長浜市内 城郭見学会のお知らせ
◆質問者
城郭フォーラム講師の長谷川
先生の見学会の特徴を教えて
下さい。
◆体験者
私は以前古戦場散策や古城
への探訪会への参加を趣味
として古戦場探訪記などを
記していたんですが実際の
合戦の現場には城、砦、堀
陣、要塞、阻塞群がめくる
めく多様に現地出現します
それを逐次専門的解説され
る訳です古戦場の石碑や城
の看板だけを見ただけでは
現実古戦場に残る戦国乱世
の壮絶な現場を検証した事
にはならない机上論で合戦
や歴史を語る軽率さを慎む
べき事と感じました。史書
に記された往々にして勝者
が自分の戦勝歴史を輝かし
く後世に伝える為『物語』
になっている。文字歴史
と現場に残る合戦遺跡の
実像にはズレや相違点が
実際には存在するんです。
名も無き小さな砦もある。
▼無名 余呉城塞 堀切
以前なら山歩きで先を急ぎ
通り過ごしていた山林の中
にとんでもない巨大な堀切
や軍道を立体認識出来る様
になると以前教えられた時
の合戦記とは著しく矛盾を
してる。こんな巨大な堀切
や軍道を認識出来ずに賤ケ
岳合戦を語る事は軽挙なる
事かと近年感じております
時々某所合戦場所には陣跡
などないと現場を認識出来
ない人々の論争もあります
がそれ空論です。現代なら
横断歩道を認識出来ない人
が昭和道路事情歴史を語る
に等しいと感じる昨今です。
◆長谷川
天正11年1583年の北陸地域
と近畿地域を数万の軍勢が
北陸と近畿の境目で大乱を
引き起こし将兵や工兵まで
が長浜市余呉町山林に長期
駐屯して様々な陣営を構築
した現場の現実を知る事は
歴史の現場検証とも言える。
◆常連参加者
11月19日私は文室山砦を是非
見学したいでも2回も会社仕事
で参加できなかった事は残念!
◆一般者
何故文室山砦に注目してる訳?
◆対談者
それは賤ケ岳合戦の前半戦段階
では羽柴秀吉は長浜衆に天神山
に柴田勝家との合戦に備え陣城
を築城させた秀吉も文室山へと
登山して柴田軍の陣営を視察し
ている記録が残っている従って
賤ケ岳合戦の初期段階の現実の
陣城や陣小屋の遺跡を是非とも
見学したい人の悲願とも言える
続々と飛び出す現地遺構の迫力
◆長浜市内の人
秀吉公みずから戦場視察に来た
場所が文室山、秀吉が最前腺の
城として心血を注いで長浜衆に
築城させた城こそ余呉天神山城
これは秀吉フアン必見の現場だ!
◆一般者
長谷川先生とは賤ケ岳合戦の城塞
案内や解説にかけては、その道の
人だと昔から聞いてる先生ですが
私は陣城も陣小屋も全く解らない
んですよイメージがつかめない訳?
◆長谷川
あなたは文字のみで歴史解釈
するタイプの人かな?現場の
立体的構造の遺跡を検分する
タイプの人かな?主観の違い
で歴史解釈は大きく変わります。
天神山城は立体物として認識す
るとこの様な立体形状なのです。
陣城を文字歴史学派の人々には
なかなか立体的にイメージ出来
る方は現代社会に少ないと思い
ます。城とは立体物なのですよ。
天神山城にはもう江戸時代の城
で多用される枡形形式の虎口が
2カ所も採用され当時の最高の
技術で築城された城郭遺跡です。
▼余呉城塞群天神山陣城「東郭」
◆探訪者
長谷川先生や宮本さんが発見
認識しておられる陣城を私は
はっりきり言って認識できま
せん正直言ってガイドブツク
のテキストに従って城跡や砦
を巡っている探訪者で一生を
終えるのかと思うと残念です。
◆対談者
ガイドブックやテキストが
100点ではない訳ですよね
現実や実際の遺構を見学
認識して120点に到達して
下さい!実は本当は120点
が100の現実!貴方が認識
したのは70点なのかもね?
