平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1947 北のひめゆり事件

2020-08-11 11:01:20 | 日記

今朝の、NHKラジオ深夜便、4時台の「戦争・平和インタビュー」で、太平洋戦争の終戦前後、樺太の
真岡(まおか)で、軍や役所の通信のために働いていた電話交換手のお一人、木本孝(きもとたか)さん
が、同僚だった電話交換手9名の集団自決事件「真岡郵便電信局事件」について、戦争の恐ろしさ、戦争を
絶対してはいけない、と92歳で、初めて、重い口を開いて語ってくださった。
昭和20年8が月15日、玉音放送で、終戦が告げられたが、樺太(サハリン)では、戦争は続いていた
昭和20年8月9日に、ヤルタ密約通り、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連スターリンは、満州はじめ、
樺太や北方4島などに侵攻。(ヤルタ会談 1945年2月の米英ソの首脳間でソ連の日本侵攻が決まる)
8月20日、ソ連軍の軍艦が真岡沖に集結、艦砲射撃、上陸

電話交換の仕事を、ソ連に引き継ぐまでは、職場を守ろうと決意していた「10代~20代の乙女たち」が、
ソ連軍の侵入で、命と、凌辱の危険に晒され、青酸カリを飲んで、集団自決し、9人が亡くなった。
沖縄のひめゆり部隊の悲劇と同じだと、「北のひめゆり事件」と言われ、多くの本や映画で取り上げられた

木本さんは、
「命をかけて、自分たちの職場を守った電話交換手たちの覚悟を思い、2度とそんな覚悟を誰もしなくても
よい世の中になって欲しい」「平和な世の中になって欲しいこと、一人でも多くの人に聞いて頂きたい」
と、
話していらっしゃいました。
ロシアでは、終戦は、9月2日。
米軍艦ミズーリ上で日本が「降伏文書」に調印した日で、それまでは、ソ連軍がどんどん攻めており、
ソ連スターリンは、北海道の半分の領有権を要求した。が、米は反対

戦争が、いかに、簡単に人の命を奪うか、戦争は「命」の最大の敵であることを心して、政治を見張ること
ウォーキング中に出会った花。ニューギニアインパチェンス?、ひまわり、ノアザミ

8月11日「今日は何の日カレンダー」より
▲藤原道長、金峯山に写経を奉納(1007)▲足利尊氏、征夷大将軍となる(1338)▲1457年太田道灌に築かれ、
1590年以降、徳川家の居城になっていた江戸城本丸、全焼(1639)▲徳川5代将軍綱吉「生類憐みの令」、
鳥や魚の食糧用飼育・売買を禁止(1707)▲ハワイ移民者から、初手紙(1868)▲アメリカ海軍天文台が、火星の
衛星を発見(1877)▲前畑秀子ベルリンオリンピック、200m平泳ぎで金メダル。わが国では女性初の金(1936)
▲日本初のミニスカート(マリー・クワントデザイン)、発売(1965) ▲ベトナム戦争で米地上軍完全撤退(1972)
▲中国で一人っ子政策推進論文(1979)▲アルカイダ結成1988)▲国連安保理、イスラエルのレバノン侵攻停戦
決議(2006)▲北京五輪で、北島康介100m平泳ぎで世界記録で金メダル(2008)▲ロンドン五輪で、村田諒太
ボクシングミドル級、48年振り金メダル(2012)▲川内原発再稼働(2015)▲リオ五輪で、水谷隼卓球男子
シングルスで史上初のメダル(銅)(2016)

平和への希い1946 今こそ、第二次大戦の反省を

2020-08-10 11:20:07 | 日記

今、米・中間は、経済戦争に加え、新型コロナウィルスの発生源、感染拡大の責任問題で、泥沼化。
経済でも、軍事でも、世界第一位の米国と第二位の中国が、「自国ファースト」でいがみ合っている。
今こそ、第二次世界大戦の反省の原点に立って、両国は、世界のリーダーとして、責任を果たすべきだ。
歴史は繰り返すとは言え、人間の愚かさが、繰り返されてはならない

第二次世界大戦の引き金は、あの1929年に起きた世界恐慌だった。
第一次世界大戦で戦場となったヨーロッパ各国は、疲弊。ヨーロッパ経済は、立ち直るのに時間掛かった。
戦場から遠かったアメリカは、元気で、ヨーロッパが立ち直るまで、生産設備や生活物資などアメリカは
ヨーロッパに売ることが出来、景気絶好調。日本もおこぼれに預かっていた。
世界のマネーは、景気の良いアメリカ企業の投資に集中、ところが、ヨーロッパの国が復興すると、アメリカ
企業はヨーロッパへの輸出が細り、倒産・失業増大で、世界がアメリカ企業へ投資したカネは、紙くず同然に
なった。  世界恐慌が起きた

