城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

賢者の歴史メール 智者の歴史メール が安土城と彦根城の謎解明の糸口

2022-02-18 11:40:35 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
賢者の歴史メール 智者の歴史メール 
が安土城と彦根城の謎解明の糸口
賤ケ岳合戦文室山【高尾山】見学会 智者の論述
 
◆ブログ読者
この投稿を吟味して拝読すると私は今まで城見学
人生に後悔しています。何百と言う城郭講演に行
き安土城、彦根城に何回も行っているのに、私は
彦根城も安土城も「見切れていない」事を痛感し
たもっと長谷川先生に早く気付くべきだったです。
長谷川先生と彦根城天守を見ていたら良かった!
 
◆長谷川
学門とは「温故知新」が肝要です。常に
古きを訪て新しき事を更に知る事が肝要。
現実の賎ケ岳合戦「余呉の庄の戦い」や
リアルな現状を知る事が歴史城郭の本質。
 
 
 
▼ブログ著者 近景
 
◆長谷川
平素の対話形式ブログは講演見学会の対話を
記憶しておいて様々な角度から投稿を展開し
ております、今回は匿名様からの直接DMを
御紹介して、生々しい心情を御紹介致します。
 
 
◆賢者の歴史メール 智者の歴史メールDM①
 
先日は文室山砦などを案内していただき、あ
りがとうございました。今回は事前に高柳
光寿「賤ヶ岳之戦」(春秋社)を読んでおき
ました。現地では、これが賤ヶ岳の戦いで
佐久間盛政が撤退し秀吉が追撃した道なのか
と感動しました。軍道、塹壕、広大な削平地
 
◆賢者の歴史メール 智者の歴史メールDM②
 
土塁、砦が次々と出現する。特に文室山
頂付近の砦の巨大さには驚きました。観光
地にもハイキング道にもなっていない所に
賤ヶ岳の戦いの生々しい跡が残っている。
これほどの遺構があるとは思ってもいなく
て唖然とした次第です。先生に案内して頂かな
いと絶対に行けない。本当にありがとうござい
ました。
 
▼戦国の塹壕 大坂城夏の陣
◆長谷川
國學院大學で教鞭を取られていた高柳光寿氏
の賤ケ岳合戦の記述は文献史学者として誠実
 な内容になっております。歴史城郭分野は
文字歴史の記述内容と現地戦跡遺構の現実が
双方が適合してる事や整合性あるのか?検討
する分野で歴史地理/地歴分野であろうと思い
ます。そう言う意味において高柳氏の賤ケ岳
合戦の記述は諸書の中で現地合戦遺構と最も
一致する内容となっています。文字と現実が
一致した時に初めて合戦の真実が実証される
と思います。そのような意味で生月余呉城郭
研究会会長が文室山山頂部の土塁堀切遺構に
着眼されて文室山見学会の実施を検討された
事は長浜市の戦国史の現実をより深く知る為
の先駆けとなると思われ感謝を申し上げます。
 
◆質問者
竹束「たけたば」つて何ですか?
◆長谷川
敵の城を攻める時に攻城軍が鉄砲の防弾の為に
使う竹束の事です。
◆反論者
ふん土手に隠れて鉄砲を射撃するなんて無い!
文室山の山中の土塁などそんなもの関係無い!
◆長谷川
土塁と鉄砲の関係は「まな板と包丁」の様な
存在なので土塁見る気が無い=城見ないとと
同じ意味があるりですよ?
▼茂山陣の鉄砲塹壕 前田利家布陣遺構 城郭フオーラム
▼茂山陣の鉄砲塹壕 前田利家布陣遺構 城郭フオーラム
▼銃砲は戦国期の重要な武器であった。
◆賢者の歴史メール 智者の歴史メールDM③
 
前回の茂山も良かったです。私は2年前に1人で
神明山砦から茂山、権現坂まで歩いたのですが、
茂山の遺構は完全に見逃してしまって通過しただ
けでした。前回は犬走りや塹壕などにも目が行く
ようになり、これでも少しは上達したのかなと思
っています。
 
▼城郭の犬走り見学は城址見学の基本中の基本!
 
城址にハイキングに行く事は楽しい事
城址に旅行に行く事もこれも楽しい事
 
でも犬走の大切さを真心を持って教え
てくれる先生は長谷川先生だけです?
 
