城郭 長谷川博美 基本記録

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連続衝撃 平戸城  島原城 原城 高知城 ビイスタ工法

2022-12-07 13:51:55 | 九州の城 ビイスタ工法

連続衝撃 平戸城  島原城 原城 高知城 ビイスタ工法

◆有識者

日本広しと言えども安土城の

城郭ビイスタ論を解説出来る

観察眼を持つ城郭研究家とは

長谷川氏だけでしよう。土佐

高知城の本丸も徳川幕府隠密

が正方形の城として報告して

いるほどです。高知城の天守

は石垣にはピタリト適合して

とない現実をビイスタ工法の

法則を用いて解説する城郭の

講師は日本では長谷川氏のみ

と思います。少数学派は人間

の社会的特徴として異端者の

レッテルを貼られます奇異の

目や心がで多数の人間の心に

集団心理が働く場合が多いが

人間は「表」の心と「裏」の

心を持っています。繰り返さ

る長谷川氏のビイスタ理論は

本物である事は確実な論拠で

長谷川氏のブログ読者は極端

に少ないがしかし人間の心の

奥を「深層心理」と言います

城を本音で学びたい心の人が

4600回の視聴を記録している

と言えます。この事に一般は

気付くべき重要事項なのです

▼土佐高知城 本丸ビイスタ

▼美濃 金山城本丸ビイスタ

◆有識者

普段我々正式研究者や学術家

は美濃金山城や土佐高知城の

本丸にビイスタ構造など存在

するとは考えが及ばない事で

研究視点の盲点とも言えます

長谷川氏の彦根城解説が如何

様なものになるのか私は詳ら

に知りません長谷川氏の資質

を看破された人が氏の教えを

求めて彦根城と言う巨大城郭

遺跡の深層の「深堀り」を見

学される機会に恵まれる事と

思います。たかが彦根城では

ない天下無双の要害彦根城を!

◆有識者

先日喫茶店で脱線し話題が中東

ウルクジッグラトウルク第3層

(前3000年頃)聖塔の会話に及び

長谷川氏は私に5000年もの前

のビイスタ構造「測量設計」を

解説され私は紅茶カツプの手が

震えるという学術的衝撃感銘を

受けた破格な柔軟思考遺跡視点

の解説と驚愕天地逆転しました

なによりも素朴にウルク遺跡の

聖塔ジグラットの文言や遺跡の

形状の話題が茶飯事飛びす事は

とうてい一般の大衆の方々には

理解出来ない特殊な人が長谷川

氏です学者的な家庭環境の人で

ウルク遺跡を一般人は知らない

またそのビイスタ構造など知る

由もないと言う事になります。

 

◆長谷川

彦根城土塁の部分「土城」も

多く残り普段の観光や探訪と

異なる視点で彦根城を一回で

10倍楽しむ多様な見学します

軍事要塞としての用意周到な

城郭縄張の冴えは驚異的です

遺跡を見るのですよ!巨大な

屈指の江戸時代遺跡を見る事

遺跡の文字認識ではなく立体

構造物として立体認識する事

▼彦根城 土城 土塁部分

◆対談者

加賀候の巨大城郭、金沢城の

ビイスタ構造を解説される事

など長谷川先生は特殊な能力

解析力を持つ希代の研究家!

こんな事だれも解らない事!

◆米原町民

米原学びあいステーシヨンに

突然講師として急に採用され

我々昔から長谷川さんの登場

に期待した人々は心から喜ぶ

長谷川城郭学と言うものをば

学べる千載一遇チヤンス機会

が来た事を見逃したくない!

 

 

◆対談者

城郭ビイスタ論動画は城研究

の人が見るべき必須動画です。

◆一般様

 長崎県 南島原市 南有馬町

に所在する原城遺跡に城郭ビイ

スタ工法が存在する事が衝撃!

