弥生の山城を考察する。田和山遺跡。
◆対談者
弥生の出雲の山城はあります
か?
◆長谷川
田和山遺跡がそれに該当しま
す。山頂部は狭小ながら建物
は正方形の柱穴でなくビイスタ
放射状に配置しており矩規術を
既に山城の縄張に使用した貴重
な遺跡といえましよう。また
遺構の中に蔀塀や蔀段や千鳥の
技巧と呼ばれる軍学要素がある
事や半島の硯が発見されている
事なども考え併せたい遺構です。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要
1997年から2000年にかけて、松江市立病院の建設に伴っ
て発掘調査された結果、丘陵尾根に掘られた弥生時代
前期末~中期後半の三重の環濠が検出された。弥生時代の
環濠集落は、通常、環濠内部に住居跡などが配置されるが、
田和山遺跡の狭小な環濠内部は建物跡が2棟検出されたのみで、
それ以外の建物跡は環濠の周辺から検出された。そのため、
なぜこれだけ膨大な労働力を投下して環濠を掘削したのか、
環濠内部には何があったのかが謎とされ、遺跡の性格・
位置付けが問題とされた。環濠内からは、つぶて石や石鏃が
出土しており、弥生時代の戦争を物語る山城ではないかという説、
祭祀の拠点であったという説、環濠内部に銅鐸などの青銅祭器
が保管してあったのではといった想像も提唱された。そのほか、
弥生時代の遺跡では極めて珍しく硯の出土も認められている
(他例は福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で知られる)[1]。なお、
この硯には黒い線があり、墨で文字が書かれた可能性があると
学会で発表され、もし本当に文字であれば日本最古の文字が
200~300年さかのぼるとされてきたが、化学組成の分析などを
経て墨ではなく市販の油性ペンと成分が一致し、ラベルなどの
文字が転写した可能性があると結論付けられた[2]。
2001年、国の史跡に指定。現在は、市立病院に隣接する遺跡公園
として整備され、地元のボランティアグループによって活用が
はかられている。2022年(令和4年)3月15日、既指定の史跡
「田和山遺跡」に神後田遺跡が追加指定され、指定名称が
「田和山・神後田遺跡」に変更された[3]。
一望でき、大変眺望が良いロケーションにある。
標高約45メートルの山頂部は、東西10メートル・南北約30メートル
の狭い平坦地がある。この山頂部には9本柱の建物跡と5本柱の
建物跡がある。平坦地の外周には柵の跡とおぼしき柱穴が並ぶ。
これらを囲い込むように丘陵斜面に三重の大きな溝が掘
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