余呉城郭研究会ニユース速報2
◆対談者
人間には
模倣型コピア コピペ型
発見研究家タイプに二分
されます。
◆対談者
ガイドブツクに登場する
城のみカタログ型探訪者
紋切型金太郎あめタイプ
のマニュアル定型型があ
る事に気付きました新城
を発見してない研究家も
おられるかたや新城発見
される一般の方もいる事
◆長谷川
新城発見される人の特徴
は城郭研究家でも中世の
交通地理陣形地理に詳し
く中世交通史社会地理が
から文献から漏れた城郭
を発見されるタイプの人
一方新聞や報告書や図書
から知識を得ようとする
二次知識派の方もおられ
ます。現地で城を発見さ
れる人は一次知識派の方
文献史学で言えば原典を
探求解読するタイプです。
◆一般者
余呉城郭研究会の新城郭
発見報告が日本中で話題
になっていますがこの件
を社会学や社会心理学的
に分析して頂きたいです
私などはやはり余呉城塞
群の多様な特異さや年代
限定出来る1583年築城遺
跡として指標サンプルの
提示として高く評価され
るべきだと私は思います。
◆東海北陸赴任経験者
やはり私のアイデンティテイ
には東海生まれで北陸育ちと
言う事で尾張軍団と北陸軍団
が布陣した余呉城塞群は歴史
の現場で魅力尾張越前の文化
のエツセンス遺構とも言えま
す従って私は歴史の現場へと
行ってみたい向学心が私自身
の心の中に潜在しております。
◆質問者
失礼ですが旧余呉町教育
委員会様との長谷川先生
の交流は存在しました?
◆長谷川
全く関係がありません
私は余呉町で城郭講師
として何故?起用され
たのかさえ全く社会的
に理解出来ていません
空気読めていないとも
言えますそう言う意味
では心理的苦悩がある
米原町で城郭講師とし
て私の意志に関係なく
突然起用された事など
も不可解に思い内心の
心の整理に苦悩します
自分が自分を解っては
いないのかと悩みます。
◆長谷川
あ、は犬走、段築、遺跡
あ、い、う、斜面が続き
A~Bの登土塁は54.9mの
長さを持ちBには食違い
の虎口もあり更に前哨
施設の削平地えも存在。
◆反論者
このイラストレーション
不可解です。私の先生か
らは登土塁や犬走り等は
見なくてよい無視せよと
叩き込まれております!
◆対談者
でも現実はこうなんです。
現実を見ようとする心が
城郭遺跡見学の本分です
城郭遺跡を見ようとする
心のセンスのある人が現
地の未知の城跡を発見を
されます。
◆対談者
歴史愛好家は既知を100点
と誤認誤解しているのです
現実の現場の遺跡自体こそ
120点以上の現実真実です
これは現実世界であり嘘
や空論ではないのですよ!
遺跡見学とは
ルッキング見る事
城址探訪とは
ゴーイング行く事
2者には大きな価値観の
違いや主観の相違がある
◆質問者
新城郭を発見された場合
の市民様の反応は如何?
◆長谷川
特に既存の地元郷土史会
から強烈な怒声を浴びる
事も往々に遭遇致します
から新城を発見しても見
ざる言わざる聞かざる事
こそ研究家の原則ですが
今回は長浜北部余呉の振
興祈願の意味合いもあり
投稿を致しました。
◆対談者
城郭研究や郷土史の進捗
は期待できない事が現実
図書館の本に未知の城址
は掲載されていない現実
◆対談者
160キロを投げる速球王
が突然登場した場合同僚
投手には心胆寒きの気持
が発生するもの。地元の
歴史倶楽部、郷土史会は
地元の名士有志から社会
構成されており地元歴史
は我々がリード主導して
いるという自負心自尊心
がそこに集合される人々
の心理の根本に深層心理
として通底している訳で
すから人間の集団心理と
して郷土史の連合心理は
新城発見を受け入れる事
は社会心理学的に許容し
ない当然無視白眼視状態
と言う事なんですこれは
ローカリズム地域心理的
立場から見れば拒否です。
◆長谷川
社会を構成している組織
や構造は行政と民間組織
があり歴史や城郭の集い
は行政催事として催され
る事が一般社会通例です。
民間研究家は昭和30年代
に消滅した城郭遺跡図を
作成記録陰で研究してる
これを公にはしませんね
善良な民間研究家は公共
工事の進捗を阻害する様
な社会的迷惑は避けます。
◆質問者
今回の城郭発見者は宮本
さんですが社会学的意味
としての解説を願いたい
◆長谷川
城郭を発見される事例は
公的機関ではなく民間の
人々によるものが大多数
である事が社会の通例や
現実なのです。市町村で
開催される歴史や城郭の
講演や見学は行政催事と
してのバイヤスや規範の
中で展開されこれに集合
される市民の方々は所謂
歴史愛好家市民の通念で
す。これに対して城郭の
遺跡を研究し現実を記録
しておく事例は民間研究
によるものが多いと言え
ます。所謂、民間学です。