城郭 長谷川博美 基本記録

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驚愕! 東洋史学的新羅古代府 月城のビイスタ!

2024-03-23 17:59:48 | 海外の城 ビイスタ工法
驚愕! 東洋史学的新羅古代府 月城のビイスタ!
 
◆草津様
長谷川先生は古今稀有の城郭
研究家だと思う。おそらくは
100年に一度出るか出ないか
の大器を秘めた希代の研究家
 
◆参加者
米原まなびあいステーシヨ
での長谷川先生の講座の教
は話題が継続して呼んでます。
 
 
◆長谷川
過分の賞賛は御遠慮願います。
しよせん私は社会の裏側に咲
く裏ぶれた場末のカスミソウ
令和枯れすすきとも言える人
 
◆東洋史学研究「有識者」
中国の殷代の都城鄭州商城を
ビイスタで解説された事は
洋史学的に評価すれば破格の
慧眼持つ研究家と言う事だよ
河南省鄭州商城のビイスタ
など解読できる学者は日本国
に存在しないこの様な稀有の
学説は東洋史の金字塔にだよ。
 
 
◆長谷川
過分の賞賛は御遠慮願います

 中国には「弧田図」などの測

測量方法が古代に存在した事

は東洋史学を知る人には周知

の事で私のブログ不人気です!

 
◆助言者
長谷川先生謙遜の弁舌は学問
進捗の為に謹んだ方が良策で
す。日本国倭王の前方後円墳
の前方部などもビイスタ工法
長谷川先生の慧眼は明白な事

講座男性参加者

長谷川先生と奈良の纏向弥生

宮殿遺跡に行った時に先生に

何故奥に行くほど宮殿面積が

広いとのかと質問したら即刻

ビイスタ放射状測量工法にて

弥生宮殿が設計されてますと

言われ私はブッ飛んだのです。

こんな事私は気付けないもの!

文字で読んだ事しか覚えない

欠点が私には潜在しています。

▼纏向宮殿遺跡 長谷川幾何学解釈

◆長谷川

気付かない方が身の為ですよ!

所詮世の中いつの世もこれだ!

★見ざる

★聞かざる

★語らず

ボケまくる事こそが処世術です。


◆講座女性参加者

長谷川先生に古代大和朝廷が

東北に築城した秋田城の設計

を質問したら先生は庁舎中心

とするビイスタ工法放射腺状

の測量法と解説され驚いた!

これは大和朝廷が大陸の軍学

軍事技術を導入していた証!

▼秋田城 ビイスタ 長谷川

▼長谷川 令和6年3月 南彦根講演

◆講座参加者

でも長谷川先生の論説スゴイと

最近は評判が続いて勢いがある!

 4月13日の多賀無料講演続く事

も決定しもう皆様ワクワク状態

何が飛び出すか解らない長谷川

歴史城郭講演期待が上っている。

◆米原市住民様

長谷川先生!今年令和6年6月2日

の鎌刃城まつりの現地見学会の

講師をお願いを申し上げます!

 

◆長谷川

私ごとき浅学無名講師が米原

市のお役に立てるか心配です

第17回鎌刃城まつり盛会報告 - 城郭 長谷川博美 基本記録

◆助言者

大丈夫です!長谷川先生は

日東第一実力派城郭研究家!

今度の鎌刃城まつりで嵐を

まき起こして下さい!風雲

は急を告げて賢者様が集合

する事は古今の原則ですよ!

▼鎌刃城 ビイスタ理論  長谷川

 

◆東海の質問者

何故新羅と言う国に熱田の神宝

「草薙の剣」を持ち帰ろうとす

る僧が存在したのでしょうか?

◆ウイッキペテイアより

日本書紀[編集]

事件は、『日本書紀』(養老4年(720年)成立)において簡潔に記載されている。同書天智天皇7年(668年)是歳条によると、沙門(僧の意)の道行が草薙剣を盗み、新羅に向かって逃げた。しかしその途中で風雨に遭ったため、道行は迷って帰ってきたという。同書では道行の素性に関する記載はなく、その後の道行の経緯も記されていない[1]

草薙剣のその後については、事件18年後の朱鳥元年(686年)6月10日条に記述がある。同条によると、天武天皇が病を得た際に占いで草薙剣による祟りだと見なされたため、剣を尾張国の熱田社(現・愛知県名古屋市熱田神宮)に送り置いたという[1]

是の歳に、沙門道行、草薙剣を盗み、新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、芒迷(まと)ひて帰る。— 『日本書紀』天智天皇7年是歳条[2]
戊寅に、天皇の病を占ふに、草薙剣に祟れり。即日(そのひ)に、尾張国の熱田社に送り置く。— 『日本書紀』朱鳥元年6月戊寅条[3]
 
新羅の位置
三国時代後半の576年頃の半島
◆長谷川
草薙剣は霊威ある征伐刀として
有名です。新羅に熱田の刀剣を
持ち去ろうとした僧侶は新羅の
学僧で『日本書紀』『古事記』
『新羅本紀』を読破していた
人でしょう。『新羅本紀』には
新羅王が倭人出身であった記録
が見え迫りくる高句麗の脅威か
ら倭国の霊威ある征伐刀を得た
い一心があったのかもしれない?
 
◆質問者
新羅の都の月城とはビイスタ?
 
▼ウイッキペデイア月城より
 
◆質問者
新羅の王都は月城と呼ばれる城
長谷川先生の城郭ビイスタ論は
通用するのでしょうか?もしも
存在するのなら驚きのビイスタ!
◆長谷川
城郭ビイスタ論で解釈する
なら新羅の王城「月城」も
ビイスタ工法の可能性あり。
 
 
◆対談者
長谷川先生は平素平凡素朴な
性格です。まさか長谷川先生
がこれほどの学者だと夢にも
思わないのが一般の方々です。
▼米原市での信長公記 講座
長浜市 木之本町のイベント
◆長谷川
心配要りませんよ!私ブログ
は誰一人読んでいない事など
明白な事なのですから誤解を
されては困ります。私とは!
城郭長谷川=人気なしです!
 
◆反論者
長谷川氏の城郭ビイスタ論は
日本の城や歴史には関係ない
ビイスタ動画など見るに値を
しない。城郭は先ず長谷川氏
を否定する事からスタートだ。
 
◆長谷川
どんどん否定して下さい島原
の乱で一揆軍が籠城した原城
跡も元は有馬氏の織豊城郭で
ありビイスタ工法であります。
 
◆対談者
ああやっぱりそうか長谷川論
 
◆反論者
長谷川ビイスタ論など無視
し正しい城郭学を学ぶ事だ
 
◆対談者
正論とは一体なんなのでしょう?
明智光秀の坂本城石垣など長谷川
先生の指摘どおりビイスタ論法に
忠実に石垣が出土して来ています。
私はすなおにシユアーに城郭学習
をしたい平凡な人間なのです平凡
や素朴や純粋な精神こそ大切です。
 
 
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