平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1952 「終戦の日」に、積極的戦争主義?

2020-08-16 11:37:46 | 日記

昨日は、75回目の「終戦の日」。コロナ禍の中、日本武道館で、「全国戦没者追悼式」が行われた。
天皇陛下は、
「戦後長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の
惨禍が繰り返さぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を
表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります

安倍総理は、
「戦後75年、わが国は一貫して平和を重んじる国としてあゆみを進めてきた。戦争の惨禍を二度と繰り
返さない、積極的な平和主義の旗の下、世界が直面する様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす」

戦後お生まれの天皇として、「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」という、「反戦争、平和」を
国民と共に風化させないお覚悟のお言葉だったと思う

対して、安倍総理は、国家権力が犯した、近隣諸国や国民に対する戦争禍に対する反省は無く、持論の
「積極的平和主義」を持ち出した。これまで、どういう役割を果たして来たのかも良く解らない

安倍総理の「積極的平和主義」は、集団的自衛権で解る通り、同盟国アメリカと一緒に「戦争」をして、
「敵国」を叩き潰し、屈服させて、戦勝国として、自己満足の「平和」を目指す、積極的戦争主義なのだ。
安倍総理のお爺ちゃん岸信介達が、真珠湾奇襲で始めた太平洋戦争で、アメリカに叩き潰された悔しさの
反省しかなく、岸信介達のクヤシイ怨念を、「積極的平和主義」というモットモらしい言葉で、国民を
タブラカし、戦争に巻き込むのはやむを得ない、と言っているように見えて仕方が無い

武力で、平和を達成できない。武力で叩き潰しても、心底納得して「わかりました」は無く、「ウラミ」は
残り、必ず、ウラミは、テロや次の戦争に繋がる。
「武力で紛争を解決しない」日本の憲法9条を、世界の国に作らせることこそ、「積極的平和主義」なのだ

「終戦の日」に、反戦争の決意ではなく、戦争積極論を展開した安倍総理に、怒り心頭
ウォーキング中に出会った花々。 シロガネヨシ、まだカラスウリ咲いてます。置物のワンちゃんです。

8月16日「今日は何の日カレンダー」より
大文字五山送り火 〔京都〕、女子大生の日
▲熊野水軍に海賊追捕を命じる(1114)▲永享の乱(1438)▲幕府、勘定頭を設置(1642)▲東北帝国大学が女子の
入学を認める(1913)▲戦艦「金剛」完成(1913)▲野球王ベーブ・ルース没(1948)▲「風と共に去りぬ」の
マーガレット・ミッチェル交通事故死(1949)▲古橋広之進全米水上選手権大会1500m自由形世界新記録優勝。
2日後の400m、3日後の800mでもたて続けに世界記録を更新(1949)▲東京証券取引所、米のドル防衛策で
ダウ平均株価史上最大の暴落(ドルショック)(1971)▲エルビス・プレスリー、没(1977)▲国鉄静岡駅前地下
街でガス爆発、死者14人(1980) ▲第74回全国高校野球大会で松井秀樹5打席連続敬遠(1992)埼玉県・
熊谷、岐阜・多治見で、最高気温40.9℃記録(2007)▲水俣条約(水銀および水銀を使用した製品の製造と
輸出入を規制 する国際条約)が発効(2017)

平和への希い1951 二度と戦争出来ない国日本

2020-08-15 09:23:01 | 日記

今日は、75回目の終戦記念日。
第二次世界大戦後75年間、世界のあちこちで、戦争はあったが、日本は戦争をしなかった。出来なかった。
75年間、戦争をしなかった国は、ブータンなど数カ国。そのうちの一カ国が日本。
日本が戦争に巻き込まれなかったのは、「憲法9条」があったから。

