◆対談者
歴史城郭研究家長谷川博美
先生は全く無名の素朴先生。
◆長谷川
全くその通りなのです。
講師としての人気ゼロ
ブロクも全く人気ゼロ
著書も肩書もないゼロ
◆対談者
しかし長谷川先生には
驚くべき研究特徴ある
希代の城郭研究家です
特に城郭ビイスタ動画
の評判は本格城郭愛好
家様や学芸員様そして
学識経験者様から特に
注目されている令和の
城郭学問とさえ言われ
ている素晴らしい研究
◆対談者
宮城県柴田郡川崎町に所在す
る前川本城跡(中ノ内城)
まえかわもとしろ前川字本城
と安倍宗任詩歌が胸に染みます。
◆みんな
すげえ!縄張技巧とビイスタ
理論との整合性が驚異的です!
◆一般者
こんな未曾有の学問体系ある
のか?この理論凄過ぎますよ
前川本城跡さすがの城郭遺跡!
◆対談者
長谷川先生なら目の覚める様
な驚くべき解説をされますよ!
これこそ令和城郭ビイスタ論
◆長谷川
お世辞はそれぐらいにして
下さい。私のブログなどは
全く読者が現実には無い!
これはWビイスタ工です!
トリプルのビイスタとも!
◆長谷川
中央ビイスタ工法も読み取れる
◆城歴史より引用紹介
・戦国末期1575年(天正3年)ごろ、砂金(いさご)氏
8代常久が築城。11代常房が川崎城に移転(1609年)する
まで居住。(38年間)
・笹谷街道と羽前街道に接し、交通の要所であり、
山形最上氏、米沢上杉氏と隣接しており伊達氏に
とって重要な防衛拠点であった。
≪ 特 徴 ≫
・中世連郭式山城、東西南北ともに200m、本丸、
二の丸と大規模な土塁と空堀で馬出曲輪を構え、
そこに内枡形を二つ重ねてつけた異様なほど
技巧的な虎口をもつ。
・砂金氏(1500石程)の動員人数に対して曲輪が
広すぎるため、関ケ原の頃に上杉対策に増援を考え、
外曲輪(作りが戦国時代・伊達政宗時代では)を
増設したのではと考えられる。※3000人位が籠れる
二の丸
・連郭枡形周辺に石積み(野面積みの石垣)が残っ
ている。かなり本格的な山城で、現在でも破壊されず
遺構がしっかり残っている。特に三重に連なる壮大な
土塁と技巧的な虎口は「土の芸術」である。