近江百済寺城質疑応答
◆一般様
東近江市井元城の長谷川
先生の1988年の縄張図が
如何に進歩的かつ厳密な
作図なのかブログ投稿を
見てビイスタ工法と言う
意義の重さを痛感して
ます。これは日本国の
城郭を考察の際の基本
事項と痛感しています。
▼長谷川作図井元城図
鯰江
攻め衆人数: 佐久間右衛門尉 ・ 蒲生右兵衛大輔 ・ 丹羽五郎左衛門尉 ・ 柴田修理亮 に仰せ付けられ、四方より取り詰め、付城させられ侯。
4月11日、百済寺 堂塔・伽藍・坊舎・仏閣、ことごとく灰燼となる。哀れなる様、目も当てられず。
その日、岐阜に至りて御馬を納められ侯ひき。
1518(永正15)年 | 佐々木六角氏家臣、進藤賢盛が1523(大永3)年にかけて城塞化をすすめる。 |
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◆質問者
百済寺には
「北の要害」「南の要害」なる
地名があるとの事で南北の要害
つまり城郭や百済寺にビイスタ
の法則が読み取れるのですか?
令和の現在城郭を読み解く上
で最も重要とされるビイスタ
理論は必須知識と言われる事。
◆対談者
長谷川先生は城郭研究家とし
て文献『信長公記』解説講師
として優れておられる事明白
百済寺のビイスタ解説を願い
ます!小諸城でこの様に測量
縄張りされた事はもう明白な
事なのです。ビィスタが重要。
◆長谷川
私は理解者様、支持者の少ない
不人気講師ですから地味に解析
を向学心で試みてみたいと思う
下図の様に「北要害」ビイスタ
や寺院寺坊ビイスタ存在します。
概ね3つのグループに大別です。
◆長谷川
北要害、南要害、それぞれ
城郭特有の重複ビイスタが
読取れ用意周到な寺院防衛
の為の学僧の為の学園都市
が営まれていたと思います。
ルイス・フロイス「地上の天国 一千坊」絶賛した
また「大学」ともフロイスが読んでいる事などか
ら仏教を学ぶ学僧達の僧院が数多く散在した事
織田信長により正元年4月11日に焼討された事
◆質問者
長谷川先生百済寺に連れてて
下さい!赤丸の所は何かな?
◆長谷川
私のブログは読まれていません。
しかし本気で私のブログを解読
しようとしている人は即刻解る。
私が何の為に人生を無駄使いし
ているか解って頂けませんか?
彼方は歴史城郭講座「別の講座」
に参加されて山寺の宗教的結界
を私に言葉でよく言われますが
私の赤丸が何を意味するのかを
応用理解されていませんよね?
◆質問者
赤丸に何があると言うのですか?
◆長谷川
山岳寺院/山寺の総門/山門の
位置がビイスタ理論で解る事
今は理論だけ解っていても
全く意味がない訳です。応用
が効いてこそ初めて貴方百済寺
の結界堀が咀嚼理解した事にな
る。城が好きで百済寺に来たら
こんな巨大な結界堀を見なかっ
ら城址見学に来た意味がない。
◆長谷川
美濃大桑城に来ても山城だけ
気を取られない事です。山麓
に谷間を防御する巨大な土塁
と堀跡を見落とさない事です。
◆対談者
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