城郭 長谷川博美 基本記録

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若桜鬼ヶ城 (わかさおにがじょう)のビイスタ工法

2021-10-20 09:10:42 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
城郭ビイスタ論 上文字クリック

◆若桜鬼ヶ城 (わかさおにがじょう)のビイスタ工法

◆長谷川
織豊系城郭若桜鬼ヶ城 勉強したくて髙田徹
氏に城郭図面の使用許可を取りました。氏
の図面を家の隅において何回も見る習癖が
私には存在しいます。彼の図面が非常に高
い学術性を備えてると言えると言う事です。
髙田氏から貰った書籍は、折節に読みます。
 図書館に行きこの図書は格別に素晴しい
と感じる書籍は髙田徹先生の著者名が見え
て、やはりと、好著だと感じる昨今です。

◆長谷川
●若桜鬼ヶ城 
は織豊系城郭の縄張形態を色濃く示す城郭
遺跡であり、この城もビイスタ工法を駆使
した縄張が存在するのか?向学心学習趣旨
として髙田氏の図面から城郭ビイスタ検討
を進めたいと思い宜しく御理解を願います。
高田図は優れているから城郭幾何学論に確
実に対応できる優れた図面とも言えます。

◆長谷川
 主郭天守台自体の形状が正方形でない事
図面の前面が狭く作られていて当時の計測
地点からは各所の郭形状の基本となる縄張
位置も決められたと私は推測しております。

◆長谷川
各部横矢や虎口「城門」桝形位置等を
決定する当時の測量起点も読み取れる。


◆長谷川
虎口や通路「城道」の設定や天守左の屏風折状
縄張も見事な幾何学測量線を読み取る事が可能
まさに国指定に相応しい素晴しい縄張技術の城
これは、髙田氏の図面が正確で学術性が高いと
言えます。やはり「韓日代表的縄張研究家」と
海外からも髙田氏は評価されているだけの事は
あります。
◆長谷川
観察視点を城郭図面の左右から検討して
みましょう。これもまた左右からも素晴
しいビイスタ「展望的設計」「測量的
設計」がなされている事が読み取れます。


◆長谷川
城郭の中芯とも言える天守隅より周囲へと
放射状に縄張設計した様子や手前青線扇型
縄張も存在するようです。これは城郭を
美しく立派に見せる為の光背効果つまりは
威信建造物とする目的と私は推測致します。


◆長谷川
様々な場所や何処から当城を見てもビイスタ展望
やパノラマ状展望が存在します。もしもこの城が
元和一国一城制度で当城が廃止さなければ天守や
や見事な石垣幾の何学線が見事に栄えた城郭です。


◆対談者
城郭遺跡は複雑な幾何学設計で出来ており
複雑な遺構を安易簡潔な論説で講演して人
を数多く集めて概念的講演で解説をしても
私は、全く意味がないと思います。それは
薔薇の漢字検定で、ばらと書くようなモノ。
簡単解説を何十年聞く事は果たして?良い
か?大衆心理を獲得しても地道な学門研究
の進捗をみない保守的世界では困ると思う。
薔薇の文字を難しいと感じて何年も「ばら」
のママの表記をする人は利便、適宜と言う
現代の合理主義や簡便主義には最適合です
がコツコツと少しずつ練習習得して行く姿
こそが城郭見学道の哲学「初心貫徹」かと
思います。もちろん人間社会は城や城跡に
対する関わりや対峙姿勢や価値観は100人
100通りと言えますが、お城見学/遺跡見学
の根幹はやはり薔薇の漢字の習得と同じ!