◆対談者
私は長谷川先生に直接会ってみて感じた事は聞
いてた噂と全く逆の素朴で温和でフランクな人。
もしろ社会的に「すれた部分が少なく素朴な人」
狡猾な商売人じやなくて、素朴さんと言う印象。
 
▼直接ビイスタ線を書き込む体験型講義実施
 
◆参加者様(匿名)よりDM④
11月25日の米原公民館での先生の講演には初めて
参加させて頂きました。講演は大成功だったんじ
ゃないでしょうか。自分で図面に線を引くという
ことで自分が測量したように思ってしまいますから、
その後の話にも引き込まれてしまいました。私が
先生のビィスタ理論に初めて接したのは4年前の
安土城の見学会で縄張り図のレジュメを頂いたとき
でした。これを見たとき「これが正しい」と直感し
たんです。信長のような財力と権力を持つ者なら、
例えば櫓台を正方形に作ることなど造作ないことで
しょう。なぜそうしなかったのか?ビィスタ
理論ならその理由を説明できてしまう。単に自然地形
だと言うのではまったく説得力が無い。先生の講演を
聞いて当時思ったことを思い出しました。良かったです。
▼織田信長 安土城ビイスタ工法
 
▼太閤秀吉 肥前名護屋城 ビイスタ工法
 
城郭ビイスタ論 上文字クリック
 
◆安土城見学参加者
長谷川先生と安土城を何度か見学しています。
ある時の見学会で先生は伝前田利家邸を見学
しましょうと言われました。ところが参加者
1人様が「長谷川さんは変わっていると公然」
と言われ私達見学者は閉口してしまいました。
何故貴方は前田利家邸宅のビイスタ工法も解
らん城に開眼してない人かと思った訳ですね。
 
長谷川先生は参加者様の意見こそ従うと謙虚
に言われました。私達は長谷川先生の切口や
実力を知っているから大変残念な思いでした。
何故ならば軽い城郭建物解説では無くて本当
に切口が鋭い城郭研究の深奥いビイスタ工法
ですから、くだらんと言われた人が軽佻浮薄
な人とつくづく今更ながら深く強く感じます。
打消論や否定論は誰でもできるが法則の発見
は並みの人間では不可能に近いんでのすわ!
だれも気付かない事に気付く事が学究です!
 
Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する
感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶと
きに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者
であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。

◆長谷川
城郭見学会の難しさがそこに潜んでいます。
もう安土城本丸天守に何度も行った人々は
伝前田利家邸に是非行ってみたいものなの
ですが押しの強い性格の見学者がアンタは
何で前田利家邸から安土城見学するかな?
アンタは素人かと言われてしまえば見学会
の空気乱す事も出来ず本丸へと行く訳です。
 
◆対談者
 長谷川先生の城址解説って深いんですよ!
何年も経過して先生の解説の深さが突然に
解った時に私はショツクを受けた訳なんです
従って城の簡略ガイド文書を読んでスタコラ
安土天守へと急ぐ軽そうな性格の城見学人様
ではなくて、じゅつくり遺跡を考察する人に
は長谷川先生の解説は非常に深く重いんです。

◆対談者
学者が安土自城然地形と言うは完全な逃げ口上
人間は特に日本人は言葉が発する言霊に弱い!
だれか権威のある人が自然地形だと言い出し
たら日本人全体が自然地形だと言う固定観念
を植え付けられ盲信し城の形状を見なくなる
事は必定。日本人は尻馬乗が非常に多い傾向。
行った城の形が〇か□か△かは非常に大切な事!
 
◆対談者
城郭ビイスタ論とは戦前戦後を通して稀代
の城郭縄張のデザイン論なのですよ。この
論説は先人の論説の模倣や踏襲つまり亜流
系の論説する凡百の物真似学者でない気付
き論、発見系の理論なのです!物真似コピー
の「真似師」と気付き発見悟り学者はそも
そも、その本質や論点や視点の根本が違う!
模倣はコピー機に任せて人は考える葦です!
 
◆反論者
安土城がビイスタ「放射測量方法」を用い
て築城されていたなんて長谷川などの珍説
世間の常識ある人々が一体誰が信じるか!
 
◆大多数様
そうだそうだ長谷川説など空論に過ぎない!
こんな放射状に四角くあるべき城の石垣を
作ったら四角四面の櫓と石垣の間には隙間
が出来るがな安土城の櫓の中に雨水が侵入
したら当然天下の名城も腐ってしまうがな!
 