イラクのクウェート侵攻で始まった湾岸戦争で、多国籍軍に、自衛隊を派遣できなかったのは、憲法9条が
あったから。
多額の戦費負担、戦後復興支援など、国際貢献した筈なのに、勇ましく戦った国々からは「白い目」で見ら
れたり、侵略されたクウェートからは、感謝されなかったり、で、憤懣やる方ない政治家も多かったようだ。
改憲は、自民党の党是だったが、集団的自衛権、憲法9条改悪の流れを早めたのは、湾岸戦争だった

75年前の、8月14日は、御前会議でポツダム宣言受諾を決定、8月15日の玉音放送で終戦。
無条件降伏なので、連合国は、「日本が二度と戦争できないようにしよう」と、戦争を引き起こしたすべての
原因を徹底的に取り除いて、「二度と戦争できない国日本」を誕生させた。
極東裁判、財閥解体、公職追放、農地改革等々、仕上げは、憲法9条。
武力で紛争を解決させないために、軍隊を持たせないこと、国権で戦争させないことを、憲法で規定した。
軍隊が無ければ、戦争出来ない。中南米のコスタリカも、憲法で軍隊保持しないことを決めている

世界中の全ての国が、日本の憲法9条を、それぞれの国の憲法に掲げたら、世界から「国と国」の戦争は無く
なるのです。まさに、憲法9条は、世界から戦争を無くす「理想」なのです。軍事費をコロナに回せるのです

憲法9条。
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力に
  よる威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを
  認めない

安倍総理は、集団的自衛権や憲法9条改悪を止め、世界の国々に、憲法9条を掲げるよう訴え、国と国の
戦争を無くすために先頭を切って、政治力を発揮すべきなのです。だと、ノーベル平和賞確定なんだけど

ウォーキング中に出会った花。最初の花は「カクトラノオ」


8月15日「今日は何の日カレンダー」より  終戦記念日、お菓子の日(毎月)
▲江戸市中に火の見やぐらの制、定まる(1723)▲阿蘇山、噴火(1786)▲蝦夷、北海道と改称(1869)
▲キャンディーの製造、はじまる(1899)▲与謝野晶子の「みだれ髪」刊行(1901)▲太平洋と大西洋をつなぐ
パナマ運河開通(1914)▲わが国初のオリンピックメダル種目はテニスで、銀メダル(1920)▲出征兵士の歓送迎、
防空演習、勤労奉仕、生活必需品の配給など、戦争への国民の総動員をはかる目的で回覧板、登場(1939)
▲太平洋戦争、終結(1945)▲インドが英国から独立(1947)▲大島渚監督「愛のコリーダ」わいせつ起訴(1977)
▲中曽根首相が閣僚17人と共に靖国神社参拝(1985)▲宮城県でわが国初の凍結卵子の体外受精成功(1991)
▲世界陸上で、女子マラソンで浅利純子優勝(1993)▲村山首相第二次世界大戦での日本の植民地支配と侵略を
反省、謝罪(村山談話)(1995)▲小泉首相21年振り首相が靖国参拝(2006)▲台湾600万戸停電(2017)
▲気象庁が関東甲信越東北の梅雨明け宣言断念、梅雨明け無しは史上初(2017)

平和への希い1950 こんな女に誰がした 

2020-08-14 11:21:16 | 日記

明日は、終戦記念日。
この時期、メディアは、太平洋戦争のいろいろを報道する。
今朝の、NHKラジオ深夜便午前3時台の「にっぽんの歌こころの歌」で、菊池章子の「星の流れに」が
流れた。
中国からの引き上げ者の女性が、握り飯一つのために男に身をまかせ、夜の女に転落した、という新聞記事を
読んだ「清水みのる」が詩を書き、利根一郎が作曲した。

最初、淡谷のり子に歌ってもらう予定だったが、「夜の女の歌は嫌よ」と断られ、菊池章子が歌うことに。
「星の流れに 身を占って どこをねぐらの 今日の宿 すさむ心で いるのじゃないが 泣けて涙も
 涸れ果てた こんな女に 誰がした
たばこふかして 口笛ふいて あてもない夜の さすらいに 人は見返る わが身は細る 町のほかげの
わびしさよ こんな女に誰がした
飢えて今頃 妹はどこに 一目逢いたい お母さん ルージュ哀しや 唇かめば 闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に 誰がした」

