徳川三代 近江宿城
永原御殿の 解説
米原 講座御案内
日時令和6年3月28日
午前10時~11時30
参加費 500円
◆長谷川
米原学びあいステーシヨン様
木曜歴史城郭講座担当長谷川
です。下記ご案内を謹しみて
申し上げます。東海、近畿、
北陸に住まいする諸賢様に
は交通利便米原駅西口徒歩
約5分の当該事業所様研修室
に於きまして、徳川三代が
使用上洛時宿城の永原御殿
の特集解説講座を担当させ
て頂きます。是非宜しく!
◆質問者
永原御殿に徳川将軍は何回
逗留宿泊をしているのです?
◆長谷川
徳川家康ー6回
徳川秀忠ー4回
徳川家光ー2回
徳川将軍永原逗留は計12回です!
◆質問者
徳川将軍12回も逗留と言う事は
御殿と言うよりもう城ですよね!
◆長谷川
本丸
二之丸
三之丸
を堂々と構えた文字
通り徳川将軍の城に
恥じない天下の名城
と言えましょう!!
一般◆一般者
長谷川先生の講座は最近好評が
続いていると評判しきりですよ!
◆参加者
人気や評判ではないと思う基本よ
長谷川先生は地道な理論目立たな
い堅実理論の上に講座を進められ
おられていると思います。私から
するとオーソドクスな基本理論の
先生だと思います。例えば城郭の
ビイスタ理論など地味ですが卓越
した令和の最新理論だと思います。
◆長谷川
人間の記憶のメカニズムって恐い
のですよ。ネクタイや羽子板とは
正方形ではない訳です。開いてる。
当り前の事を当り前に認識する事。
◆長谷川
悲しいかな人間のサガとは特に
お城愛好家の人は単郭方形城館
の言葉を『正方形』と誤認する
傾向にあるのです。人に四角い
と学びインプツトされたら一生
城の本丸とは正方形だと決め込
んでしまう初期記憶の固定化で
大脳科学的に固定してしまう事
◆長谷川
もしこんな不当辺の本丸の城を
測量しても何千回も測量しても
正方形にならないと悩む人とは
真面目さんの性格と言えますよ。
◆長谷川
それビイスタ工法で設計されてると
考えると気が楽になる柔軟思考こそ
発揮されるんですよ。思考の潤滑油
◆長谷川
永原御殿もそうです。ビイスタ
工法ですね!何しろ正方形城郭
作れる平地ですから何でこんな
形に設計しているのかと?徳川
土木の設計ミスか?いや違うぞ
ビイスタ放射状測量技術だと!
◆対談者
そういう頭のやわらかさ大切!
先生講座が評判を呼んでる訳!
◆反論者
馬鹿な長谷川如き空論などが?
◆参加者
でも長谷川先生と勝竜寺城跡
にいって本丸が四角いと僕が
言ったら貴君は本丸の形状を
素直に素朴に見ましようねと
これはビイスタ工法と飄々と
言われました。この城に100
回行った僕は沼田丸跡の駐車
場に倒れ込むほどショツクを
うけました。城の縄張や設計
はこうなのだと眼からウロコ
令和の新しい城郭学の誕生だ!
◆長谷川
ある時越前一乗谷朝倉義景館
を仲間の人に義景館は正方形
ではなくビイスタ工法と説明
をしたら黙れ馬鹿者4流学者
がと罵倒された楽しい思い出
がありますね。うれしかった。
私は人気のない4流学者ですし。
◆質問者
長谷川先生はその方にどう
反論されたのでしょうか?
◆長谷川
私は反論する反抗的タイプでは
ありませんよ。すみませんです
▼織田信長 安土城ビイスタも
◆長谷川
天正11年羽柴秀吉と柴田勝家
は織田家の政権継承権を巡り
滋賀県余呉の庄で賤ケ岳合戦
を繰り広げます。柴田がもし
秀吉に勝利して覇権を掌握し
ていたら天下の趨勢は変わっ
ていた事でしょう。柴田勝家
は天下を希求した従ぃ自身の
陣城も天下人のビイスタ工法
を駆使して扇型に縄張してる。
◆対談者様
城郭ビイスタを読み取れ
ないようでは本当の日本
の本物の城郭研究家では
ないと私は思いますわ!
例えば明智の坂本城石垣
も見事に長谷川先生解説
どおりにビイスタ理論に
より石垣が出土してます
こんなの当然の事ですよ
▼坂本城 石垣 水色腺
◆対談者
これをもって日東第一の城郭
研究者と長谷川先生を評価を
する人がどんどん増えて来た!
古代新羅王国の王城『月城』を
サラリとビイスタ工法ですねと
飄々と解説されるスゴサに仰天
◆長谷川
山梨の甲府城も扇型の
ビイスタ工法で縄張さ
れています。日本の城
の築城の基礎根幹です。
▼甲府城
▼伊達政宗 重臣片倉小十郎の白石城ビイスタ
◆長谷川
天下人の城としては徳川
家康の江戸城のビイスタ
がその典型だと言えます。
▼江戸城ビイスタ
◆みんな 仲良く たのしく
柔軟に学びましよう 長谷川