◆東海の質問者
何故新羅と言う国に熱田の神宝
「草薙の剣」を持ち帰ろうとす
る僧が存在したのでしょうか?
◆ウイッキペテイアより
日本書紀[編集]
事件は、『日本書紀』(養老4年(720年)成立)において簡潔に記載されている。同書天智天皇7年(668年)是歳条によると、沙門(僧の意)の道行が草薙剣を盗み、新羅に向かって逃げた。しかしその途中で風雨に遭ったため、道行は迷って帰ってきたという。同書では道行の素性に関する記載はなく、その後の道行の経緯も記されていない[1]。
草薙剣のその後については、事件18年後の朱鳥元年(686年)6月10日条に記述がある。同条によると、天武天皇が病を得た際に占いで草薙剣による祟りだと見なされたため、剣を尾張国の熱田社(現・愛知県名古屋市の熱田神宮)に送り置いたという[1]。
是の歳に、沙門道行、草薙剣を盗み、新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、芒迷(まと)ひて帰る。— 『日本書紀』天智天皇7年是歳条[2]
戊寅に、天皇の病を占ふに、草薙剣に祟れり。即日(そのひ)に、尾張国の熱田社に送り置く。— 『日本書紀』朱鳥元年6月戊寅条[3]◆長谷川草薙剣は霊威ある征伐刀として有名です。新羅に熱田の刀剣を持ち去ろうとした僧侶は新羅の学僧で『日本書紀』『古事記』『新羅本紀』を読破していた人でしょう。『新羅本紀』には新羅王が倭人出身であった記録が見え迫りくる高句麗の脅威から倭国の霊威ある征伐刀を得たい一心があったのかもしれない?◆質問者新羅の都の月城とはビイスタ?▼ウイッキペデイア月城より◆質問者新羅の王都は月城と呼ばれる城長谷川先生の城郭ビイスタ論は通用するのでしょうか?もしも存在するのなら驚きのビイスタ!◆長谷川城郭ビイスタ論で解釈するなら新羅の王城「月城」もビイスタ工法の可能性あり。◆対談者長谷川先生は平素平凡素朴な性格です。まさか長谷川先生がこれほどの学者だと夢にも思わないのが一般の方々です。▼米原市での信長公記 講座長浜市 木之本町のイベント◆長谷川心配要りませんよ!私ブログは誰一人読んでいない事など明白な事なのですから誤解をされては困ります。私とは!城郭長谷川=人気なしです!◆反論者長谷川氏の城郭ビイスタ論は日本の城や歴史には関係ないビイスタ動画など見るに値をしない。城郭は先ず長谷川氏を否定する事からスタートだ。◆長谷川どんどん否定して下さい島原の乱で一揆軍が籠城した原城跡も元は有馬氏の織豊城郭でありビイスタ工法であります。◆対談者ああやっぱりそうか長谷川論◆反論者長谷川ビイスタ論など無視し正しい城郭学を学ぶ事だ◆対談者正論とは一体なんなのでしょう?明智光秀の坂本城石垣など長谷川先生の指摘どおりビイスタ論法に忠実に石垣が出土して来ています。私はすなおにシユアーに城郭学習をしたい平凡な人間なのです平凡や素朴や純粋な精神こそ大切です。
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