甲賀郡中惣の城館のあり方画期的解釈
◆研究家
長谷川先生の甲賀城郭ビイスタ
論には驚くべきものがあります。
何故ならば従来の200箇所城館
は甲賀の自治独立により大名
権力が及ばないプリミテイブ
原始的な整合性のない大名の
権力に従わない無秩序な城郭
の群れだと社会歴史学上定義
していた従って整合性のある
城郭は一段格上の進歩的城郭
と評価していたんですが先生
のビイスタ理論を用いた場合
各城館はランダム配置に見え
るが実はビイスタ腺に従って
甲賀郡中惣の規範や掟に従っ
た配置である可能性が出て来
た事です。これは中世社会学
の著しい進歩進捗長谷川先生
の城郭ビイスタ論から読み取
研究のプログレシブ性認めら
れると言う事を証明してます。
◆一般様
いやいや違います。群郭式縄張
とは城郭群が統制がとれていな
い原始的プリミテイブな無秩序
が存在する訳で統制が取れては
いないのです。それじゃ甲賀の
山村村田引城の惣村群郭縄張には
ビイスタか存在するとでも言う
のかね?
◆長谷川
山村田引城はビイスタ工法で
縄張りされています。つまり
此れは測量腺を用いて血族や
眷属同名衆が在地領主リダー
格によって城郭の縄張統制を
していた事が読み取れます。
これこそ甲賀郡中惣の村掟
「村の法律や規範」だった
と私はビイスタ学で解釈を
しています。
◆長谷川
村雨城寺前城は統合的な
城郭ビイスタで理解可能。
◆研究家
これはスゴイ理論ですね!
◆長谷川
甲賀200城伊賀600城これは
ハンパな技術の城でない!
高い工業技術が存在した事!
伊賀国は織田信長伊賀惣国
を制圧占領し甲賀郡中惣は
豊臣秀吉が甲賀破儀を執行
して両国の堅固な城郭体制
を無効にする政治的執行を
断行しております。
山村田引城は
高い築城測量術を駆使した
城郭といえると思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます