーチングについては所ジョージも驚きの全国大会連続金賞受賞中です。是非、ご来場を!全国レベルのステージが楽しめます!ハッキシ言って1000円はガチ破格と思います!連絡待ってま~す!
連絡はhiratakuwaか最寄りの熊工吹奏楽部関係者の方へ!
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エンディングの唄は

2013-01-04 11:28:20 | 雑談の記録
仕事始めにもかかわらず正月気分が抜けきれていない方も多いと思われる今日この頃、皆さん、如何がおすごしですか?
hiratakuwaは、まだ、のんきに休んでおります。
お仕事の皆様、ご苦労さまです。

昨日のコンサートの旅は不慮の出来事により大失敗に終わったわけですが、年末のクリスマスイブにはカミさんを誘って街中で行われた無料のライブデートは大成功だったのでした。

出演者は中学のときの同級生の中田ひろし君でジャスのサックス奏者、そして、もう一人が東田トモヒロ君でした。
東田トモヒロ君は、ソロデビュー前からの古い友人で、もうずいぶん前のことですが、近所にあった「古未運」というサファー3人衆がやっていた屋台バーで知合ったのでした。彼は当時は収入も殆どなくガリガリに痩せていて、バーではギターをかき鳴らし、 自分の唄やその他カバーをやっていたのでした。インディーズ時代の自作CDもナカナカのものだったし、こりゃ大成の可能性有りだなたと思ったものでした。そしたらメジャーデビューして今に至って、アルバムも10枚くらいになっているのではないでしょうか。
紹介が長くなりましたが、クリスマスのストリートライブの最後に、ボクの一番のお気に入りの唄を歌ってくれました。
感動して泣いてしまいました。選挙で頑張ったあとのことだったし、いろんな仲間のことを思うと泣けてしまったのです。
ボクは2列目の真ん中にいて、東田君は当然ボクのことに気がついていたのですが、泣き顔を見られて超恥ずかしかったです。
とにかく、その唄を聞いて下さい。

選挙バカシリーズのエンディングソングです。

ヒーロー


東田トモヒロ 2011/02/20 札幌 BUDDY BUDDY 「HERO」#3
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Mission Failed!?

2013-01-03 23:39:00 | 雑談の記録
巷ではノロウイルスによる感染性急性胃腸炎が猛威を振るっている今日この頃、読者の皆さん、いかがお過ごしですか?

先ほど、カミさんとのエロエロデートから戻って参りました。

いや~、Mr.Childrenの「コンサート」の旅はケッサクでした。
Mr.Childrenは犯ってくれますね~、スゴイ!
既にご存知の読者の方も多いかと思いますが、ここはバカブログ的に記録しておこうかと思います。

家を出たのはお昼ぐらいだったかと思います。
ボクがバカブログを書いている一方、カミさんは掃除に洗濯でした。もちろんボクだって手伝ったわけですが、それが終わってからお出かけのおめかしをしたのでした。

開場時間は午後3時、開演は5時、福岡までだったら我が家から1時間半の距離でお昼の出発は余裕のヨッちゃんでした。
もちろん、上りの帰省ラッシュも勘定に入れての出発でした。高速では福岡との県境付近から渋滞でした。カミさんが言いました。
「オシッコしたい」
「ここじゃできんばい」
どうしてオンナはムリな状態になったときにムリなお願いをするのでしようかねぇ。
ノロノロ運転のなか、
「まだ?まだ?」を連射するのでした。

ようやく、サービスエリアに着きました。
カミさんは脱兎のごとくトイレへ向かいました。
ボクも一応の用を足して、喫煙所で一服してから車に戻りました。

車の中でしばらく待っていました。
すると、向こうからバタバタとカミさんが駆けて戻ってきました。
待たせたことが申し訳ないと思って戻ってくる割には、泣き笑い的な表情で何ごとかと思いました。バカが、トイレに携帯でも落としたのかなと思いました。

息を切らして車に乗り込むとカミさんが興奮して言いました。
「事件が起きた!」
「ハァ?」
やっぱり、トイレでおバカ的何かをやらかしたのだと思い、もう、どうでもいいやと思いました。ハタマタ、トイレで本当にチン事件が発生したのか?

「コンサート中止だって!」
「ハァ!」

コンサート会場の福岡ドームに先に行っていたカミさんの友人が電話で知らせてくれたのでした。

「マジで!?」
「うん、そういう放送があったんだって、メンバーの誰かが急性胃腸炎なんだって、、、え~、ウソ~、、、」
自分で報告しておきながら、その情報をガセネタ扱いするのでした。

しかし、諦めの悪いカミさんはドームまで行きたいと言うのです。
しかも、ツアートラックが見られるかもしれないからだって、要するにバカファンなわけですね。一昨年、熊本のKKウィングスタジアムであった時はチケットがとれずに、それでも外に漏れ聞こえてくる音だけも聞きたいからナントかと言ってチャリで行こうとするのを家族全員で止めたのでした。

高速に戻ってもやはり渋滞は続いていました。
オンナってなんでペチャペチャしゃぶりじゃなかった、喋りたがるんでしょうねぇ、こんな渋滞だし、年末から年始にかけてボクが必死で書いたブログシリーズでも読めばって言ったのに、トーちゃんと話してるほうがいいとか言って、マッタク、、、でも強引にスマホで読ませました。

カミさんは、泣いたり笑ったりでした。
「トーちゃんは、こんなことば書きよったとね~」
実は、大晦日の夜はカミさんはカンカンに怒っていて、、、理由ですか?、、、ボクが一日中、iPadに向かってカミさんのお相手をしなかったからです!

ドームに着く頃になって「読書」は一時休憩となりました。そして百道浜インターから一般道に出ると、人の波が、、、夢敗れ果てた人々の足取りはやはりどことなく重そうでした。おそらく殆どの人がバカファンなのでしょう。

「トニカク、ドーム、ドーム」
大渋滞の中、車をドームに向けました。
すると、ドームの駐車場の出入口から真っ赤なトラックが出てくるではあ~りませんか!

「ア~!、ア~!、ア~!」
バカファンのカミさんは言葉も忘れていたようです。
トラックの進行方向は我々と同じでした。
完全に曲がってしまっては「画」になりません。
カミさんは最初の撮影に失敗しました。
ここからが、元自動車部の「テク」の見せどころでした。
奥がドームの入り口で車線の右側が広がっていました。
思い切りアクセルを踏み急加速させながら、自分のスマホでカメラアプリを立ち上げ激写!

カミさん、
「ソレ、すぐに送ってっ!」
なんてヤツ!その前に感謝やお褒めのコトバが先だろうがにぃっ!

でも、こういうおバカなカミさんが大好きなんですよ、ホント。
今年もヨロシクな!

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Mission Accomplished ! &+α!

2013-01-03 10:48:48 | 雑談の記録
昨日、このバカブログ上で連載していたシリーズは一応の完結の運びとなりましたが、完読されたバカ読者のみなさんには本当に感謝と慰労を申し上げます。

昨日は、午前中から家族と一緒に阿蘇神社に本年2回目の初詣に行きました。阿蘇神社はカミさん家系の本家であるということもあって、結婚式は阿蘇神社で挙げており、神社近くの「お墓参り」も兼ねて行って来たのでした。

その後、夕方の5時からは高校卒業25周年記念の学年同窓会でした。半年前からK団長とH田君を中心としたクラス幹事により準備作業が進められ昨日の盛大な同窓会に結びついたのでした。一次会は80名以上、二次回は50名の参加でした。ボクはクラス幹事の一人で、昨日の役割は、K団長が企画した動画生中継のカメラマンでした。おそらくヒッチャカメッチャカの中継ではなかったかと思います。ですが、見てるよ!とのメッセージが寄せられさらに調子に乗り過ぎたように思うのです。スミマセンでした。

ま、それはさておき、昨日の同窓会には木原代議士(キハラ)も来ていたワケですが、ボクは最後のミッションを笑顔で完遂することができました。選挙バカシリーズ完読の読者みなさんはお察しのことと思います。

そして、ここに、あらためて「選挙バカ」の完結をご報告する次第です。


とか言いながらのナガレボシ、ここからがバカブロガーの本領発揮なワケでありまして、実はキハラから、また、選挙についてのコアな話を聞き出すことに成功したのでした!。これはあまりにウヒョウヒョのハナシでありまして、このバカブログ上にも記録できないことで、読者のみなさんには全くもって大変申し訳なく思うのでございます。
が、、、本当のところは、ベロの先までその話題は昇ってきておりまして、おっと、すんでのところで胸元に下りていきました。

えっっ!なんですって?、、、痔らしいな?
あっ、「焦らすな」ですね。

んじゃ、読者皆様の強いご要望にお答えしまして、その濡れたコアな部分をペッロと味見して頂くといたしますか。マッタク、、、。
1回だけですよ!

当確が出たあとの木原代議士に関する最初のインタビュー報道は「全国」ということになっていたらしいのですが、問題はどの局がインタビューをするのかってことなのです。全国ネット中継で全ての局が一斉に報道するという場面を考えてみてください!
インタビューアーは1人です!
ここにその1枠を争う激烈な報道各社間の競争と候補者との駆け引きがあるのです。わっ、言ってしまった!ここまで!これ以上言ったらボクが抹殺されてしまいます!

どうです?あとのお味はご想像にお任せするとして、一部の読者さんにとっては「馴染みの味」だったかもしれませんね。

ま、それはともかく、選挙バカシリーズについては、同級生からいろんな意見を頂戴したのですが、その中で一番多ございましたのが、更新についていけないというものでした、、、まったく、、たぶん、そういう友人たちは、この文章に達することもないでしょうな、、、ふふふ。
ま、そんなことは意に返さずにサッサと先を進めるワケですが、中には本当に貴重な話を頂くことができたので紹介しておきたいと思います。

「hiratakuwaの書くことって軽いようで、実はすごく重い内容なんだよね、オマエのことをよく知っているぶんだけ、すごく興味はあるんだよ、今、hiratakuwaは何を考え何を行動しているのか、、、だから、なんて言ったらいいのかな、、、、オマエのブログにはちゃんと向き合わなければならないと、、、時間をかけてじっくり読まなくちゃいけないと、、、そういう本ってあるじゃん、、、心の準備をしてからじゃないと読めないような重厚な本がさ、、、おまけに、オマエの場合は、正座して読まなくちゃいけいないような、、、そんな感じなんだよね、、、

ところで、読者のみなさんは、正座をしてこのブログを読んでいるのですか?ボクが察するにセイゼイ便座でしょうね!
読者の皆さんがウンコしながらブログを読んでいるのを想像するとスゴく楽しいです。今、笑ったでしょ、、、、。

しかし、本心かどうか分からないのですが正座をして読みたいと言った友人は、物凄い読書家で物凄い技術者で、高校時代にいろんな本を紹介してくれたどエロサッカーマンなのでした。

そういうワケで、いきなり長文バカ記録になってしまいましたが、今日は今からカミさんとエロエロデートで、福岡市へ行ってきます。
Mr.Childrenのコンサートです。


じゃ!
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誇り高き選挙バカ 最終回

2013-01-02 02:58:00 | 雑談の記録
勝利報告のセレモニーが散会となり支援者が笑顔で事務所を後にしていきました。中には鏡割りやその後の乾杯がなかったことについて訝しげに呟く支援者の方がいましたが、車で来場している支援者のことを考えた新しいスタイルの勝利セレモニーだったと納得されているようでした。事務所の入口ではライトに照らし出された木原代議士が報道陣に囲まれインタビューに答えていました。ボクは喫煙所で一服していたのですが、隣にいた舎弟風の若者を連れた強面の男性が話し掛けてきました。「ぬしゃ、よかったぞ」二人は他の強面衆と高級乗用車に乗って駐車場を出て行きました。
インタビューも一段落し、入口付近に集まった有志のみんなで木原代議士を胴上げしました。続いてK団長も胴上げされ、もう何回見たかわからないK団長の涙顔にボクは大爆笑したのでした。そして、K団長はボクを思いっきりハグしたのでした。タバコくせぇのなんのって!

まだ、10時頃だったかと思います。我々有志は場所を繁華街に移して慰労会を行いました。有志諸君のはち切れんばかりの笑顔と自信に満ち溢れた表情が忘れられません。仲間をこれほど誇り高く思ったことがあったでしょうか。有志諸君は自分の利害に関係なく、中には害にしかならない有志諸君も含まれていましたが、我々は、出来ることを精一杯やったことに違いありませんでした。本当に嬉しくて仕方がありませんでした。
同級生の有志からは最後の挨拶について酷いダメ出しを喰らいましたが、後輩諸君からは半分はお世辞と思われる大絶賛の評価を頂きました。
「センパイの挨拶は、マジでカッコ悪かったっすけど、マジ、カッコよかったっス!」
後輩の有志諸君は、ボクがなぜ子供のメダルを木原代議士に渡したかという意味をボク以上にうまく説明してくれました。本当に嬉しく思いました。

興奮もあったのですが、睡眠不足に空きっ腹でした。酔いはアッという間にまわり、ボクは気を失いかけていました。そして、木原代議士が現れました。胸にはメダルが掛けられていました。安っぽいメダルです。ですが、ボクはそれを目にしたとたんに嬉しくて涙が溢れてきました。テーブルに突っ伏して泣いてしまったように思います。

酔いが限界に達しました。明日は仕事の予定で、車に乗らなければなりませんでした。酒量からすると既に明日の運転は厳しい状況にありました。ボクは席を立ち、木原代議士に軽く挨拶をするとその一座を離れました。靴を探しているとメダルをつけた木原代議士が現れました。
「ニシ、これほんとにこれ貰っていいとや」
「いいに決まっとる!うちには他にもメダルはイッパイあるけん心配すんな!もう、やったもんだろが!」
どこまでも真面目なその姿勢に酔いが醒めてしまうそうでしたが、勢いで付け加えました。
「オマエがおったけんじゃなか、みんながおったけんばい、それば忘れんなよ!」
ずいぶん前からキハラに言いたかった言葉です。ボクはレロレロになりながらも忘れずに言うことができました。
しかし、そう言ったあとに、心の底から本当に言いたかった言葉が湧いてきていました。

しかし、その言葉はその場所で言うことはできませんでした。
それが言えない自分が情けなくなりオロオロと店を出たのでした。

後ろからM上君が追いかけてきました。いつもみんなにイジリ回されているM上君でした。
「西君!よく頑張ったね!ほんと!今日はボクが送っていくよ!」
確かに、今日はタクシー代も持っていませんでした。M上君の申し出に甘えることにしました。M上君!あのときはありがとう!

翌日は出勤し、朝のミーティングではお礼の挨拶をすることができましたが、アルコールが残っていたために出勤はカミさんに送ってもらい、打合せに向う車もその日は社長に運転を務めてもらいました。

そして、投票日の翌々日からこの選挙バカシリーズを始めたと思うのですが、最初から決めていたことがありました。

それは、慰労会のときに木原代議士に言えなかった言葉を書き記すことでした。

キハラ、本当はオマエがおったけん、オマエがおったけん出来たことた、オレはいっぱい学ばせてもろうた、オマエには礼ば言わにゃいかん、ありがとう。そしてオレはオマエを信じているからな。

しかし、文章にすると何と陳腐この上ないことでしょうか。
ガックシです。泣!

今度、木原代議士にあって直接言わなければなりません。笑!

この選挙バカシリーズもいよいよ終わりです。
個人的な記録ですが、ここまで読んで下さった読者の皆さんに心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。

平成25年1月2日未明
西 英典
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誇り高き選挙バカ×41

2013-01-02 02:44:00 | 雑談の記録
事務所は既に支援者と報道陣でいっぱいでした。駐車場もテレビ中継用の大型車によって殆んど占拠されていました。
カミさんと運転を交代して事務所に向かいました。中は熱気に満ちていましたが冷静な空気も僅かに残っていました。また、当確の安堵感が漂うものの、実際は開けてみなければわからなないという微妙な不安感も薄く混じったような状態でした。

ボクはまずK団長を探しました。恐らく撮影を試みているはずで、報道陣のカメラが所狭しと並ぶ事務所後方を首を伸ばして探してみました。奥に入って行きましたが、K団長の姿を捉えることはできませんでした。
ひょっとしたら直ぐにでも勝利報告のセレモニーが始まるのではないかとの懸念がよぎりました。報道スタッフも中継準備に余念がない状況でした。ボクは選挙長の松村先生を探しました。事務所の入口付近に松村先生を見つけると、人ごみをかき分けて先生のところに進み出ました。
「先生にお話があるのですが、少し時間はあるでしょうか」
先生は直ぐに踵を返すと、ボクを2階に通じる人気のない階段の踊り場に連れて行きました。ボクは余計ないことは一切言わずにポケットから息子のメダルと原稿を取り出して、これをキハラに渡したいのですと言いました。
先生は人差し指を鼻に当て、いっとき間をおくと、「喋りたいってことね」といって階段を降りていきました。そして、先生は振り向くとついて来いと目配せするのでした。松村先生は選挙対策本部長の藤川先生をスタッフに呼ぶよう頼んでくれました。藤川先生は事務所の奥から前のめりになってテレビにかじりついている支援者の人たちの前を腰をかがめながらこちらに向かってきました。松村先生は耳打ちするように話すと藤川先生はフンフンと頷きました。藤川先生は、お前かぁという苦笑いとも言える笑みを見せると式次第が書かれた紙を見ながら、「それじゃぁ、花束贈呈の後でいいか、前のほうに座っててね」と自分に言い聞かせるように言いました。そして、松村先生は一転厳しい表情になって「短かくね!」と言って自分の持ち場に戻って行かれました。最後の役目が決まった瞬間でした。

事務所の一番奥でカメラの準備をしているK団長が目に入りました。ボクは支援者と報道カメラの狭い間を縫うようにしてK団長に向かって歩きました。K団長と目が合いました。とたんにK団長の涙腺が緩むのがわかりました。ボクらはがっちり握手を交わし、そしてこれからの自分の役目を話しました。最後はどんなふうなるかわからないけど、このメダルはオマエがキハラに渡すようにと話したのでした。K団長は目を真っ赤にしながら何度も頷いたのでした。

その後、ボクは後輩諸君の計らいで正面向かって左側の最前列に座りました。振り向くと同級生の一団は中央付近のやや前列側の真ん中付近に座っていました。喋りかけるのには遠すぎる距離でした。その頃には支援者もぞくぞくと入場してきて奥の休憩場所となっていた所も支援者で埋め尽くされていきました。当初、ボクの隣にはキレイな後輩女性がいていつもだったら軽口をたたいていたと思うのですが、それも出来ずにいるといつの間にか周囲は強面の男性陣に取り囲まれていたのでした。