▼原城ビイスタ工法 長谷川掛腺

▼原城ビイスタ工法 扇型ビイスタ

▼原城ビイスタ工法 扇型ビイスタ

以下ウイッキペデイアより引用

15世紀末期に文禄・慶長の役で朝鮮半島の倭城や

肥前名護屋城の知識を得た有馬晴信によって居城

として整備された。この時の改修工事によって瓦

葺きの屋根を持った織豊系城郭として生まれ変わり、

本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などが築か

れた。

◆質問者

島原城には城郭ビイスタ論が

適応されますか?是非教示を

 

◆反論者

絶対に100%ありえない事だ

何故なら島原城は四角い城!

絶対に扇型のビイスタなど

は駆使していない専門家の

私が保証する絶対にないぞ!

 

◆対談者

もう昭和平成の古い城郭の

研究論は世間で通は用しな

いのよ令和の城郭新論たる

『城郭ビイスタ』論が登場

 

◆長谷川

城を見るとは非常に内省的

な精神世界が要とされます

反省や考え直しこそが基本

です島原城は本丸二の丸も

ビイスタ工法で作られます。

学問や理論は反省や考え直

しから再スタート肝要です

◆みんな

スゲエ!ピタリと適合する

長谷川先生のビイスタ理論

汎用性と普遍性に驚きます

◆長谷川

▼天守台も含めたビイスタ工法

◆長谷川

様々な方向からの見栄考慮

したビイスタ工法で作られ

ております。

◆みんな

スゴイよ!城郭ビイスタ理論

汎用性、普遍性、何れも兼ね

備えた新しい城郭分析理論だ

 

◆質問者

長崎県平戸城に城郭ビイスタ工法

は施工されたのでしょうか?

◆長谷川

古図から中央ビイスタや扇型

のビイスタが論が読み取れる

 

◆長谷川

更に検討を加えます。非常に

美しい ビイスタ工法が存在

◆長谷川

更に検討を加えます。非常に

多彩なビイスタ工法が存在し

重複型ビイスタ工法も存在。

 

 

◆一般者

いやこんな城の分析手法が

存在する事を初めて知った

さて全く話題を変えますが

平戸城は山鹿流の軍学だと

言われてますが?土佐高知

城も百々三河守なる縄張の

名手の築城とされますが?

 

◆長谷川

やはり名城土佐高知城の

本丸にもビイスタ工法を

用いて縄張されています。

石垣部の全体もビイスタ工法です

 

◆みんな

すごいよ全く新しい高知城

本丸の解説手法だ。築城は

この様な幾何学を用いると

今回初めて知って驚きです

長谷川先生と安土城見学へ

出かけた時も安土城天主台

はこんなふうに縄張設計を

されてますと素朴な表情で

解説されて「みんな」全く

信じられなかった!でも今

頃になって長谷川先生解説

が如何に深いのか解った!

ドースンと今頃その重さが

解って来た!こんな解説最初

は夢物語や幻想小説と鼻先で

笑ってた!でも冗談じやない

長谷川先生は重い現実論者

 

 

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 彦根城 犬山城 奇跡のビイスタ論解説

2022-12-07 13:49:52 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、
◆質問者
城郭ビイスタ論の視聴者数が
3200人を超えて大変な事に!
 
▼コンパスの原形
 
◆一般者
長谷川先生独自の城郭ビイスタ
動画一体何がスゴイのか?簡単
に説明すると、日本の城郭とは
分度器によって設計されている
事が長谷川先生の研究で解明さ
れた。この理論は戦前戦後通し
最大最高の研究理論と言される。
 
◆長谷川
小里城と言う城の天守とは赤
と青の線で設計された城です。
 
 
 
◆一般様
うわあっ!破格の解説力に驚愕!
こんな事だれも教えてくれない!
 
◆長谷川
これを重複型ビイスタ工法
と私は分類考察しています。
 
◆長谷川
勿論彦根城天守もこの
重複型ビイスタ工法を
採用した天守閣です。
◆一般者
ミラクル!奇跡の解説だ!
こんな解説初めて聞いた!
すごい学者さんですよね!
これだけ解説力なら犬山城
の天守台のビイスタも解説
して下さい!
 
