加賀小松城と武蔵菅谷館の測量縄張ビイスタ研究
◆オールド城郭フアン
★①
昭和に連郭式、梯郭式、円郭式
渦郭式などの城郭の分類解説が
★②
平成に虎口パーツ論、導入経路論、
遮断論、連続竪堀理論が登場した。
★③
令和に思わぬ城郭新論が彗星の如
くビイスタ論が登場して話題騒然
◆対談者
城郭ビイスタ論動画の視聴数が
6900回を突破して破竹の勢い!
◆対談者
この動画は絶対見てはならない!
◆長谷川
A
本丸と芦嶋郭のビイスタはA点
を起点に赤線で縄張
B
大手口の縄張はBを起点にして
青腺で縄張をしています。
C
枇杷嶋の縄張はC点を起点にして
緑色のビイスタ縄張をしています。
◆一般様
小松城の図を見た10万人の人
はまさか城郭ビイスタで城郭が
縄張がされていたと解る人など
長谷川先生1人しかいないです。
◆長谷川
困りましたね9万9千9百99人は
私を排除する長谷川キライ人間!
◆田畑氏
その通りです。ビイスタ動画を
何万人もの人が見ても 長谷川先
生と一緒に学ぼうとする人は正
真正銘本物の数歴史城郭フアン
で本物の正統派は10人ほどです!
人間とは、ずる賢い動物ですよ
10万人の仲間のグループに所属
して長谷川先生のコミュニテイ
に所属帰属したくない。しかし
長谷川先生の城郭ビイスタ論は
学術的に優れてる此れ世間では
必ず見たいものです。でも10万
人の社会のグループ派閥に必ず
表面上は従属している擬態姿勢
は看破されたくない。でも純粋
学問とし城郭ビイスタ論知りた
い。従って城郭ビイスタ論動画
6900回突破する人間の欲望に!
これが本音と建前の精神構造!
◆長谷川
織豊城郭の基本を取り合えず
天正4年の織田信長安土城と
致します▼扇型ビイスタです。
◆長谷川
安土城八角平は放射状ビイスタ
測量で設計縄張をされた赤線!
◆長谷川 ▲上図
安土城の八角平の縄張とは放射線
状のビイスタであるとも言えます。
小松城本丸縄張も八角八方の縄張
つまり安土と小松は非常に類似。
◆城フアン
チョツトこの理論ショツクと衝撃!
◆みんな
長谷川先生と初めて安土城天主台
地下蔵石垣を見に行ったとき先生
は天主台中央から縄張されている
と解説されて私達はパニック状態
城を見る目を開眼させたいと思う
ウイッキペデイアより引用
- 天正4年(1576年) - 加賀一向一揆方の若林長門守によって築城された。
- 天正7年(1579年) - 柴田勝家に攻められ落城、村上義明が城主となった。
- 慶長3年(1598年) - 村上義明に替わり、丹羽長重が入城した。
- 慶長5年(1600年) - 関ヶ原の戦いにおいて西軍に組した丹羽長重が除封され、前田利長の所領となり城代が置かれた。城代は利長の義兄の前田長種。
- 元和元年(1615年) - 一国一城令により廃城となる。
- 寛永16年(1639年) - 前田利常の隠居城として再築され、石垣の構築、二の丸三の丸の増築等、大規模な改修が加えられた。
◆長谷川
加賀小松城は織豊城郭エッセンス
を継承した城郭縄張と言えますね
秀吉は晩年前田利家に羽柴筑前の
称号を下賜していますが羽柴家と
前田家は安土城時代仲良く隣合わ
せに邸宅を構え建物配置ビイスタ
工法も駆使していた織豊城館です。
◆一般様
こんなすごい衝撃的歴史城郭ブログ
他に存は在しません!本当にすごい!
◆長谷川
小松城も織豊城郭のビイスタ工法
が取り合えず読み取る事が可能。
▼加賀小松城の扇型ビイスタです。
◆長谷川
城全体の重複ビススタも読み取れる。
◆北陸在住者様の質問
加賀小松城は織豊系城郭とし
の履歴を持つ加賀藩の平城で
前田家は東海尾張出身の武家
です。織豊系ビイスタ加賀の
小松城に存在致しますか?
◆長谷川
城郭の中心部にクサビ型形状
のビイスタ工法を読み取れる。
◆長谷川
更に詳しく分析しますと重複型
ビイスタ工法で縄張されてます。
▲ 原図は加賀小松城図(「諸国居城之図集」)より
◆質問者
この様な未だかってない城郭新論を
長谷川先生は何処で教鞭を執られて
おられます?是非御教示願います。
◆長谷川
北陸線、東海道線、琵琶湖線交差
する米原駅西口より徒歩約10分の
★米原学び合いステーシヨンこれ
「旧米原公民館」にて推薦されて
講師を現在勤めさせて頂いており
ます。令和5年8月24日木曜日午前
10時、お城古今東西おもしろ学と
言う講座を担当させて頂いてます。
参加費はワンコイン500円です。
★予約 0749-52-2240
◆質問者
現地城郭見学会講師は担当されて
いますか?是非参加したいのです。
◆長谷川
令和5年8月19日下記の余呉城郭
研究会受付代行のウッデイパル
様へ下記要領で予約お願します。
◆質問者
加賀小松城全体の縄張中心点
を是非とも教示下さいませ!
◆長谷川
下図の様に概ね城跡の中心より
放射線状に縄張を展開してます。
◆関東在住者様の質問
武蔵比企地域の菅谷館は名城
として古くから城跡フアンに
は有名ですが菅谷館の測量の
中心点一体何処に存在します。
◆長谷川
複数あると考えられますが是
が菅谷館の測量の中心部です。
◆関東在住者様の質問
これだけ幾何学が発達した城館
は中国から渡来したピタゴラス
の定理「三平方の定理」の如き
測量の技術も存在致しますか?
◆長谷川
一部に正三角形に近い形状が
読取れると考えてはおります。
◆長谷川
典型的な扇型ビイスタ工法
も縄張図から読み取れます。
◆長谷川
更に高度なWビイスタも菅谷館
には読み取る事が可能です。
◆反論者
この様なデタラメな城郭理論を
日本古来の書物に見えない従い
長谷川氏を異端論者と認定する。
◆対談者
貴方こそ異端論者ではありませ
んか?日本国の城郭とは元来は
Wビイスタ二重視点により放射
状に縄張測量していたのですよ。
我々は日本城郭学のリバイバル
を目指してる城郭ルネッサンス
とでも言える品格や格調を復興
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