緊張していました。本当に緊張していました。ボクの斜め前付近に座っていた校区の後援会長であるS田さんがボクの様子を見て心配になったのかもしれません。ボクの前に膝まついて両手をボクの膝にのせると、もう時期ちゃんと発表があるよと言ってくれたのでした。ボクはS田さんのシワくちゃの手に自分の手を添えると、そうですねと返事をし、これまでのことについて簡単にお礼を言い添えました。

会場が一斉に喚起の渦となりました。木原候補の登場でした。どの時点が本当の当確かボクにはわかりませんでしたが、もう全ては間違いではなかったようです。心の中では「花束贈呈の後だぞ」を何度も繰り返していました。岩永後援会長の紹介とともに岩永先輩が元気良く右手を挙げて「ハイっ」と言いました。そうだ、元気よくハイって言わなくちゃ言わなくちゃ、、、、花束贈呈が終わり写真撮影が終わり、、、気持ちだ!これしかねぇ!、、、藤川先生が紹介してくれました。

「ハイっ」

後は動画を見ての通りです。
なぜ、みんなが笑うのか全くわかりませんでした。
ほぼ絶叫しているだけの見苦しい姿なので仕方のないことかもしれませんが、みんなに笑われれば笑われるほど、絶叫して気持ちを伝えることしかできなかったのです。最後はもうメチャクチャでした。K団長を壇上に呼んだものの、すし詰め状態の中、こちらにやって来ることの遅いこと遅いこと。ボクは一刻も早く壇上を降りたくて、、、、。

パイプ椅子にようやく戻れました。鼻水まで垂らしていました。また、バカをやってしまったという思いと、最後のK団長のエールこそがボクの夢見ていた瞬間でした。涙が止まりませんでした。

木原代議士の話は耳には入ってきませんでした。いつの間にか勝利報告会は散会となっていました。たくさんの人たちが良かったね良かったねと握手をしてくれるのでした。こちらこそ、良かったですねという気持ちでした。
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誇り高き選挙バカ×40

2013-01-02 02:32:23 | 雑談の記録
投票日は穏やかな天候でした。ボクは朝から仕事の予定で仮眠を取ってから会社へ向かいました。日曜なので当然人はいないのですが、その日はワックス掛が予定されていたらしく、事務所にはビル清掃の業者さんがいました。業者さんとはその日の選挙戦の行方について話し、ワックスが乾くのを待って事務所に入りました。ピカピカに輝く床の室内で、静かに一人で仕事をするのは悪くない気分でした。その日は本当に穏やかな日で窓を開けていても寒さは感じられず、差し込む日の温かさに今日が投票日であることが信じられませんでした。翌日の打合せ資料が完成したのは午後4時頃でした。開票の時間はまだですが、選挙戦の趨勢はほぼ決まっている時間だと思いました。

最後の作戦へ向けた準備が必要でした。しかし、その準備も選挙に負けてしまえば無に帰するものでした。
ボクは家に戻り、リブビングのテーブルにA4用紙を置いて正座をしました。そして昨晩の決意の瞬間から考え始めた言葉の数々を幾度となく反芻し、それと同時に半月に渡った選挙活動における様々な光景がボクの脳裏をよぎっていくのを感じていました。

言葉を発するのは他でもない肉体です。であるならば、その原稿も肉体によってしか生み出すことはできない。そう思いました。
さらに、勝利者にふさわしいものは何か、そしてそれを贈るのであれば誰が一番ふさわしいのか。

やはり、ずいぶんと時間を要しました。

原稿は十数行にしか満たない短い文章でしたが、時間も差し迫っていました。同級生には7時頃に事務所に行くと約束していましたが、気がついたときには時計の針は間もなく8時を指そうとしていました。ボクは、カミさんにバレないように玄関に飾ってあった息子のメダルを上着のポケットに忍ばせました。そして、カミさんと一緒に家を出たのでした。

車に乗り込もうとする時でした。携帯電話が鳴りました。液晶画面には普段見慣れない父の名前が表示されていました。父は、キハラが当確になったことをボクに告げました。まだ8時を過ぎたばかりで信じられませんでしたが、テレビ局の速報ではそれを知らせているとのことでした。キハラの当確の話はある意味嬉しいことに違いはありまんでしたが、これまでの2回の選挙や様々な方面から聞いていた状況を考慮すると、この時点では喜ぶに喜べない気持ちでした。
ボクは無愛想に電話を切りましたが、父から電話を貰ったことは少し嬉しく思っていました。父は昔からボクがなすことの全てにケチをつけて、自分の経験と照らし合わせてボクの劣っているところをあぶり出すと同時に自分がいかに優れているかを長々と話す、そこら辺にいる「オッサン」となんら変わらない人物なのですが、今回は本気で気に掛けてくれていたのでした。

しかし、キハラ当確の知らせは、これからやろうとすることの現実味を増幅させることと同義でした。運転している手足から次第に血の気が引いていくのがわかりました。
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誇り高き選挙バカ×39

2013-01-02 00:10:44 | 雑談の記録
こうして、投票前日の夜は電話とショートメール作戦で朝方近くまで最後のミッションに明け暮れたのですが、電話作戦中に一本の電話が入っていたのでした。
電話の主は今回始めて選挙ボランティアに携わったT口君でした。T口君は、今夏、済済黌野球部が甲子園への切符を手にするまでの県予選の殆んどを観戦、応援をしていました。そして、昨秋の大会から始まった済済黌野球部の試合をFB上で実況中継し続けた通称ヤーテツチャンネル(同級生でエースだったY下君の名前に因んだネーミングで名付け親はT本君)の帯同メンバーの一人であり、甲子園バスツアー企画のほか、その後の記念反省会の立役者でした。今回の選挙では、時間の許す限り事務所でボランティア作業をする一方、外の活動ではスーパーカブにまたがり一人で驚異的な成果を挙げたうえ、合い言葉は「よろしく!メカドック!」の元気一番の同級生でした。

電話の内容は感情のトラブルとも言うべき問題でした。T口君は今回の選挙戦におけるいろんなことを率直に話してくれました。ボクもその話に大変共鳴したのでした。自分も以前PTAや息子の野球チームの運営に深く関わっていた頃に経験していたことに加え、それはどこの職場においても起こり得ることだからでした。
「、、、悪いけど、一番頑張ってるニシ君が、馬鹿に見えてくるとよ、、、」
電話のやり取りとは言え、T口君の感情の昂ぶりはボクの心に深く食い込んでくるのでした。
「、、、その気持ちは、キハラに直接言うべきことのような気がする、、、」
確かではないですが、そのように答えたように記憶しています。
実際のところ、今回の選挙でも大小長短はあるもののいろんな人から感情的になった言葉や愚痴を聞かされいました。それは、我々が感情の生き物である以上仕方のないことなのですが、それこそがボランティアに携わる我々の「苦労」にほかならないと思うのです。
選挙ボランティアであるので、中には利害にまみれながら作業に精を出す人がいるのは当然でそれを否定するつもりは毛頭ありませんが、同級生の我々は、キハラを本物の政治家にすることを目的に集まった集団です。そして、求められるものは「当選」という至極困難で簡単なものなのです。
当然、その過程においては出来るだけ「苦労」は排除すべきことなのですが、前述したように我々人間はいつも損得感情によって支配されているために、その「苦労」というものは排除しようにも排除できないシロモノのように思うのです。そして、そのことは、候補者が一番知っておかなければならないことと思うのです。
T口君の話しからボクはそのようなことを学び、そして、その時に決心したのでした。その時点でT口君には約束できませんでしたが、とにかく、それが自分の最後の役目ではないのかと思ったのでした。

話はかわりますが、この選挙シリーズを連載している最中に、個人的な意見あるいは指摘を受けたことを記録しておきます。その中にボクの考えと全く同じことを綴ってくれた同級生がいました。本人から許諾は得ていますが紹介はY君とだけに留め、一部抜粋で紹介したいと思います。