体力があった米国は、財政出動によって、ダム建設など国策事業を展開、失業救済のニューディール、企業倒産
を防ぐために、低金利・資金供給の金融政策で乗り切った。
植民地帝国の英仏は、自国と植民地内資源など外国に出さず、ブロックの中で、経済を回す「ブロック経済」
で、切り抜けた。
植民地で出遅れた、ドイツ・イタリア・日本は、米英仏の「自国ファーストの保護政策」に阻まれた。
かくして、日独伊は、米英仏などの植民地略奪を狙い、隣国などを「切り取ろう」と、武力行使に及んだ。
結果、戦場から遠い資源力も経済力もある米国の武力中心に、日独伊は殲滅された

米中の、意地の張り合いは、世界の経済の混乱を招き、コロナ対策の不協力で生活の安全を脅かす
第二次世界大戦の反省の下に出来た、国際連合
今こそ、米中両国は、国際連合の設立精神、
「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として、互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するために
力を合わせる」ことだ

トラさん、習さん、意地の張り合いを止めて、話し合いで、早くケリを付けるべきだ
トラさんの親友(?)と自認している安倍総理が男を上げる、絶好の出番なんですが・・・
ウォーキング中に出会った花。

8月10日「今日は何の日カレンダー」より
国民皆泳日、健康ハートの日、帽子の日、道の日、トイレの日、LPガス消費者保安デー(毎月)
▲グリニッチ天文台オープン(1675)▲チュイルリー宮殿(ルイ16世、マリー・アントワネットの住居)、
国民軍に襲われる(1792)▲ナポレオン、セントヘレナへ追放 (1815)▲シーボルトの荷物に伊能忠敬作の
日本地図など御禁制品(シーボルト事件)(1828)▲警察予備隊令公布(1950)▲東京で初の光化学スモッグ
予報(1970)▲全米女子アマチュアゴルフ選手権で服部道子が優勝(1985) ▲沖縄モノレール開業(2003)
▲英で観測史上最高気温38.5℃(101.3°F)を記録(2003)▲ロ宇宙飛行士が人類史上初の
宇宙婚(2003)▲ハマコーこと元自民衆議院議員浜田幸一背任で千葉県警に逮捕される(2010)

平和への希い1945 75年目、長崎 原爆の日

2020-08-09 09:51:14 | 日記

今日8月9日は、75年前の11時過ぎに長崎が原爆を投下された日。6日の広島に次ぐ2発目。
毎年、広島・長崎の原爆忌が来ると、「1945年8月5日以前にポツダム宣言を受諾していたら」
と残念に思う

(1) 1942年、アメリカはマンハッタン計画で、原爆を開発。1945年7月16日、原爆実験成功。
(2) (その後ソ英仏中なども開発成功。)
(3) 1945年7月27日、日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届く。
(4) 1945年8月6日、広島に、原爆投下。
(5) 1945年8月9日、長崎に原爆。この日、日ソ中立条約を結んでいたソ連が対日参戦。
(6) 1945年8月14日、「無条件降伏のポツダム宣言受諾」を通告。
(7) 1945年8月15日、「玉音放送」で、国民に終戦宣言。
(8) 1945年9月2日、米戦艦ミズーリ上で、降伏文書に調印。9/2迄、ソ連は満州・4島などに侵攻。
(9) 1945年11月に予定されていた九州南部上陸作戦、1946年3月に予定されていた関東地方
上陸作戦が中止となる。終戦で更なる犠牲者を出さずに済んだことが、米・原爆投下正当性の根拠に。

その後朝鮮戦争・ベトナム戦争・中東戦争などあったが、核爆弾は使われなかった。
現在、人類を何回も滅亡できる13000発余の核兵器が、ロ・米・中国中心に世界に散在
日本に「無条件降伏を受け入れるようポツダム宣言」が届いた時、政府は「無視」。
マスコミは、「笑止、対日降伏条件、聖戦あくまで完遂」など、軍部と一緒になって、東京はじめ各都市の
大空襲や悲惨な沖縄戦などによる国民の窮状よりも、軍部の鼻息を伺って、国民を煽っていた