◆長谷川
城郭を簡単に解説し、より多くの大衆を講演
へ集客し冊子を販売する行為は学門より催事
や町興しとして意義ある事で町を活性化させ
るイベントの世界で、社会的には良い事です。
地域振興観光促進の観点から見れば正に王道。

◆ユークリッド幾何学の逸話紹介
(引用)エウクレイデス(ユークリッド)の名は、
幾何学とは切っても切れない関係にある。これ
は、彼が歴史を通じて最も有名な幾何学の本を
著したからだ。『幾何学原本』は2000年に
わたって唯一の幾何学の教科書であり、その基
本的な規則はいまも学校で教えられている。エ
ウクレイデスはまた、エジプト王プトレマイオ
ス1世を叱ったことでも有名だ。幾何学を学ぶ
簡単な道はないかと王に尋ねられて、「幾何学
に王道はございません」と答えたとつたえられ
ている。<スレンドラ・ヴィーマ/安原和見訳
『ゆかいな理科年表』2008 ちくま学芸文庫 
p.30>より引用

若桜鬼ヶ城 (わかさおにがじょう)
ウイッキペデイアより引用
因幡三名城(この他に鳥取城、鹿野城)のひと
つに数えられる名城である。 播磨・但馬両国に
通じる街道を扼する標高452メートル(比高252
メートル)の鶴尾山山頂部から尾根部分に曲輪
群を設けている。主に木下・山崎氏時代の主要
部と国人・矢部氏時代の古城部に分けられ、中
世城郭と石垣で作られた近世城郭の両方の遺構
が残っている。また、主要部の石垣には元和3年
(1617年)の破城の形跡が見られ各所で崩れた
石垣が確認される。 鳥取県教育委員会が平成10年
(1998年)から15年(2003年)にかけて実施し
た県内の城館分布調査で全国的にも類を見ない
遺構が発見され、国の史跡級の城跡であることが
確認された。国の史跡への指定は土地の権利など
の問題で以前から難航していたが、平成20年
(2008年)3月28日に実現した。 2017年(平成
29年)4月6日、続日本100名城(168番)に選定
された。 
歴史[編集]
正治2年(1200年)頃、三河国より入封した矢部
暉種によって築城された。鎌倉から室町時代、戦
国時代末期まで矢部氏の居城となるが、天正3年
(1575年)6月に山中幸盛の謀略によって城主の
矢部某が捕らえられて尼子再興軍の手に落ちる。
同年、吉川元春の攻撃を受けると山中幸盛らは
抗戦するが、翌年城を捨てて撤退した。 羽柴秀
吉率いる織田軍が因幡国に侵入するとその拠点
となり、天正9年(1581年)の鳥取城攻めの後、
2万石を領して木下重堅が入城した。 慶長5年
(1600年)の関ヶ原の戦いで木下重堅は西軍に
属して改易となり、山崎家盛が3万石で入封して
居城となった。 家盛の子、山崎家治は元和3年
(1617年)に備中国成羽3万石に移封され、因幡
一国は池田氏の所領となり、元和3年(1617年)
の一国一城令によって廃城となった


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柴田勝家軍の余呉庄布陣における陣城の諸問題

2021-10-20 03:24:38 | 見学報告
城郭ビイスタ論 上文字クリック

◆城郭フオーラム参加者様より匿名メール

長谷川先生
昨日もまた素晴らしい見学会に参加でき嬉し
く思っています。6か所もの砦を初めて見
ることができたのが良かったのはもちろん
のこと、砦の間にある土塁や塹壕を見て合戦
当時の生々しさがより一層伝わってきました。
,次回も参加するつもりです。

◆長谷川
御参加を賜り感謝を申し上げます。紹介
しまた現地の柴田勝家方の砦の塁壁を熱
心に撮影されていたので講師としては嬉
しく思います。城跡を見る意志気力を持
つ方に遭遇する事はめったにありません
ので格別に私は嬉しく感じます。