◆長谷川
凡そこの様に計画された天守台
規矩術ビイスタ工法で普請した。
 
◆長谷川
犬山城天守石蔵もビイスタ
の理論で設計されています。
 
 
◆対談者
それ当然の事よ!令和の新城
郭理論城郭ビイスタ大論です!
 
◆滋賀県民様
やっぱりそうか!滋賀県には
長谷川さん言う城の真髄を深
く極めた本物の伝説の城郭研
究家が隠れてと昔から評判!
 
 
◆観光様
彦根城の表御殿や天秤櫓の石垣
そして表御殿が見えてきた瞬間
に観光客はその無意識に美しい
日本の城郭構造に何故?魅せら
れるのでしょうか?御教示を!
 
◆長谷川
貴方を無意識化で魅了するだけ
の光背効果ビイスタ視点が用意
周到に縄張されているから人間
とは魅了される。どこから見て
完璧な均整と要害としての美し
さを演出する設計こそビイスタ!
 
 
 
 
T
◆長谷川
観光客様がもう彦根城写真を
バチバチ無意識撮影されてる
場所は実はビイスタ工法が施
されているから人間は写真を
無意識下に撮影してる訳です
見栄えよく縄張されてる訳。
 
◆みんな
スゲエ!彦根城表御殿トリプル
ビイスタだビイスタ論は本物!
 
◆質問者
彦根城天守閣建築自体ビイス
工法は潜在していますか?
 
◆長谷川
工職は工匠としてアーテイス
テックな芸実性を要求されます
彦根城は、井伊年譜譜によると
大津城天守部材を組み直し調え
直したとあり、見栄えを重視し
た工法を「はえ」と言います。
彦根城天守には万人を納得させ
る巧妙な楼閣建築の伝統技巧の
唐破風、千鳥破風、鯱、火頭窓
を美しいビイスタの法則を応用
して見事な設計をしております。
 
 
◆一般様
すごいね!ビイスタ論は楼閣
にも使われてる日本文化論だ!
 
 
◆水戸市民様
それにしても驚きましたね!
我等の水戸城の扇型ビイスタ
◆長谷川
チョツト待って下さい。厳密に
言うと重複型ビイスタ工法です
◆一般様
専門家の言う事ってスゴイのね。
 
◆長谷川
徳川家康期江戸城本丸も重複型
のビイスタ工法を使っています。
◆長谷川
江戸城主要部のビイスタも存在。
◆彦根市民様
やはり彦根33万石こんな巨大な
ビイスタの存在徳川筆頭井伊家
の面目に相応しい大ビイスタだ!
◆長谷川
北の玄宮園の形、南の大手橋の
形状からビイスタが解ります。
 
◆長谷川
彦根城相対型ビイスタ工法です。
安土城でも大中小のビイスタを
用い城郭を測量縄張しています。
 
 
 
◆長谷川
彦根城天守は東西11間南北7間
南北から天守を見ると見栄する
構造ですビイスタも南北に存在
 
 
◆反論者
ほう~偉そうに言う!生意気な奴め
城郭ビイスタ論など絶対認めんぞ!
 
 
◆質問者
彦根城で最も早く完成した鐘之丸
独自の城郭ビイスタ存在します?
 
◆長谷川
黄〇横矢、緑〇がシノギ、青〇角
見事な卓抜した死角の無い縄張!
水堀、腰巻石垣、鉢巻石垣、空堀
上下段石垣と見事な5重構造です。
 
◆質問者
本丸の石垣形状や太鼓丸、堀切の
縄張のビイスタは存在しますか?
 
 
◆長谷川
本丸の形状と堀切位置を決定する
放射型ビイスタは定石の如く存在
 
 
◆みんな
スゴイよ!やはり彦根城の本丸も
ビイスタ工法で設計されている!
 
◆質問者
西の丸 観音台 本丸 井戸郭 
太鼓丸のビイスタ工法は存在?
 
 
 
◆長谷川
Aで西の丸虎口、堀切、観音台
三重櫓を縄張しています。Cは
彦根城主郭部北側の統括的測量
起点の可能性があります。Bは
本丸北石垣のビイスタ工法です。
 
◆反論者
いい加減にしてくれ城郭幾何学
なんと日本の城に存在しない!
 
◆質問者
長谷川先生何故?先生の投稿に
は城郭幾何学が頻繁に登場する
のに日本の著名な城郭の諸先生
は全く城郭ビイスタ論を言及さ
れていません。このカラクリを
是非とも解説してくださいませ。
 
◆長谷川
大変素晴らしく重要な質問です。
め実は幕末まで日本の城郭には
幾何学が存在していたのです。
現代では「幾何学」と言う言葉
で表現しますが元来中国日本で
規矩と表現します。幕末の長州
の学者、吉田松陰は佐久間象山
に送った手紙の中でつぎの如く
日本国の幾何学衰退を述べてる
◆質問者
長谷川先生の城の先生はどなた?
 
◆長谷川
私の城の先生は現地の城跡が先生
私現地の城→長谷川と直接学ぶ人
しかし現代の多くの研究家達とは
A先生→B先生→C先生と学んでる
A先生城郭幾何学知ずらんば弟子
のB先生、C先生、全て城郭幾何学
を全て知られずついでに世間皆様
一億全員が城郭幾何学を知らない
 
★一億全員城の幾何学を幕末以来
初めて知って慌てて城郭ビイスタ
論動画一斉に見だしたと言う事か!
 
 
 
◆初心者様
あのう~私全くお城の事を知らな
初心者なんですが彦根の表門の
枡形という場所が正方形でない?
 
 
◆長谷川
貴方は初心者にして城郭センスが
100点の合格です!ニユートンは
🍎りんごが木から落ちるの見て
万有引力の法則を発見した事と
同等の気付き力を貴方は持っ人で
これに気付けば城郭ビイスタ合格!
 
 
◆反論者
私は絶対城郭ビイスタ論拒否する!
 
◆対談者
貴方が拒否しても既に3200人良識
ある全国の賢者が動画をみた現実
 
◆長谷川
織田信長の安土城はビイスタ工法
 
 
 
 
 
◆長谷川
太閤秀吉の肥前名護屋城
もビイスタ工法
◆長谷川
木下藤吉郎の虎御前山城もビイスタ工法
 
 
◆黒船来航
 
黒船来航(くろふねらいこう)とは、
嘉永6年(1853年)に、代将マシュー
・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍
東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船
4隻が、日本に来航した事件。艦隊は
江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀
市浦賀)沖に停泊し、一部は測量と称
して江戸湾奥深くまで侵入した。結果、
幕府はペリー一行の久里浜への上陸を
認め、そこでアメリカ合衆国大統領国
書が幕府に渡され、翌年の日米和親条
約締結に至った。日本ではおもに、こ
の事件から明治維新までを「幕末」と
呼んでいる。
 
▼当時の久里浜の様子。
◆対談者「匿名」
さて私は、固い固い、凝り固まった固定観念
の歴史観察よりも、歴史を柔軟に観察する柔
らかな発想が大切と思っています。図書館に
も教科書にも載ってない日本の城ビイスタ論
の伝統的な定理が存在するのではないかと!
 
◆長谷川
上図はアメリカのペリー提督が神奈川の浦賀に来航
した時の様子です。日本側は青い陣幕を鶴翼の陣形
に配置して旗指物や槍を備えた陣形を徳川幕府側が
用意しています。鶴翼の陣の中央の陣屋にペリーを
上陸させて日本国徳川幕府側の威厳や威勢光背効果
をペリーに示さんと必死に会見の場所に陣幕を張っ
ていると思われます。長崎の平戸の出島もビイスタ
工法で作られている事はその扇型の形状からも明白
ですが日本国の徳川方もアメリカ国のペリーと対等
に条約を締結する為には会見場所をより壮大に見栄
を張った構造にすべきだと徳川幕府は考えた事でし
ょう?徳川はビスタ工法を用いて会見場所を必死に
工夫したと私は柔軟に思考し発想しておりますが、、
 
