徳川家康とコンパスの深い深いお話
▼伝 徳川家康 南蛮胴具足
◆長谷川
徳川家康とは質素倹約の
三河武士の後世作られた
印象がありますが本能寺
の変の折、家康は信長に
進められ南蛮文化の集積
した国際貿易港堺を見物
しており以外に海外文物
に興味深き人物と思える
また英人のウイリアム、
アダムスこと三浦按針
と命名し家臣にするな
ど海外に目を向けた政
治家の側面がありまた
按針とは航海用のコン
パスの意味があります。
▼徳川家康遺品の眼鏡
◆質問者
徳川家康が使った製図用具
コンパスが久能山東照宮の
博物館に収蔵されてるとは
聞きましたが 家康って?
製図オタクだったですか?
◆九州人
文禄慶長役の徳川家康陣
では肥前名護屋に自分自身
の徳川陣をこの様に設計を
している事を知り長谷川氏
の分析力に驚愕しました。
◆高橋様
小田原の者です。徳川家康
の今井陣の長谷川先生解説
に大変感銘衝撃を受ました
徳川家康ってこんなふうに
城郭を縄張設計デザインす
ると?信じられない文化的
ショツクを長谷川先生から
受けました。▼徳川今井陣
◆長谷川
家康の浜松城はこの様に
幾何学測量により成立を
したる名城と言える城郭
▼浜松城本丸天守曲輪の幾何学
クサビ型ビイスタ
▼浜松城本丸天守曲輪の幾何学
重複型ビイスタ
▼浜松城本丸天守曲輪の幾何学
中央ビイスタ型
◆学識経験有識者
長谷川先生の見解は素晴
らしい特に頭脳柔軟にし
て融通無碍なる学識には
驚愕せざるをえません!
◆東海様
徳川家康の三河鳥羽山城は
家康が築城させた城この城
にはコンパスや測量を伴う
城郭ビイスタが読み取れま
すか?誤解を招く言葉かも
しれませんが忌憚なく言え
ば真に日本国城郭縄張研究
分析出来る正真正銘本格派
城郭研究家は長谷川先生が
唯一と投稿ブログを拝読し
見て鳥肌を立つ思い衝撃を
受けてます。三河鳥羽山城
の石垣作りの虎口など東洋
随一と評判の御貴殿ならば
たちまち稲妻の如き閃光を
放ち比類なき解説される!
◆長谷川
私は東洋随一の城郭研究でな
く日本第一の無名の人気無き
見捨てられた野に臥す研究家
です人は私を無冠の兵法家と
も揶揄し誹謗嘲笑する人多い
◆東海様
何を卑下されるものですか?
御貴殿なら中国の孫武、呉起
また諸葛亮か司馬懿の如き人
だ。世が世ならば高名ある人
◆みんな
金田一耕助先生いや長谷川
先生!三河鳥羽山城の石垣
虎口の位置がどの様に計測
され縄張されたのか御教示
を賜れば東海様納得ですよ!
◆長谷川
搦手口
本丸通用門
大手道の縄張は赤線の
放射状ビイスタ理論で
三カ所が解明可能です!
▼三河鳥羽山城 石垣虎口 ビイスタ
◆みんな
スゴイ!こんなの神解説だ!
僕は図見ても全く解んない!
なんでこんな事が解るのか?
◆反論者
笑止!大手門、石垣門の縄張
どうした?オマエラ放射幾何
学など未熟粗末の素人同然!
◆長谷川
かくのごとき神妙の放射縄張
にて根発子コンパス使いたる
三河徳川の縄張恐ろしき技!
築山の庭園遺構あるは当城
守護地頭クラスの城にして
二俣城の表の儀礼会所的な
格式で城見栄えを考慮した
は事下図ビイスタ工法でも
明白明白ですつまり大手!
◆みんな
出たあ!長谷川先生伝説の
縄張論「扇型ビイスタ工法」!
すげえ!すげえ!全くすげえ!
これが令和の城郭研究革命!
◆長谷川
織田信長の安土城も
扇型のビイスタです。
◆長谷川
千葉我孫市の根戸城もビイスタ
◆超マニアック質問者
上田築城は、天正11年4月10日頃、
徳川全体の事業として始められた
とされて天正13年(1585)、上田城
は完成したと言われてます詰りは
真田氏の城ながら徳川の築城した
城でこの城の特徴とは何ですか?
▼上田城 Wビイスタ工法
◆長谷川
Wビイスタ工法でしょう
か?
◆質問者
徳川の本拠となる城郭の
江戸城のビイスタ教示を
願いたい。
◆長谷川
重複型とWビイスタに近い
縄張が観察出来ます。
▼江戸城 本丸
▼江戸城 Wビイスタ形状
◆質問者
徳川家康晩年の隠居城駿府
城にはWビイスタあります?
◆長谷川
A青B赤の縄張腺が読み取れます。
◆反論者
ほう、、、しかし三河徳川
の鳥羽山城には徳川Wビイ
スタなど存在しないだろう。
◆長谷川
三河鳥羽山城にもWビイスタ
と思われる縄張が存在します。
◆長谷川
徳川の本拠となった江戸城
も家康が初期に築いた三河
鳥羽山城も同じ重複型形式
の城郭ビイスタにより築城
されていたと言う事で家康
は製図用具コンパスを好ん
だ可能性があるか思います。
▼江戸城重複ビイスタタ
三河鳥羽山城重複型ビイスタ工法
◆質問者
三河徳川家康の岡崎の城の
本丸如何なる縄張ですか?
◆長谷川
岡崎本丸ビイスタの工法と
見えます。
▼三河岡崎本丸 ビイスタ工
◆質問者
三河鳥羽山城にもビイスタ
工法が存在するのですか?
◆長谷川
日本国はかってアジア諸国
に先んじて文化技術充実し
た文化国家でありましたが
昨今日本国の城の成り立ち
も考へずして城跡へと遠足
専一した徒に日月を重ねる
人が多くなる事真に残念。