▼臨戦城郭遺構
▼陣小屋 布陣遺構
段築遺構は高さ50㎝ほどだが
城郭遺跡基本『犬走』を巧妙
に配置して臨時の陣営とした
◆長谷川
城址や砦の跡を認識する為
には既存の常識に束縛され
ていては合戦は地形や築城
資材に応じて臨機応変に作
られた砦跡は認識しずらく
なります。遺跡を見る良識
や現実遺跡を見る純粋性や
初心者としての原点回帰を
して頂ければ歴史の現場は
大きく貴方にビツグサプラ
イズ「歴史の現実に気付く」
事を提供してくれるますよ。
◆一般者
令和4年11月19日開催される
文室山~天神山城の解り易い
解説を是非ともお願いします。
◆長谷川
①
文室山砦「羽柴秀吉視察陣営」
堀切、土塁、段築が現地に残る
②
文室山~天神山 中間に存在す
る巨大陣営の跡これ本当圧巻!
③▲
天神山城、東西2城からなる城
ある意味秀吉の横山城タイプ
織豊系城郭の典型天正11年の
城郭エッセンスの精髄が冴える
◆一般様
滋賀県長浜市は非常に広域
な面積の行政地域と言う事
◆案内人
滋賀県長浜市の北部に相当
紅葉の紅葉、余呉湖の湖水
いずれも俗化してない名勝
◆織豊城郭愛好家
今度令和4年11月19日見学
会が開催される天神山城は
縄張技巧や見応えある城?
◆長谷川
賎ケ岳の戦い正しくは
『余呉庄の戦い』です。
この戦いは2カ月に及ぶ
秀吉と勝家の長期合戦
で初期羽柴秀吉軍最前線
城郭として織豊城郭の粋
を駆使して縄張してます
から当然★★★★★5星
の城郭と言えます。当時
の築城水準の最高峰とも
言える縄張技巧の城です。
◆質問者
私先週余呉駅に下車まして
観光看板を見たんです余呉
湖周辺や賤ケ岳周辺に遺跡
が紹介されて柴田方や初期
『余呉庄の戦い』賤ケ岳の
戦いの古戦場遺跡が紹介さ
れない事に気付きました!
◆長谷川
それは当然の社会現象
観光行楽ハイキングA
城郭遺跡古戦場見学B
AとBは部門ジャンル
が異なります。観光用
看板と現実遺跡に隔た
りが常に存在致します。
貴方の場合現地現場の
歴史の現実を見たい人
◆対談者
文字で知った既知知識と
現場で発見認識した現実
にはやはり開きがある事
▼記念写真
▼横山城探訪会で活躍する生月様
◆参加者A
赤いマーキング領域には
林谷山大谷山橡谷山柏谷
山などの多数の驚くべき
多様な『余呉城塞群』が
城郭遺跡の宝石箱の様に
密集して城郭銀座と言う
か城郭遺跡の宝石箱状態
まるで城郭エルドラド!
と言う事で『余呉城塞群』
が全国規模で注目されて
いる新聞報道を見ました。
◆参加者B
実際余呉の現場に行って
見て現地体験をすると!
歴史書
合戦記
講演会
観光書
とは現実の現場の遺跡
つまり合戦インフラは
著しく風聞や既知知識
とは大きく異なります。
下図青腺に何かある?
◆長谷川
羽柴秀吉方の天神山城塞群
が赤丸状に連珠陣地を形成
しています。令和4年11月
19日土曜は黄色腺の如く
様々なバリエションの城郭
や布陣遺構を文室山から
下山しなが初期第一次羽柴
秀吉陣営の様子を興味深く
観察見学致します。
◆長谷川
織豊城郭として
秀吉の横山城と
同じく秀吉方の
余呉天神山城を
比較見学する事
も楽しみの一つ
です。姉妹城郭!
▼天神山城 東砦の土塁遺構
◆トレール愛好家の質問
そのコースはトレールの
コースとして良いですか?
長谷川先生は等高線図を
読めますか?登山は得意
なのでしょうか?
◆長谷川
気が向いたら御参加を
文室山から天神山までは
美しい灌木と落葉樹落ち葉
のジュウタンの様な山行が
たのしめます。地図は子供
頃から国土地理院の2500図
を読む習慣を持っています
余呉生まれの山猿で土地勘
は十分に持ってますが遺跡
や遺構を中心に見学検分を
しながら下山して行きます
▼未知の大削平地あり
▼謎の竪堀遺構