宇和島城ビイスタ論
◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ論動画が予想
を超え2500回以上の視聴数に驚きます!
◆視聴者
私この動画やこのブログの城郭ビイスタ
論を拝読し衝撃的なカルチャーショツク
を受けました!令和の城郭のトレンド!
◆反論者
全く反対だ?私は城郭ビイスタ論など理解
に駄論だよ?長谷川氏の説の何が凄いか?
全く理解不可能で拒絶したい気持が強い!
◆長谷川
世の中の人口建造物全てには経始=測量が
存在致します。人間は設計測量する生き物。
◆反論者
それはうかしい!山城は全部自然地形だぞ!
◆対談者
その発想概念こそ城郭遺跡へ倦怠冒涜遺跡を
遺跡とし人間の人口構築物と観察しない悪癖!
◆長谷川
琵琶湖疎水を知ってますか?人工物です!
人口物である以上、三角測量は必ず使う!
◆反論者
当たり前の事を言うな!琵琶湖疎水人口だ!
◆対談者
そう城郭ビイスタ論は当り前の事の正論!
人間が作る全ての万物には設計計画存在!
◆みんな
山城は当然人口物!貴方は普段、山城は
自然物、自然地形と語り捉えて100年間
も城郭測量の縄張や基本経始を無視した!
城の根本論城郭ビイスタ工法を無視した!
藤堂高虎の宇和島城も縄張も無視した人!
宇和島城のビイスタ工法看破できない人が
城を語る資格は一切ないと私は思います!
▼宇和島城のグランドプラン「経始」設計基準
◆反論者
しかし、放射状に城を測量した過去の記録が
無いではないか?長谷川説は笑止千万の盲説!
◆長谷川
沈着冷静に城郭に対峙して学問致しましよう!
享保18年段階で幾何学やビイスタ工法の測量
を説かれている。並立型と重複型のビイスタ。
◆反論者
長谷川さん!それでも私は貴方に賛成しない!
人間とは正論や正義には賛成しない生き物だ!
地球儀を初めて見てこれが正論だと誰が解る!
城郭の金田一耕助の如き解説に腹が立つんだ!
◆反論者の援護者同調者
そうだ!そうだ!城郭絵図に絵図作者自身が
朱線入れているならば城郭ビイスタ論認める!
◆
◆長谷川
肥前 島原富田城には朱線によるビイスタ腺
存在が致する温故知新の精神で学問する事は
令和新時代の城郭研究の学問課題として重要!
◆世間様
これ一体どういう事なんですか?まさか?
まさか?長谷川城郭ビイスタ論が正論か?
◆意見番
なにも?まさか、まさか、のビイスタ論
じや無い訳ですよ!長崎の出島を見れば
小学生でも一目瞭然でビイスタ論ですよ!
中学生なら分度器を見れば分度器が解る!
純粋な気持の心ない人に城語る資格無し!
日本人は肝心要「かんじんかなめ」の城郭
ビイスタを長く要を見落とし続けた来た訳!
ビイスタ動画を日本の心ある人が見始めた!
◆対談者
丹羽長秀総普請奉行の安土城天主ビイスタ
丹羽長秀守備担当の塩津岩熊城の類似性を
見てご覧なさい!ヤッパ長谷川先生卓見者
これが本物の城郭研究家の真髄と言う物!
◆長谷川
すみません。感情よりも冷静さの優先を!
◆質問者
藤堂高虎と言えば築城の名手として巷間
で知られていますその真髄を宇和島城を
長谷川先生に御教示を観光や利益でなく
純粋な学問的見地から是非御教示下さい!