政府もマスコミも完全に冷静な判断力を失い、国民を欺き続け、国民を塗炭の苦しみに落とし込んだのです。
大きな犠牲を払って得た平和。75年間、戦火を交えること無く、他国の人々を殺すことも、国民を戦争に
巻き込むことも無かった

「平和」の尊さを骨身に感じている私達日本人は、世界平和のために、
「武力で紛争を解決しない、戦う前に冷静に話し合う」ことに身体を張って、訴え続ける必要がある

安倍政権は、防衛のためとして、敵基地攻撃を検討する。太平洋戦争の真珠湾奇襲をまたやる気?許せない
ウォーキング中に出会った花々。ノアザミ、サルビア、ヤブミョウガ、ガザニア


8月9日「今日は何の日カレンダー」より
長崎原爆記念日、野球の日(ミズノ)、ハリ・灸の日
▲ラクダ、日本に初登場(1821)▲士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」の太政官布告発布。チョンマゲから
 ザンギリ頭へ。始めなかなか実行されず、東京でも断髪が完全に実施されるのは10年後(1871)
▲歌舞伎、最初の夜芝居(1878)▲イギリスの推理作家コナン・ドイルにサーの称号が贈られる(1902)
▲11時2分、長崎に原爆投下。死者6~7万人。翌日、政府はポツダム宣言の受諾を決定(1945)
▲第一回国体夏季大会開く(1946)▲古橋広之進、水泳400m自由形で世界新記録達成(1947)
▲国産ジェット機F86-F,初飛行(1956)▲シンガポール、マレーシア連邦より分離独立(1965)
▲三木首相、首相として初めて長崎原爆記念式典に出席(1976)▲形状記憶合金についての研究報告(1982)
▲細川内閣発足(1993) ▲国旗・国歌法成立、日の丸と君が代が正式に決まる(1999)▲美浜原発、蒸気噴出
事故、5人死亡(2014)▲長崎原爆忌に、初めて国連事務総長が参列(グテーレス事務総長)(2018)

平和への希い1944  核兵器を使う戦争は出来ない  

2020-08-08 12:17:57 | 日記

明日は、75年前の8月9日、長崎に史上2回目で、現在までは最期の、戦争下原爆投下の日。
第二次世界大戦後、朝鮮戦争・ベトナム戦争など世界各地で戦争は起きたが、「原爆」は使われること
は無かった。
何故か?

戦争の歴史を見ると、洋の東西を問わず、刀や剣、弓矢鉄砲で、兵士同士が戦う時代、市民は、家を焼か
れたりなど、巻き添えで亡くなったりしたことは有ったが、殆どの場合、敵方の市民とはいえ、直接殺傷
することは無かった。
大砲、戦闘機、爆弾など、一度に多くの敵兵をヤッツケルためや、敵の軍基地、兵器製造工場などを殲滅
するために、造られるようになり、市民が巻き込まれることが多くなった

画期的で、典型的な最悪兵器が、原爆・水爆など核兵器
一瞬にして、広い地域を焦土とし、生きているモノは、命を失い、原発事故同様、放射性物質や放射線
によって、生き残ったとしても、全ての生き物にとって、最悪の事態になる。
放射性物質の中には、消滅するまでに、50年とも100年とも言われるくらい掛かるものがあり、
長期に渡って、影響を与える。
しかも、気候は、世界を駆け巡っており、放射性物質は、気候に乗って、世界を駆け巡るのである。
核兵器を使って、戦争に勝っても、まわりまわって、放射性物質は、勝った国にも影響するのだ

核戦争になったら、勝った、負けたはなく、人類ばかりではなく、地球上の殆どの生物が滅亡する
広島・長崎以降、戦争で、何故核兵器を使えないか、普通の常識をもっている政治家には解っている。
それでも、世界には、ロ米中など中心に、人類を何回も滅亡できる、13000発もの核兵器がある
狂気の独裁者やテロリストが出ないとも限らない。核廃絶は、人類の存亡に掛かっているのだ
「核不拡散条約」なんて言わず、「核全廃条約」にすべきなんだ。使えない核兵器なんだから
ウォーキング中に出会った花。ピンク・白のクサキョウチクトウ、ダリア