▼浦賀、久里浜のビスタの存在!?を模索する!
▼江戸幕公認のオランダ人が出入
出来た出島ビイスタ工法「扇型」
 
 
◆①浦賀ペリー来航時の通訳について
最初の接触では、近藤良次、佐々倉桐太郎、
中島三郎助の3名が黒船に漕ぎ着けて交渉
したが、もとより英語は話せないので、身
振り手振りで帰れと言ったらしい。黒船の
方には、ポートマンという片言の日本語を
喋れる通訳が乗っていた。 2回目の接触で
は、香山栄左衛門、堀達之助、立石得十郎
の3名が接触したが、後の2名は通詞であ
った。たまたま江戸にいた長崎通詞であろ
うと思われる。オランダ語が中心ではある
が、幕末には西洋語を解す者は、かなりい
たはずである。和本の西洋語辞書なども見
かける。
◆①は下中弥三郎「維新を語る」を参考に
した。
 
◆長谷川
あなた柔軟な頭脳の持ち主ですね?世の中
は誰も教えてくれない定理や理論は存在し
ます。貴方も浦賀にビスタ理論が存在する
事を模索された事は、丸暗記歴史観から脱
却して気付き、研究歴史つまり「考える事」
をされたと言う事になり、正解か?間違いか
は別問題としとて時に歴史の大舞台を巨視的
に柔軟に展望する貴方の歴史観には私は敬服
を致します。そう!!彦根の玄宮園にさえも
ビイスタ工法「見放ち腺」が存在致します。
▼彦根城玄宮園 臨池閣 鳳翔台
臨池閣と鳳翔台 模型彦根城開国切記念館内
臨池閣と鳳翔台 模型彦根城開国切記念館内
臨池閣と鳳翔台 模型彦根城開国切記念館内
百閒橋より彦根城を見る様に計算されている。
 
ビイスタ工法が見られるのですから浦賀にも
あったと考えた訳ですね!?貴方は全く明治
維新的と言うか!歴史思考維新の方ですかね?
 
▼高山右近「重友」岩崎山城ビスタ論長谷川博美
高山右近は都市計画や城郭構造に造詣が深く
国際派の人物、加賀100万石の太守前田利家も
彼の持っていた都市計画の技量を求めたハズ、
▼江戸時代の城郭測量法 放射状に角度測量していた。
▲彦根駅方面から見た彦根城天守閣は小規模に見える。
◆旅行者
彦根駅に降りて彦根城天守を見ると非常に
小さい矢倉「櫓」にしか見えなくて落胆!
 
◆長谷川
貴方は観光城郭探訪のプロフエッショナル
でしょう?彦根城天守の見所が何処にある
か位は絶対に知っておられると、私は思う。
 
 
◆みんな
長谷川先生と彦根城 中堀めぐりして行ったら
彦根城天守がバッチリ立派に見えましたわよ!
 
◆旅行者
何でこんな立派な彦根城天守に見えるのです?
 
◆みんな
はっはあ~あなた日本じゅうの城めぐりして
るけど城の本当の見方知らないでしょうね?
 
◆旅行者
なんか立派に見える秘訣秘密がありますか?
 
 
 
◆長谷川
どなたでも知っておられる常識な事ですけと゛
彦根城天守は南北に7間東西11間で作られて
います。当然の事なのですが東西から天守
を見た場合7間の小さな櫓にしか見えません。
しかし南北から見れば、どっしり重厚な堂々
 
 
たる天守閣なのです。大工用語で建物を建てた
時の見栄えを「栄」とかいて「ハエ」と言
います。英語に直すとビューとか西欧では
展望を「栄」ハエをビイスタとも表現して
います。つまり彦根城天守は天守の南北か
見て栄える「はえる」天守閣なんです。是
を専門用語で建物の「南北栄」と言います。
今でも大手門は京橋方面に向けて作られた
痕跡があります。これ本来の彦根城の大手
なのです、大坂豊臣氏に向けて作られた城。
 
◆旅行者
知らなかったわ!今度彦根城に行ったら天守閣
を南北から見る事にしますわ!ひとつ勉強した!
 