◆長谷川
高虎ほどの人です彼が幾何学の基礎たる
三平方の定理を知らなかったとは考えら
れません仮にも城取名人が直角543の三辺
割合理論を知らなかったと考えられない
ピタゴラスの定理が出現する以前に東洋
中国に既に算術幾何学が発達してます。
弥生の纏向宮殿遺跡でもビイスタ工法。
古代古墳も幾何学を用いて作られてる。
もういい加減のに古墳や城郭の勉強を
している人は、幾何学の存在に気付く
べきでしょう。
▼九州 オサホ メサホ塚 古墳の幾何学
観光行楽としての城郭産業文化は地域
経済促進には欠かせない事なのですが、
城郭遺跡を人間工学の産物として純粋
に研究に取組む人が皆無では日本城郭
研究史の進展や学問進捗は停滞は必然
遺跡の幾何学論を無視し快楽原則のみ
ら従い観光行楽のみ終始したら日本の
城郭研究の進展は世界の考古学に遅れ
を取り世界から物笑の種、測量術古代
より存在したのに日本の城郭研究とは
未だに観光行楽の次元かと?世界の考
古学者や歴史研究家から失笑を受ける!
▼前方後円墳のビイスタ工法
▼米原市 長比城の城郭ビイスタ「幾何学論」
▼天草の乱一揆側の拠点「原城」
▼織田信長 天下の覇城 安土城ビイスタ工法
▼京都 亀岡城 ビイスタ工法
◆肥前名護屋城ビイスタ工法 太閤秀吉の夢の跡
▼近江長浜城ビイスタ工法 秀吉の出発点の居城
◆長谷川
先ず1の緑は中央型ビイスタの縄張を用い
て五角形の中心部には整合性ある企画性が
認められます。
2~3は城下の街区「街割り」をクサビ型ビイスタを
用いて誠に理想的な陸の街区の都市計画に努めてお
ります。さて宇和島城と言えば海城としての機能を
供えた城です。4の海中に測量台を設けて宇和島の
港湾都市としての機能用意周到な設計思想の深淵
が読み取れます。都市計画ランドスケープ論者と
して藤堂高虎を高く評価すべき城と言えましょう。
◆対談者
長谷川さんスゴイ眼力ですね!私は1、2、3
と理解出来ましたが?まさか!まさか!4起点の
扇型ビイスタ設計に全く気がつきませんでした!
◆みんな
藤堂高虎の本邦屈指の名築城家です。その城を
素朴にアッサリ解説される長谷川先生に驚く!
◆長谷川
築城を『経始』ケイシと言います。和語におい
ては『経始』と書き『なわ』と読みます縄です。
つまり築城の設計の事は縄張と言います。
ウイッキペデイアより引用
宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に
藤堂高虎によって築かれた近世城郭である。
標高74メートル(80メートルとも)の丘陵と
その一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二
ノ丸と帯曲輪、その北に藤兵衛丸、西側中腹
に代右衛門丸、藤兵衛丸の北側一段低い所に
長門丸を配置し、東側の中腹に井戸丸、麓の
北東に三ノ丸、内堀で隔てて侍屋敷が置かれた
外郭を廻らせる梯郭式の平山城となっており、
各曲輪が山上部に散在している中世的な縄張り
を色濃く残しながらも、山麓部には追手門や
搦手門のように内枡形や喰違虎口といった近世
城郭的な縄張りももつ。東側に海水を引き込ん
だ水堀、西側半分が海に接しているので「海城
(水城)」でもある[1]。
現在見られる、天守などの建築は宇和島伊達家に
よるものであるが、縄張そのものは築城の名手と
いわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用され
たと見られている。外堀などの外郭ラインが五角
(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、
合わせて十四町」と誤って記され、この史実から
高虎の巧みな設計として「空角の経始(あきかく
のなわ)」の伝説が生まれたとされる。
宇和島城には本丸天守から、原生林の中を抜ける
間道が数本あり、西海岸の舟小屋、北西海岸の隠し
水軍の基地などに通じていた。宇和島城には、間道、
隠し水軍などの優れた高虎の築城術の秘法が、見事
に生かされた城だったのである。[要出典]
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