◆鳥居本町民様
柳田国男
折口信夫
などの民俗学の流れを
くむ長谷川先生を私は
國學院大學系統の学者
また滋賀民俗学会理事
と言う 系譜の流れの
学者や先生と見てい
ます。鳥居本地区本来
は旧近江国坂田郡所属
の地域でしたが彦根市
へと合併して彦根市民
として現在は生活して
いますが元来は坂田郡
であつたと私は認識し
ています。
◆米原町民様
長谷川先生は米原の城郭
の先生として推薦されて
元は鳥居本は坂田郡なの
で佐和山城古図など見て
鳥居本の事も米原学びあ
いステーシヨンで勉強して
ます。彦根の大洞弁財天
石ケ崎から船便も松原の
内湖健在だった頃中山道
から、かもうさか通り往還
を超えた通路が江戸時代に
存在したとの事で旧佐和山
城も中山道と松原内湖大洞
弁財天の水陸の交通の要衝
を抑える城であった事など
先生は米原学びあいステー
シヨンで解説され楽しく地
理歴史を学んでおります。
百間橋など何故作られたの
か?松原城「館」が何故?
湖岸に作られたたのかも?
『信長公記』で織田琵琶湖水
軍の大船が松原で何故作られ
たのか次々解ってくるのです!
つまり松原は琵琶湖水運から
見て表の空間だったウオター
フロントだった。それに対し
鳥居本は陸路の根幹たる幹線
道路だったと言う事になる。
つまり辻褄が合って来る訳!
◆長谷川
江戸時代の地誌を紐解くと
坂田郡男鬼村として彦根市
の男鬼が登場する箕浦の庄
としてまた彦根松原も坂田
郡彦根の原も坂田郡で検索
しないと登場しない事なの
で現在の行政区域歴史を学
でおられる人々と過去の歴
史地理を学ぶ人には歴史観
の断層が見られる事にあり
ます現在の鳥居本地域なの
に物生山近辺の領主が坂田
兵部と記された地誌を見て
坂田の言葉に違和感を感じ
る方もおられる長浜市上坂
も下坂もこの物生山近辺の
鳥居本小野庄なども地誌の
上では坂田郡と言う事です
◆米原町民様
柳田国男や折口信夫は民俗
学を建学して行った歴史上
の民俗学者です。彼らの論
考は文献史学と異なる歴史
地理を踏まえた交通の要衝
や分岐点には『塞の神』の
考察を行なっています。さ
て鳥居本が水陸の路が交差
する場所ならば悪疫が侵入
する事を遮る民間信仰たる
『塞の神』の発想が鳥居本
に残っていると推測します。
◆長谷川
あなたはよく地歴「歴史地理」
を考察しておられます!貴方
の民俗学的推理は適切である
可能性はゼロはありませんよ。
早速鳥居本へと 塞の神祭る
民間信仰の足跡を捜しに行き
ましょうか!?
◆反論者
道祖神とかは信濃国の民俗
学の世界で塞の神信仰など
近江鳥居本に絶対ないです!
◆田畑氏「滋賀民俗学会会員」
先生!鳥居本に塞神社が見え
て来ましたがな!なんとまあ?
これが歴史地理民俗学ですか?