◆みんな
それそれそれなのよ。私達が長谷川先生と城に
行くのは固定化した概念を解きほぐす為ですよ。
 
◆質問者
湖北のものです!いつも湖周道路から彦根に
向かうと、えらく彦根城全体が立派に見える
旧松原内湖方面からも抜群の眺望なのですが?
 
 
 
◆長谷川
彦根、松原、について箇条書きに致します。
 
①織田信長の琵琶湖大船は松原で建造された。
②松原内湖にはかっはて百閒橋も存在した。
③松原内湖は昭和の時代まで彦根の北に存在。
④井伊家の浜御殿「松原屋敷」が構えられた。
⑤松原にはかって主水町と言う町が存在した。
⑥水の神様大洞弁財天は現在も存在する。
⑦松原内湖ま船着き場石が崎の石垣は今も残る
⑧松原に彦根藩の目付家老木俣土佐屋敷が存在
⑨彦根城は金亀城の別名がありかって天守閣内
に巨大な亀の木造か存在し現在その亀は竹生嶋
に存在する。亀は水の祭祀の神仙思想の象徴。
⑩彦根藩木俣土佐守は明智光秀の小納戸役時代
が存在した。
⑪芹川は本来松原内湖に向かって流れていた。
 
以上を勘案すると彦根城は彦根山を根本とする
山城なのですが亀に象徴される水城でもある事
彦根城の北の水塁たる松原内湖を強く意識した
水城でもあるのです。従って松原方面から彦根
城はビイスタ工法を用いて築城された可能性が
あるのです。
 
▲放射線概略解説
1●隅石垣
2●横矢石垣
3●隅石垣32●隅石垣35石垣内折22●隅櫓石垣
4●隅石垣●欠番隅石垣
5●隅石垣12●井戸郭登り口石段
6●隅石垣●欠番内堀舟入
27●山崎郭横矢28●隅石垣
29●山崎郭横矢
30●山崎郭石垣隅31●山崎郭三重櫓石垣
13●井戸郭石段
14●本丸西の丸区画門
15●天守石垣
16●太鼓櫓口桝形
17月見櫓18●表門橋掛かり
19●中堀
20●京橋口門欠番●表御殿橋掛かり
21●石垣内折36●表御殿門口橋掛かり
23●横矢石垣34●佐和口門土橋橋掛かり33●隅石垣
24●隅櫓隅石垣
25●門口跡
26●横矢
◆長谷川
さあここで坂本城を本拠地とする明智光秀の小納戸
役として勤務していた木俣土佐守は明智家を退職し
元の徳川家康側に復帰します。明智の坂本城も琵琶湖
を玄関「ウオターフロント」として『天王寺屋記』に
坂本城に「浜の座敷」が記されています。坂本城も
彦根城も琵琶湖を水の表玄関として意識していた事と
思います。彦根城天守も『井伊家譜』には琵琶湖の
水城大津城の天守の部材を組み直して彦根城天守が
作られた事が書かれています。大津城の原型は坂本
城から移されたと言う事も覚えておきましょう。
 
◆反論者
現在彦根松原に行っても松原内湖などありません!
それは長谷川さんの勝手な推理推測にすぎません!
長谷川さんは嘘つきなんですよ!
 
◆対談者
さあ~嘘つきは一体だれでしょう?この写真は?
 
 
▼規矩術に常用される曲尺「長谷川の尺」
▼中国の幾何学書
『易経』繋辞下伝には、伏羲は天地の理(ことわり)を
理解して八卦を画き、結縄の政に代えて書契(文字)を
つくり、蜘蛛の巣に倣って網(鳥網・魚網)を発明し、
また魚釣りを教えたとされる[2]。書契や八卦を定めた
ことは、黄帝の史官蒼頡によって漢字の母体が開発さ
れたとされる伝説以前の文字に関する重要な発明とさ
れる
古くから中国東洋の規矩を物語る銅鏡
規=L型のサシガネ
矩=コンパスの意味
 
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城下町津山の設計 津山城のビイスタ工法

2022-12-07 09:26:55 | 山陽山陰の城 ビイスタ工法

◆質問者

江戸時代の津山の城下町

街割りは設計測量されてい

るのでしょうか?御教示を!