戦争が、「普通の日常生活」を木っ端みじんに打ち砕いて、多くの女性が「食べるために」転落せざるを
得なかった。
父母や身寄りを失って、浮浪児にならざるを得なかった。
戦争は、広島長崎の原爆禍、全国の都市の空襲、ひめゆり部隊の悲劇の沖縄戦、学童疎開輸送中の「対馬丸」
沈没禍、などで、沢山の命を奪い、傷つけ、「普通の生活」を断ち切った

絶対に、戦争をしてはいけないのだ。
哀しい女性の歌「星の流れに」は、戦争が犯した罪悪を二度と繰り返してはいけないという「反戦歌」なのだ

ウォーキング中に出会った花。おくてのアジサイ?キバナコスモスとキアゲハ、コスモスが咲き始めた


8月14日「今日は何の日カレンダー」より
専売特許の日
▲続日本後紀」完成(869)▲仮名手本忠臣蔵、大坂で上演(1748)▲商人・高田屋嘉兵衛、クナシリ沖でロシア艦に
捕らえられる(1812)▲現在の北海道大学の母体となる札幌農学校、開校。W・クラークが教頭(1876)
▲サビ止め塗料、特許第一号を取得(1885)▲御前会議でポツダム宣言受諾を決定(1945)▲浅間山爆発(1947)
▲パキスタン独立(1947)▲世界初の完全自動化銀行システムに住友銀行が成功(1967)▲富士山砂走り登山道で落石
事故。死者12人(1980)▲東京・中野区、護憲・非核都市を宣言(1982) ▲ニューヨーク大停電(2003)▲東京
旧江戸川でクレーン船が送電線を切断、139万世帯が停電(2006)▲北京五輪で北島康介200m平泳ぎ金メダル
(2008)▲韓国・李明博が天皇謝罪要求(2012)▲SMAP解散騒動(2016)▲イタリア・ジェノバで橋崩落
38人死亡(2018)

平和への希い1949 新盆

2020-08-13 11:34:30 | 日記

今日から、田舎はお盆。例年だと、帰省ラッシュで、高速道路は渋滞、鉄道・航空は大混雑なんですが・・・。
昨年11月に亡くなった兄の新盆。埼玉では、「にいぼん」と言っていますが、私の故郷、長野・松代辺り
では、「あらぼん」と言っています。
亡き母は、前年のお盆以降亡くなった町内の方や親せき・知人のお宅に伺い、「お参り」に飛び回っていた。
兄は、「葬式など、余分なことをするな」と、「死んだ後の始末」について、現在の葬式など形式的なこと
を嫌っていた。
「死に方」については、「出来れば、宇宙船に乗って、宇宙に放り出してもらい、大気圏に突入して、骨も
残らないような死に方」を、望んでいたが、「宇宙船に乗せてもらうだけの「カネ」は無いのが残念」とも。
兄の意向は別にして、残った我々兄弟の気持ちとしては、両親と同じ「墓」に、とささやかに葬儀を行った。
お寺さんから、「超然院釈邦俊」という戒名を頂き、葬式をしたこと、兄は渋い顔しているかも。
葬式は、誰のためにするのか、兄の場合は、少なくても、兄のためでは無い。
兄の葬式は、「兄との別れ」の儀式として、両親を含め先祖との「つながり」を思い出す儀式として、
遺された、私達兄弟の、「責任を果たした安堵感」のためにしたようにも思う。
弟達は、また別の思いもあるでしょうが。
お寺さんにとっては、兄のような人が増えたら、「アガッタリ」で、破産する。
そうでなくても、少子高齢化の影響で、ご先祖様の墓を守る人が少なくなり、檀家で持っているお寺さんの
「破産」も出ており、「墓じまい」というということも出始めているようだ。
今年は、コロナが、「お盆には帰省・墓参り」の生活様式を変えてしまった。「墓じまい」を加速するかも。
ウォーキング中に出会った花。ネコのヒゲ、ニラの花、夏も元気なバラ、置物のワンちゃんです

8月13日「今日は何の日カレンダー」より
函館・夜景の日(函館市役所)
▲城ケ島灯台に初点灯(1870)▲日本初の国際水泳競技会(1898)▲甲子園から第13回全国中等野球大会
(現在の全国高校 野球選手権大会)を初めて実況放送(1927)
▲映倫が青少年向き、成人向き映画の選定へ(1954)▲東独、ベルリンの壁を構築(1961)
▲中国、文化大革命はじまる(1965)▲金融機関、第2土曜日休日制を実施(1983) ▲三光汽船5200億円
の史上最高額負債で倒産(1985)▲ソ連ゴルバチョフ大統領、スターリン時代の粛清・弾圧された国民の名誉
回復(1990)▲日本の国旗国歌法公布・施行(1999)▲小泉首相、韓国中国の反発を考慮、終戦記念日を避け、
13日に靖国参拝(2001)▲アテネオリンピック開幕(2004)▲米軍ヘリ、沖縄国際大に墜落(2004)
▲フェンシングの太田雄貴が日本人初、北京五輪で銀メダル(2008)▲ロンドン世界陸上50km競歩で、荒井
広宇、小林快が、金・銅の複数メダル(2017)

平和への希い1948 ツライ、暑い、8月12日

2020-08-12 10:09:03 | 日記

昨日のさいたま市では、40度近い気温、コロナは元気。喜寿の身体にはコタエル。
前門のコロナ肺炎、後門の熱中症、この夏、例年暑さを吹き飛ばす、夏祭りや花火大会は、中止。
海や山も「来ないでください」、明日からお盆、帰省がままならない。
今日も、熱暑。閉塞感で、窒息しそう。
35年前の今日8月12日、坂本九さんなど乗客・乗務員524人を乗せ、大阪に向かった日航ジャンボ
機が、群馬の御巣鷹山中に墜落し、520人が亡くなった。
あの時、奇跡的に助かった「中学生のお嬢さん」は? 非番でたまたま乗り合わせ遭難した「客室乗務員」
の方は? お母さんと小学生の女の子は?皆さん重傷だったけれど、お元気でいらっしゃるのでしょうか。
ツライ思いで、毎年8月12日を迎えなければならない心のうちは、如何ばかりか。
たまたま予定変更などあって、遭難を免れた、明石やさんまさんや、笑点メンバーの皆さんなど、紙一重で
命がつながった思いは、複雑でしょうね。
亡くなられた皆さんの分も頑張っていらっしゃること、何よりのご供養。
遺族の皆さまにとって、ツライ、暑い、8月12日。
どうか、お身体を大切に。改めて、亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
ウォーキング中に出会った花。近くのホームセンターでのラン。西(御巣鷹方面)に向かうジェット機。

8月12日「今日は何の日カレンダー」より
国歌制定記念日・君が代記念日、●阿波踊り(~15日 徳島市)●高松おどり(~14日 高松市)
▲ミシン、登場。日本に来たのは1860年(1851)▲「君が代」祝日の唱歌に。当時、祝日は休みではなく、
子供たちは登校して、これら唱歌を合唱(1893)▲東京宝塚劇場、創立(1932)▲ソ連、水爆実験に成功(1953)
▲23歳の堀江謙一、マーメイド号で太平洋単独横断(1962)▲スペース・シャトル、初のテスト飛行(1977)
▲日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山山中に墜落。死者520人、生存者4人(1985)▲米大リーグ、無期限スト
に突入。Wシリーズが中止に(1994) ▲高知四万十市で観測史上最高の41.0℃記録(2013)▲中国・天津で
危険物倉庫が爆発700人超の死傷者(2015)