◆一般者
長谷川先生の城郭ビイスタ動画
再生数が5144と視聴数が上昇を
してます。この異変の原因は?
◆対談者
昭和、平成の城郭研究家が解明
出来なかった城郭測量理論です。
令和に登場した令和の城郭新論!
長谷川先生!ブログの視聴数は
増えましたか?
◆長谷川
いいえ!私のブログ読者は皆無
に近いのです。20人有れば多い!
◆反論者
ふふふふ、そりやそうだろうよ!
長谷川は人気ゼロ著書ゼロだぞ!
講演会開いても誰も来てないぞ!
◆対談者
しかし城郭ビイスタ動画の反応は
日本中で大評判と言う事で驚愕!
◆質問者
宮崎県西都市にある都於郡城
とのこおり城はウイッキを見
と南九州型城郭の筆頭ですが
この城には城郭ビイスタ存在
しますか?東洋第一の城縄張
研究家、城郭ビイスタで高名
な長谷川先生に是非御指南を
賜りたいと存じ上げます!
◆反論者
見るな!見るな!城郭ビイスタ
動画は絶対みるべき動画でない!
んな理論絶対に無いワシが保証!
◆一般者
このオジサさんいつもブログに
登場して反論して毎回論破され
ても反論一辺倒なのです。
◆反論者
ワシを侮るな!ワシ図書館の城
に関する城郭本すべて読んだが
そんな珍説一切登場してないぞ!
◆長谷川
今回は決論から言います。先ず
南九州型の城郭の特徴とは各城
がアパートメントの様に独立し
て求心性つまり城の中心軸へそ
が認められないと解釈されてる
のですが全体を統べる測量痕跡
は読み取れる。つまりビイスタ
工法で縄張していると思います。
◆一般者
この図面を見ても城郭ビイスタ
は読み取れません不可能です!
◆一般者
でも長谷川先生なら並みの
研究家とは訳が違う切り口
が全く違う鋭さがあります。
◆長谷川
城って本当に深いものがあり
ます。『日向記』によれば、
「夫より都於郡を経営せん
とて弥(いよいよ)家風を
定む。大形の指図様体究って、
先普請に可入。具足或(あるいは
)鍛冶番匠を召集め夜を日に
続て急ぎけり。弥精力を励まし
吉日を撰て御移住なり。其外、
先規の如く馳集(つどい)て
門前に市をなす。近習、外様、
馬廻以下の屋敷割有しかばさしも
に広き山上山下も更になかりけり」
と伊藤氏時代の築城を伝承してま
す。東からのクサビ型ビイスタは
見事な測量術や縄張と言えます。
◆一般者
スゴイ事ですね!こんな事
解るなんて信じられない事!
長谷川さん著書も講師仕事
も持っておられますよね?
◆長谷川
著書=ゼロ
人気=ゼロ
仕事=ゼロ
の3ゼロ!
◆一般者
まだ他の場所にもビイスタの
集束点は存在致しますか?
◆長谷川
この様に驚くべき測量技術
を用いて台地を刻んで築城
をしています。これが城郭
ビイスタ論と言えます。
◆長谷川
見事な測量点は各所に
読み取れ非常に高度な
城が都於郡城
(とのこおりじょう)
だと言う事が解ります。
◆長谷川
様々な場所にビイスタ工法
を駆使した様子が読取れる。
◆一般者
なるほど昭和、平成と城郭
研究は進捗 致しましたが
このビイスタ工法理論こそ
新しい時代『令和城郭理論』
と言う事が解って参りました
動画再生数が5139と多い事
もブログから納得できます!
◆九州の者
九州の者です。織田信長の
安土城や秀吉の砦や城など
にもビイスタ工法とは存在
するのですか?
◆長谷川
安土城はビイスタ工法です。
◆長谷川
藤吉郎の虎御前山城ビイスタ
工法です。
◆長谷川
太閤秀吉の肥前名護屋城
もビイスタ工法で築城!
以下ウイッキペデイアよ引用
都於郡城(とのこおりじょう)は現在の
て築城された。伊東四十八城の一つ。
別名、浮船城。また、都於郡城本丸は
「高屋山上陵」(たかやのやまのえの
みささぎ、穂穂出見命(ホホデミノ
ミコト・山幸彦)の陵墓)宮内庁伝承地
でもある。
歴史[編集]
三百町を賜って日向国に下向した伊東
本宗家の伊東祐持による築城と言われ
ている。後にこの都於郡城を本拠として、
勢力を拡大することになる。祐持の子・
伊東祐重の代に大修築が加えられた。
『日向記』によれば、「夫より都於郡を
経営せんとて弥(いよいよ)家風を定む。
大形の指図様体究って、先普請に可入。
具足或(あるいは)鍛冶番匠を召集め夜を
日に続て急ぎけり。弥精力を励まし吉日
を撰て御移住なり。其外、先規の如く馳集(
つどい)て門前に市をなす。近習、外様、
馬廻以下の屋敷割有しかばさしもに広き
山上山下も更になかりけり」とある。
城は戦乱や失火によって4度も火災に見舞
の大火では、城中からの失火によって城外まで
延焼し、建物器物の大半を焼失したこともあった。
伊東氏は後に日向国の大半を領して、伊東四十八城
と呼ばれる48の城を持ったが、都於郡城は佐土原城
とともにその本城として繁栄する。 天正5年
に衰退すると都於郡城には島津義久が入城し、
完敗し日向国から放逐され、都於郡城は戦後に城主
不在となり、事実上の廃城となった。