 

◆長谷川

この投稿は津山市益々発展

を心より祈念する私的なる投

稿内容です宜しく御理解をば

お願いを慎み申し上げます。

文化都市津山市は江戸時代

より津山城も城下町も含めて

洗練されたビイスタ工法を用い

て町割り「都市計画」された町

だったと言う事でビイスタ工法

が読み取れる城下町作りです。

◆質問者

突然ビイスタ工法と言われて

も全く私には解らないのです。

▼江戸の城郭測量法指南書

▼長谷川 城郭ビイスタ工法一覧表

◆長谷川

日本の城、江戸時代の城

は扇型に放射腺測量して

城郭の平面形状つまりは

縄張を決定してました。

 

◆質問者

ウワサによると備中松山

城にもビイスタ工法あり

と聞いていますが如何?

◆長谷川

流石情報早いですね!?備中

松山城も扇型ビイスタ工法!

◆質問者

なんかワクワクして来ました

私たちの津山城も全国屈指の

ビイスタ工法が我が町の津山

城にもなくては困りますよ!

◆長谷川

津山城の本体にもビイスタ

工法で作られてます津山城

も全国区で有名な城址です

から南から北に向けてこの

工法で測量されています。

◆質問者

やはり私の町の津山城も

一流の城郭ですから当然

ビイスタ工法で築城され

ているんですよね最高!

◆長谷川

この城の縄張が一流のビイスタ

工法で繊細に築城されている城

津山城は全国に誇れる名城です。

 

◆質問者

少し専門的な質問になります

が津山城の天守曲輪と二の丸

の縄張は如何様なビイスタの

設計が用いられていますか?

 

◆長谷川

鋭い質問をされますね?津山

城とは抜かりのない完璧な城

です。天守曲輪のビイスタも

この様に微細入念に設計され

ていますよ。

◆みんな

すげえ!まるで機械設計だよ!

 

◆長谷川

そうですね城はアバウトには

作られていない機械なのです。

 

◆質問者

この城を本格的に石垣築城を

したのが森蘭丸の末弟に相当

する森忠政が築城した城です。

以下ウイッキペデイアより引用

  • 1603年慶長8年)森忠政が18万6千石で
  • 入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる
  • 津山城の築城に着手。また、城
  • 地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。
  • 1616年元和2年)13年の歳月をかけ完成。
  • 天守、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち
  • 並ぶ近世城郭となった。

◆質問者

森忠政の兄や父の美濃金山城には

ビイスタ工法が存在したのですか?

◆長谷川

美濃金山城本丸にもビイスタ工法

を使って石垣を築成しております。

◆長谷川

また蘭丸や忠正政の父親に

相当する森可成も近江宇佐

山城では元亀元年にビイス

タ工法用いて築城していま

すこれは滋賀県大津市宇佐

八幡神社の裏山に存在する。

永禄13年(元亀元年、1570年)3月20日の多聞院日記

内々三井寺、大津、松本可有見物之通ナルニ、

今度今道北、ワラ坂南、此二道ヲトメテ、信長

ノ内、森ノ山左衛門城用害、此フモト二新路

ヲコシラヘ、是ヘ上下ヲトヲス、余ノ道ハ

堅トヾムル故、三井寺へ通ル物ハ道ニテ剥取ト

申間、乍思不参見、渡了、残多者也、新路ノ

大ナル坂ヲ超ヘテ、山中ト云所ヲ通リ、白川

ヘ出、東山ノ辺ヲ通ル

この城の文献上の初見は

 

◆質問者

こんな衝撃的な歴史城郭

解説の投稿を私は読んだ

事がなく仰天しています。

何という切り口の論説な

のかと?本当に驚きます

コメント
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