城郭 長谷川博美 基本記録

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古代 楯築遺跡のビイスタ工法論

2023-04-23 11:28:55 | 古代日本 ビイスタ工法

◆有識者様

いやはや長谷川先生の

ビイスタ理論の汎用性

普遍性学術性いずれを

とっても日本国の土木

史を解明する幾何学的

な示唆を示す為の法則

として私にとり啓示に

近い衝撃を及ぼしてい

ます。今回では極めて

異様なる弥生時代期に

おける双方中円墳とも

言える極めて異色弥生

墳丘墓を長谷川先生の

独自の幾何学解説用い

て楯筑遺跡墳丘を解剖

願いたいと思います!

 

◆長谷川

先ず円丘墓の中心に

被葬者の主体墓室の

位置決めがされてる。

円丘の左右には意外

に均整の取れた墳丘

両翼に前方部の如き

左右均等「面積異なる」

近い均整の整ったる

墳丘にレイアウトを

施工しています端的

に言うなら古代規矩術

分度器/分廻しの理論

すなわちビイスタの

工法を用いています。

◆有識者様

これはしたり貴殿やはり常の

人に非ずその非凡な幾何学的

分析には驚くばかりですね!

 

◆有識者様

さて質問を致します。被葬者

の墓域つまり「主体1」とは?

どの様に墳丘上にレイアウト

をしていますか貴君が縄張の

大家である事は疑いなき現実

的確に指摘されると思います。

 

◆長谷川

1はこの墳墓の中心線つまり

正中腺です。その中心軸に

被葬者主体墓域を設定して

墳頂部へと至る放射腺状の

ビイスタが交錯する青腺の

✖点こそがこの墳丘の中心

と言う事になります。4の

埋葬土坑もこのビイスタ腺

支配の場所にレイアウトさ

れ形成されています。此れ

中国から伝来した規矩術を

用いた測量技術によるもの

と私は推定します。これら

1、2、3、4の視点配置とは

国家的支配層に位置する被葬

者つまり倭王の葬祭の舞台

考えて良いと思います。まあ

後漢書東夷伝に登場する倭王

帥升と想像するとロマンある

と思いますAD107年後漢

に朝貢した倭国王帥升ですね

みんな

ビイスタ論がすご過ぎる!

長谷川先生はミラクルだ!

 

◆長谷川

ちなみに

鏡塚古墳かがみづかこふん

時期古墳時代前期(4世紀前半)

この石塚古墳もビイスタ工法で

墓室は既に盗掘を受けています。

円墳部は楯築古墳に近く正円で

ありません。

 

狐塚古墳のビイスタ

 

◆有識者様

時代は下り大和の櫛山古墳

のグランドプラニング是非

御教示を願います。

 

◆長谷川

中円双方墳ですが左右の

方部は左右非対称アシメ

に作られております。

また側面から見てタブル

ビイスタ二重測量起点が

存在する様です。

◆長谷川

墳丘自体 濠も含めて非常に

美しいビイスタ工法と言える

ウイッキペデイアより引用

楯築遺跡(たてつきいせき)ないし楯築墳丘墓

(たてつきふんきゅうぼ)は、岡山県倉敷市矢部

にある墳丘墓。形状は双方中円形墳丘墓。国の

史跡に指定され、旋帯文石(弧帯文石)は国の

要文化財に指定されている。

概要[編集]

王墓山丘陵の北側に弥生時代後期(2世紀後半~

3世紀前半)に造営された首長の墳丘墓である。

墳丘の各所から出土した土器片の多くが壺形

土器、特殊器台・特殊壺の破片である。直径

約43メートル、高さ4、5メートルの不整円形

の主丘に北東・南西側にそれぞれ方形の突出部

を持ち、現在確認されている突出部両端の

全長は72メートルで同時期の弥生墳丘墓として

は日本最大級である

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