◆城址探訪家
今日は美濃大野町に所在
する織田河内守屋敷跡に
長谷川先生と行く予定。
◆対談者
私城郭遺跡見学したい人。
是非美濃岐阜に行きたい。
◆長谷川
はい織田河内守屋敷跡に
到着致しました。
◆城址探訪家
到着到着これで2000城館
を巡った記録達成です!
◆対談者
長谷川先生?水田に中に
多数見えるひょっこり
ひょうたん島のような
小山は何なのですか?
◆長谷川
美濃国の野古墳群です。
◆脱線様
わたし滋賀東近江市に
ある木村古墳群長谷川
先生解説に大変驚いた
◆脱線様
美濃の野古墳群にも
古墳群ビイスタ存在
するのですか長谷川
先生?
◆反論者
ビイスタ論なんぞ拒否
するその様な法則など
この日本国の歴史には
存在しない。ビイスタ
動画は絶対に見るな!
◆学識経験者考古学者
長谷川先生!一般に古墳群
とはランダムに無規則的に
アバウト配置されたと見る
傾向が巷間の学者の見解で
すが貴殿はどう解釈する?
◆長谷川
このように野古墳群は見事な
放射状ビイスタ配置で古墳群
が配置されています。
◆学識経験者考古学者
これはまた感服します
この様な解説や解釈を
この世界ではしないが
長谷川さん見事に看破
◆長谷川
一方向からの放射状の
測量ビイスタではなく
この様な重複ビイスタ
で測量計測している事
が古墳配置図から読み
取れるのです。
◆長谷川
更に黄色の重複ビイスタ
腺も読み取る事可能です。
◆長谷川
古代人の測量技術は古墳葬送
の呪術や測量にも宗教観や血
統や系譜の序列が存在してた
可能性もあり非常に複雑高度
◆学識経験者考古学者
この様な技術や理論を
貴方1980年代には既に
知っておられた貴方の
城郭図面を神業的とも
言う学者が未だに多い
何処でこれを学ばれた?
◆長谷川
城や古墳から学びました
古墳の葬祭を担当するの
が土師氏と言いその先祖
が野見の宿祢としてます。
以下ウイッキペデイア
『新撰姓氏録』に記載されている。
野見宿祢の「野見」は、『出雲風土記』
飯石(いいし)郡条に「能見」地名の
記載があり、この地の出身とされている[1]。
(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとる
ために出雲国より召喚され、蹴速と互い
に蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、
日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた
土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、
そのために後裔氏族である土師氏は代々
埴輪創出についての考古学的な知見からは、
記紀が語る上述の伝説は史実ではなく、
土師氏による後世の創作とされるが(該当項を参照)
、こうした伝説も土師氏と葬送儀礼との関係から
生まれたものであろうとする説がある[5]。その説に
よると、まずその名前は、葬送儀礼の一環としての
古墳の築営に際して、様々な条件を吟味した上での
適当な地の選定ということが考えられ、「野」の中
から墳丘を築くべき地を「見」定めることから
「野見」という称が考案されたのではないかと