▼ユンゲの安土城版画
◆長谷川
反論者様大多数様の御批判に感謝申し上げる。
安土城は石垣の天端と櫓が一致しない城だっ
たと言う事を指摘して頂き深く感謝致します。
それならば石垣と櫓の間に雨水の吹き込む事
を防ぐ「腰板」「こしいた」が安土城に存在
した事になります。残念ながら織田信長自身
が安土城屏風絵をバチカンに献納したが屏風
絵は未だにバチカンの屏風絵が未だにいくえ
不明です。バチカンの安土屏風絵を模したと
評される安土城版画「ユンゲ版画」は見事に
石垣と櫓建物の欠点の隙間から吹き込む雨水
をシャツトアウトする防水施設「腰板」を描写
している事に注目して下さいね!それも巨大な
腰板です。まるでスカートや日本の袴を連想す
るビイスタ縄張建築建物の矛盾を補強して補う
巨大な腰板を描写している事に注目して下さい!
◆彦根市民様
 私は彦根城に市民入城券を利用して
1000回も行ってますが日本の伝統建築
彦根城にはユンゲの安土版画の様な腰
板は一切残っていない長谷川さんは城
の事を全く知らない人なのでしょう?
 
◆長谷川
櫓や建物の裾にある「腰板」はやがて時代
とともに彦根城のような「小屋根」と呼ば
れる「腰板」へと退化していく経緯があり
ます。人間には尾骨がお尻にありますが、
今は人間のお尻には尾は退化して凸だけ。
従ってだから彦根城に千回行くより1回で
もよいから彦根城天守小屋根を見る事です。
彦根城天守の「小屋根」は幻の安土城の
「腰屋根」の伝統様式を現代に伝承してる。
今一度貴方が本物の城郭フアンならば先ず
彦根城天守の「小屋根」から勉強しなおす
「初心」に帰る謙虚さと勇気が学門の本質!
城郭見学は驕り勝ち誇る人でなく冷静な人
▼安土城 ユンゲの版画
▼彦根城 天守 付け櫓の現況写真 石垣と建物がズレいる。
▲彦根城の石垣と建物は完璧に整合していない。
石垣と建物がズレている。これは作事と普請の
齟齬「かみあわない事」の現実を的確に提示!
 
◆長谷川
 私の安土城ビイスタ論「放射状設計論」とは
城郭石垣の天端と城郭建物に空間が発生して城
に風雨が吹き込んで城郭建築物の保存に適さな
いと指摘された!では元来石垣と建物の両者が
整合しない。つまり石垣と建物はピタリと収ま
って構築されていたのか?安土城では城郭建築
は作事担当の尾張熱田の宮田大工、岡部又衛門
も担当した。築城の普請奉行は丹羽長秀担当し
た事は『信長公記』に明確に記録されている。
作事=建物 普請=石垣 両者が齟齬を来して
かみ合わない状態が彦根城天守にも存在するか
と言う事になります。簡単です彦根城に小屋根
が存在します。越前丸岡城天守には「腰屋根」
が存在致します。▼
▼安土城ユンゲの版画とは極めて生々しい現実描写
 だと言える!
従って安土城はビイスタ工法に従って構築されて
石垣と建物の隙間を雨水から護る「腰板」は発達
していた。彦根城天守の小屋見学を城愛好家だと
言って1000回彦根天守に行って一度も「小屋根」
も彦根城天守の小屋根を見てない人は城を見る気
がない。千回行くより一回見る事が如何に大切か?
 
◆世話人様
ほらごらんなさいよ!
城郭一期一会とは一回の見学を真剣に見る事!
城郭の先生とは長谷川先生ではなく城自体よ!
城郭の真の先生とはね「城」自体なのですわ!
城見学に参加する私達が如何に真剣かが問題!
 
◆城フアン様
私長く城に行き続けてます講演にも多数行った
でもこ今回の会話内容の投稿ブログに衝撃受け
た!何に衝撃を受けたか?当然知っておくべき
城郭根本基礎を私は会得していなかった城自体
に私達は衝撃を受け自己啓発や自分発見した!
 
◆エウレカ
Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する
感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶと
きに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者
であるアルキメデスが叫んだとされる言葉です。

 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする