安土城天主の平面形状と安土城の縄張の謎を解明する。
城郭ビイスタ論 上文字クリック
◆質問者
長谷川先生!?何故安土城天主台は礎石配列と
周囲の石垣腺が何故?不整形なのでしょうか?
こんな不細工な天主台を天下平定へと推進中で
あった織田信長が到底認可すると思われません!
◆質問者
長谷川先生!放射線に縄張されていても角度が
バラバラ不均一で城郭放射線縄張理論は成立が
致しません。
◆長谷川
そりや当然です。規矩術を応用した勾殳玄の定理
を応用した西洋360度分度でない日本城郭は計測
測量してます。私のブログに登場する城郭の放射
線角度は西洋角度でなくて規矩術、勾殳玄ですよ。
勾 配 | 角度 |
(寸) | (度) |
1.0 | 5.7 |
1.5 | 8.5 |
2.0 | 11.3 |
2.5 | 14.0 |
3.0 | 16.7 |
3.5 | 19.3 |
4.0 | 21.8 |
4.5 | 24.2 |
5.0 | 26.5 |
5.5 | 28.8 |
6.0 | 31.0 |
6.5 | 33.0 |
7.0 | 34.0 |
7.5 | 36.8 |
8.0 | 38.6 |
8.5 | 40.3 |
9.0 | 42.0 |
9.5 | 43.8 |
※10.0 | 45.0 |
◆対談者
現代日本人の感覚は360度を基準の西洋分度器を
中心に物事を考えてますが歴史上の人物、信長
秀吉、家康は絶対現代人のような尺間法で生活
していたのではありません。現代人が戦国時代
の寸法を知るべきでしょう?
◆ステレオタイプ先生
城は自然地形を利用しただけの事による歪だ!
◆辛辣様
まあ何百年も同じ事を繰り返す頭の固い人だこと!
◆長谷川
天主礎石配列東西南北を磁気方位に従って南北に
配列されてます。つまり天主という建築物は熱田
大工岡部又衛門の作事担当に相当します。一方城
の縄張は武士である丹羽長秀が普請奉行と記録さ
ています。簡単に言うなら以下の通りの分業です。
天主=建物=作事奉行=大工仕事=岡部又衛門
城郭=曲輪=普請奉行=武家縄張=丹羽長秀
両者には当然見解の相違や担当分野が有ります。
◆質問者
城大工中井大和守正清の残した天正大坂城本丸図
は中央放射状に縄張されている事を知り驚きます。
◆対談者
当然天下の安土城にも天主中央から放射状縄張が存在
しますか?
◆長谷川
この安土図面や大坂城図面一目見れば放射状縄張があ
る事が即刻解るでしょう!大坂城図面の大工中井家が
規矩術を知らないハズは絶対ありません。大工の基本
道具は規矩術の根源と言える曲尺「かねじやく/さしが
ね」だからですよ。
◆辛辣様
この図見て放射線状測量で安土城縄張されている事を
即刻理解できないようでは凡庸な城郭研究家と言う事。
◆ステレオタイプ先生
ふんそなもん見ても、ワシら全然理解できんわい!
◆対談者
長谷川先生ならば闇夜にスパークする電光の如く!
夏の夜の花火の如く解説されると私は思いますよ!
◆長谷川
中央放射状縄張を順次図示して行く事に致します。
いー5-8-22-天主中央をへて「天主石蔵北東隅」
更に28-ろと整然と測量線を復元できます。
◆長谷川
に44-16-「天主穴蔵北西隅」-は石垣の線へと縄張されて
この線は伝名坂邸の坂虎口とピタリと連携をしています。
▲ほ黒金門52-46-天主西隅21ー天主中央ー31へと計測してる。
▲と石垣ーと左石垣ー天主入口奥壁ー天主中央と繫がる。
▲いEー5隅石垣ー22天主隅石垣ー天主中央ー28石垣ーろ
◆長谷川
中央の青線は正中線です。もう賢明なあなたならば
何故?土城天主があの様な一見変形した縄張なのか
即刻御理解された事と思います。天主中央から規矩
術を応用して緻密に縄張をしていると言う事です。
◆対談者
長谷川先生!またまた城郭ビイスタ論動画再生が
グングン増殖しています。これは画期的な事です!
ほど強烈かつ画期的な研究視点だと思います。