聞くべきは偏向や観点に違いがある人間
ではなく現地遺跡を繊細に見学する心得

主題
柴田勝家軍の余呉庄布陣における陣城の諸問題

◆長谷川
賤ケ岳合戦に際して築城された陣城の90%は
余呉町に集中し『余呉の庄の戦い』と呼ばれ
ています。歴史の生き証人たる現場検証の場
はつまり屋外戦国ミユージアムが余呉に存在
すると言って良いでしょう。観光地としては
賤ケ岳一本に絞られていて大変残念に感じま
す。余呉町に残存する数多くの城郭遺跡は過
疎化が進み深刻化する滋賀極北の町の歴史観
光の資源と成り得る一大城郭遺跡群と言える
です。余呉の城郭群を認識して頂く為には遺
跡を見方の基本、鑑賞の仕方の基本を学べば
次々と林間に出現する砦群を看板を見るので
はなく遺跡の形状を視認、認識して行く作業
が大切と思われます。砦のない場所に普段は
砦跡を見る事に感心のない人が標識を砦のな
い場所に立てている事は全国の観光の実態を
冷静に観察すればよく解ります。観光=創設
=歴史に因む現代の観光地を作り上げる行為
歴史=現実=遺跡=歴史の現場と言う発想の
対立や認識の違いは往々に発生しております。

人は一度観光案内板が設置されてしまいその
に案内板の文字を盲信する文字記憶学習型の
人と冷静に遺跡のある場所を認識する2種類
のタイプの人が存在します。時に登山で道の
案内板が朽ちて倒れて違う方向を向いていて
いた場合100人の人が居れば99人は道を間違
え冷静に道の様子「つまり城跡」を観察する
人はその地形や踏み道の形状から岐路を間違
えず少数の人が下山多数の人が山道に迷う事
が発生しています。城跡見学者とは1000人に
1人しか現実には社会には存在しないのです。

副題1
◆有名城郭と無名城郭の歴史的解釈

◆対談者
1000円の費用で有名外食店に行った。そした
ら料理一品と水しか出て来なかた。それでも
人は有名外食店だったので満足して返ります。
有名店に行くステイタス性と社会満足心理で
いわいるネームバリューム/ブランド信仰です。

◆消費者
そんなの絶対イヤよ!無名店に行っても7品が
出て食後のコヒー付で1000円の店を絶対良い!
無印良品の本当の真心の食道を私は選びたい!

◆一般者
今時昭和的情熱熱血店は流行らない!ダサイ店。

◆長谷川
それは現代社会でも言えますね。例えば城郭
遺跡を見学するのにも城郭探訪や歴史紀行の
人々は有名無名で城郭の見学価値基準を決定
品定めし城めぐりを楽しむ、傾向にあります。
下図で言うならば絶対に上段の7曲輪を見学
する方が断然見応え歴史戦跡史実を正確に
物理的現実的に把握認識しょとする正統派と
言えます。

◆反論者
アンタが城郭見学の正統派とは思えませんが?
むしろ邪道や異端者だと常々感じていますが?

◆長谷川
 人間が言葉と文字を発見した瞬間から嘘や
虚実を発する事を常套とするようになりまし
た。多くの人々は言葉や噂に惑わされて生き
ています。私の先生は現場の城郭遺跡その物
ですから絶対に虚説を吐く事はありません!
私が言いたいのは

現地の城――人間――見学者ではなく直接
現地の城ーー見学者というダイレクト学習



◆反論者
俺んトコの会の先生は犬走など全く見ないぞ!

◆長谷川
私の城の先生は城自体率直に犬走遺構見ます。
有る物は見る無い物を有るとは言わない。城
は城、黒は黒、であります。犬走により城郭
のアウトライン絵画で言う所の輪郭を認識認
識出来遺跡の領域が確認可能。また絵画には
構図が潜在し人間の作り出す万物には必ず設
計図がある普段見かける道路標示も最初には
腺が引かれていましたが雨風に打たれて消え
ます。家屋の建築現場にも必ず丁張線が最初
に存在しましたが家が完成したら取り払われ
ています。



◆質問者
令和3年10月16日の橡谷山砦、柏谷山砦、大谷山
砦見学会は盛況だったんですか?

◆参加者
先生の予定では6箇所の連珠砦を見学する予定だっ
たのに現実は7砦の見学会だったんです!参加した
人は7種類もの様々な形状の柴田方城塞群を7連続
見学だったんでジャンプで言えばもう150メールも
飛んでK点越えして着地するのに必死と言う状態!
6砦ではなく7砦見学だったんでもう満足の7連よ!