8月8日「今日は何の日カレンダー」より
そろばんの日(全国珠算教育連盟 1968)、ひょうたんの日、屋根の日・瓦の日、ヒゲの日、パパイヤの日、
白玉の日、親孝行の日、地球歌の日、発酵食品の日、笑いの日、タコの日、米の日(毎月)
▲世阿弥、没(1443)▲雪舟、没(1506)▲キリスト教禁教令(1616)▲天明の飢饉、江戸市中に米価抑制(1786)
▲アメリカズ・カップの第1回レース(1870) ▲鶴田義行、オリンピック200m平泳ぎで優勝(1928)▲米潜水艦
ノーチラス号、北極潜行に成功(1958)▲札幌医大の和田教授が日本初の心臓移植手術(1968)▲金大中氏、東京の
ホテルから拉致される。金大中事件(1973)▲ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で辞任(1974) ▲湾岸戦争
の端緒 イラクがクウェート併合宣言(1990)▲当時史上最高建造物ワルシャワラジオ塔が倒壊(1991)
▲郵政民営化関連法案が参議院で否決、小泉内閣は郵政解散(2005)▲北京オリンピック開幕(2008)▲エボラ
出血熱流行でWHOが緊急事態宣言(2014)▲天皇が初めてビデオメッセージでコメント(2016)

平和への希い1943 国民の命と平和な暮らし 

2020-08-07 10:36:48 | 日記

安倍総理は、4日、「敵基地攻撃能力」を、政府で検討すると表明
敵のミサイルが飛んできたら、迎撃は出来るが、迎撃して敵のミサイルを粉砕しても、積んでいた核兵器は、
自国内で、爆発する。
迎撃だけでは防衛にならないので、敵ミサイルが飛び立つ前に、敵のミサイル基地を攻撃してしまえ、という
ことなのだ。
「国の使命は、国民の命と平和な暮らしを守り抜くこと」を強調して、「敵基地攻撃能力」を、政府が検討する
のは当然なのだ、と言っている

如何にも、もっともらしく聞こえるが、「国民の命と平和な暮らし」を危うくするのだ
そもそも、何故、敵は、ミサイル攻撃して来るのか。
そこには、敵がヤラレタラ大変と思っている、「わが国の軍の基地」があるから、「敵基地攻撃」をするのだ。
基地が無ければ、攻撃はしてこない

日本など植民地帝国が起こした侵略戦争時代ならともかく。
安倍総理のお爺ちゃん(東條内閣の閣僚だった岸信介)達が起こした、太平洋戦争。
アメリカの最大の海軍基地、ハワイ真珠湾を奇襲、敵の戦力を削いで、反撃出来ないようにしようと、
宣戦布告せず、まさに、「敵基地攻撃」をしたのだ。
結果は、75年前の、8月6日の「広島原爆」や8月9日の「長崎」で、日本各地の大空襲、悲惨な沖縄戦で、
「国民の命と平和な暮らし」をメチャクチャにしたのだ

「敵基地攻撃能力」を検討する前に、「軍事基地を無くす」検討をすることこそ、「国民の命と平和な暮らし」
を守ることなのだ

安倍総理の、お爺ちゃん譲りの「好戦DNA」が、ウゴメイテいるみたいで、絶対許す訳にはいかない。
日本から、最低限必要な専守防衛施設以外、軍事基地は廃止して、その費用をコロナに回すことこそ、
「国民の命と平和な暮らし」を守る責任を果たせるのだ。安倍総理は、歴史認識がお粗末過ぎる

ウォーキング中に出会った花。

8月7日「今日は何の日カレンダー」より
立秋、鼻の日(日本耳鼻咽喉科学会1961)、花の日、バナナの日、仙台七夕
▲江戸火消し、誕生(1720)▲厚岸にやってきたロシア使節の要求を松前藩が拒否(1779)
▲ブルボン家に代わり、オルレアン家のルイ・フィリップが王座に。「30年憲章」のもと立憲君主制を(1830)
▲非戦論のはじまり(1900)▲神宮プールで第1回日米対抗水泳競技大会開催(1931)
▲ガダルカナルの戦闘はじまる(1942)▲東京通信工業(現・ソニー)が初のトランジスタラジオ発売(1955)
▲有珠山噴火(1977)▲”熟年のオリンピック”第1回マスターズ・ ゲームズの世界大会開幕(1985)
▲毛利さんら3人が日本人初の宇宙飛行士候補に。毛利さんの飛行は1992年(1985)
▲第10回国際エイズ会議が横浜で開催(1994) ▲多摩川にアゴヒゲアザラシ「タマちゃん」(2002)▲北京での
サッカーアジア大会で日本が中国破り優勝、観客が反日騒動(2004)▲兵庫・丹波市でティタノサウルスの全身
化石発見、丹波竜と命名(2006)▲台風8号台湾で死者数百名の被害(2009)▲イチロー日米通算3000本
安打達成(2016)