「国のため、日本の子供達の未来のため、一国民としての義務として、木原を応援する」ということも言われてますが、同窓生の皆が従事しているそれぞれの職業に日本という国のためになっていないものなんて一つもないと思います。平日に充実した仕事をするために土日は図書館にこもって勉強している人たちもいます。皆にとっては自分の仕事こそが、この国における自分の持ち場であり、自分にとっての選挙活動への参加であり、もし戦争にでもなれば自分にとっての戦いであるということになるのではないでしょうか。
西君が、西君たちがこれからも木原の選挙活動への協力を呼びかけて行くのは大いに結構だと思います。ただ私が言いたいのは、ともすれば上記のような「応援したくてもできない人たち」の都合を理解し、忘れないように注意してもらいたいということです。
選挙活動というものは大体が加熱しがちで感情的にもなりがちです。私もごく若い時にいろいろなトラブルを目にしてきました。いろいろと思い出すうちに以上のようなことを言いたくなりました。

T口君、Y君、本当にありがとう。二人の勇気は一生忘れないから!

今日はこのくらいにしておきます。明日にはこのシリーズも終わると思います。

続く、、、
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誇り高き選挙バカ×38

2013-01-01 23:55:54 | 雑談の記録
もちろん、ボクには出来ることが残っていました。それは同級生以外の知人友人にお願いをすることでした。ボクは繁華街に出かけていってお願いできるようなキレイ処の女性や男性の知り合いは殆んどいませんでした。仕事以外の知合いと言えば以前のPTA仲間や息子の野球チーム関係者、そして中学の同級生ぐらいのものでした。ですが、最後のお願いとなればこのような人達が対象となりました。選挙のことだけでなく近況について話をしたい人もたくさんいました。
実のところ、9時過ぎに帰宅するとこれ幸いとばかりに電話をしました。
久しぶりの知人達との話しは大いに盛り上がりました。娘の就職が決まったこと、マーチングの全国大会から帰ってきた翌日に彼氏を家によんでバカヤローとか、昨年は次女が受験に失敗してやっぱ勉強も最後は根性ばいとか、息子がまた怪我して3ヶ月オフ状態ばってんたぶんこの期間中に背が伸びるばい、なんてことを話していたら、1時間にたった4、5人ぐらいしか連絡できないのでした。あっという間に11時になり電話は難しい状態になりました。
「ウ~ン、ドシヨ、マダ、デンワシタイシ、、、」
風呂に入って休むことにしました。しかし、まだできることがあるのではないか、K団長は繁華街で飲みたくない酒を飲みながら最後のミッションをやっていることや後輩諸君のことを思うとやっぱり眠れないのでした。布団を抜け出し携帯を眺めました。すると午前1時過ぎに一通のショートメールが届きました。

以下のような文面でした。中学校の同級生の女性からでした。

「すみません。電話を頂きありがとうございました。電話番号が消えてしまっているのでどちら様でしょう?」

すぐに返信しました。

「バカタレ!ニシ君た!」

「あぁああああ 了解(笑)彼に一票を、頼みますよー。」

「ありがと!」

「お疲れ様(笑)おやすみ~」

この手があった!目から鱗とはこのことでした。

その後、作戦はショートメール攻撃に舵を大きく切ったのでした。
スマホを使ったショートメールは、非常に簡単で効率のよい作業でした。文面が決まればあとは指一本の操作でした。ひたすら人差し指を動かし続けました。ボクの携帯には700件ほどの電話番号が入っていますが、その中から選挙区に住んでいる人と思しきところにどんどんメールを打ちました。中には未明や明方にメールが届き大変驚かれた人もいたようです。嬉しい返答もありましたが、中には厳しいお叱りの返信もありました。ご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ありませんでした。

続く、、、
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