◆長谷川
それでもまだ全部見切れていません。秀吉も柴田
の行市山や大谷山の陣営を遠望視察して是を攻め
落す事は出来ないと感嘆の声を上げている状態で
す。城は人の侵入をよせつけない要害を言います。
現代人がなかなか踊り付く事が困難なリスクある
場所を見学する事はリスクや危険が常に伴います。


滋賀県極北部余呉町の位置


◆長谷川
長浜市余呉町には『余呉の庄合戦』の砦の跡が
50箇所以上現実には存在致します。その中の7
砦を地道に見学した訳です。またこの合戦別名
賤ケ岳の戦いとも俗に呼ばれます。羽柴柴田の
軍が臨時城塞を多数築城した中心地は余呉町で
現地に残る砦戦国の荒々しい世相を現代にまで
伝える野外ミュージアム博物館とも言えますね。



◆一般者
余呉城郭研究会順調ですね!コッコツと堅実
に地道な城郭遺跡見学会が展開されています。

◆長谷川
しかしコツコツと現地見学を積み重ねた人々
と歴史通と公称しながら全く現地の城郭分布
を無視される文章文字派の歴史通と現地遺跡
確認派の人々の古戦場の現実認識は極端に異
る。それは道路でいえば道路標示の文字だけ
見て横断歩道や踏切を全く見ない人に等しい。
野球で言えばピッチヤーズマウンドに立って
ない。相撲で言えば土俵の外で相撲を取って
る。水泳で言えば座布団重ねて平泳ぎ練習を
しているような状態。野球で言えば、一塁、
二塁、三塁、踏み忘れて、アウトになる様
な状態とも言えます。一塁、二塁、三塁と
は砦の事です。ベース土俵を踏む事が大切。



◆長谷川
参加者様、サポター様、様々な城郭遺跡を
見学したい人々の御支援協力により余呉城
郭研究会様の見学会が地味に堅実に継続し
いる訳であり、改めて感謝を、申上げます。

◆参加者各位の御意見要約

●多賀町の人
多数の砦を次々に見学出来て興奮しました。
賤ケ岳の合戦の砦遺跡は非常に多いと思う。

●近江八幡市の人
次々と7箇所の陣城が出現し此れ見ている
とアドレナリンが出まくりの興奮の見学会!

●草津市の人
砦が次々に7箇所も出現する衝撃的見学会!
城郭ビイスタ論 上文字クリック
●彦根市内の人
長谷川先生の城郭ビイスタ論話題騒然です!

●岡山県の人
やはり次々と登場する城郭遺跡は魅力的です。

●岐阜県の人
長谷川先生は文献資料も現地城郭遺跡も
双方解説される歴史城郭の2刀流の先生。

●愛知県の人「男性」
やはり城郭遺跡を確実に案内される先生の
見学会は城郭遺跡を見学したい人に最適!
特に尾張美濃出身の先人が砦に布陣して
いた訳ですから感激もひとしおと言う事!
時空を超えて戦国の現場を見る様ですね。

●長浜市の人「女性」
大谷砦7箇所は7箇所全てそれぞれ個性的
で砦が次々に現れて物凄く有意義でした。

●長浜市の人「男性」
賤ケ岳城、大岩山城、岩崎山城の秀吉陣
営よりも柴田方は数多くの小城郭を数多
く山尾の要所要に分散配置し緊迫した当
時の柴田方の軍事要塞の様子を見学した。



●長浜市内の人
玄蕃尾城、磯山城、大谷山砦、楽しく見学
してきました。長谷川先生描かれる御城印
が特に好評を博している傾向状況あります。
やはりこの立体鳥瞰図は非常に魅力的です。




●米原市の人
ちょつと見学行程が峻嶮で山深くキッかった。

●長谷川
今回の大谷山砦は急峻かつ道が無くて長年に
わたり見学会は見合わせていた言わばタブー
の見学コースだったので御迷惑をかけました。

●伊賀の浜丸さん
全て見学した事あるコースでしたが見落とし
てた遺構も見学したくて見学に参加しました。
コメント (1)
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